編集すること、自分を知ること。
先日、編集ができるようになるには、「自分を知る」必要がある と書いたのだけど、それはなぜなのか。わたしが今までしてきたことから考えてみる。
昨年、今までしてきたことを書き出してみて、自分がなにが得意なのか、どこに価値があるのかがなんとなくわかった。それは、とりあえず全部書き出してみたら、読んだ人が「ここがおもしろいよ」という部分を教えてくれたからだった。
まず自分の考えや立場表明をしたから、受けとった人がリアクションをしてくれて、その情報の中のどこに価値があるのかを教えてくれた ということだと思う。自分の生き方や価値感、心がうごいた経験を先に出して見せることで、はじめて他者の反応がある。自分の価値感を自分自身がどれだけわかっていても、自分ひとりでは物語はうごきださない。他者の反応があってはじめて文脈がみえてくる。
編集を「集める、削る、並べ替える、補足する」(佐渡島メソッド)とすると、「集める」には自分の見えているものしか集めることができない。自分をよく把握し理解していないと、より多く「集める」ことができないのだ。
わたしは、独立するまでの12年間 洋菓子業界でしか働いたことがなかった。だけど、お菓子をつくるのもそんなに好きではない(毎日朝から晩まで何年も作り続けられないという意味で)し、接客は好きだけど、何時間も同じ場所に居続けて、お客さんに合わせてうごくというのも苦痛だった(毎日おなじ場所におなじ時間に出勤するのも実はしんどかった)ので、しょうがないからお菓子を作るのと売ること以外の仕事を一手に引き受けていた。
いっしょに働くみんながもっと効率よく製造できるために、もっとお店の売上げをあげるために、データをストックして活用する仕組みを作ったり、社内の不満を集めたり、解決したり、分析したり、お節介をやいたりしていた。
これは、社内の全体像を把握して理解し、伸ばすべき部分と削るべき部分を判断し、やることを決め、それを実行するために仕組みを作ることをくり返していて、まさに編集作業でいう「集める」「削る」「並べ替える」をしていたと言える。
こうやってお店やチームや自分自身を編集して引き出し、その先のことを考えると、次は「届け先を設定し、デザインする」にたどり着く。
お店屋さんの場合、届け先は「お客さん」だと思いがちだけれど、なぜその商品をお客さんに届けたいのか?自分の技術を認めてほしいのか?借金をしてお店をはじめたから、お金が必要だからか?どんな人に食べてほしいのか?それを食べたひとがどうなるとうれしいのか?自分がどうなりたいのか?なにで心がうごくのか?なにが好きか?なにに時間をつかってどう生きたいのか?と、とことん突き詰めていくと、結局のところ届け先というのは実は自分自身で、「自分と誰かをよろこばせたい」という動機につながる。それがなにかがわからないと、ひとつひとつのことが決められないはずなのだ。
では、自分自身を編集したとき、その届け先はどこなのかというと、自分以外の誰かによって引き出された価値は、自分の物語に反映される。わたしの場合その物語は、いつか必ず来る最期のときに読み返して「あーおもしろかった!」と言いたい。やっぱり届け先は自分自身なのだと思っている。
だから、会社でもチームでも家族でも自分でも、「編集」するには自分を知らないとはじまらない。
このように、気がついたらわたしはいつも編集をしていた。それは、渦中にいるときはわからなかったのだけれど、あとからはなれてみてわかったことで、「編集」が気になって知りたくて勉強をした。
わたしは目下「クッキー屋さん」だけれど、半年間勉強して、わかったことや言語化できるようになったことがたくさんあるので、これからは「編集者」として世の中を見ていこうと思う。
特に「お店の編集」に関してはだいぶ得意なので、もしもいっしょにお仕事したいという希望があれば、ぜひ呼んでください!
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(2記事連続で営業!)