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アッコにおまかせしない −「仕事って何だろう」の途中で見えたもの報告
こどものころから「こうしたらいいのに」「なんでこうしないんだろう」という(うるさい)目線をもっていた。同時に、全体を把握できないと一部として動くことができなかった。「つまりこれはなんなんだ」とわかりたい気持ちがいつもあった。
おとなになってもそれは変わらず、自分が関わる仕事に対して「こうしたほうがもっとよくなるね」と思うと即行動した。結果的に、わたしは役には立ったのだと思う。いると便利だったと思う。だけど、感謝されていたかというとその実感はあまりない。なぜなら、誰にも頼まれていなかったからだ。
そうだよね、他人のしていることに口を出すのはいやがられるよね、という学びのもと、他の会社に行っても同じことになってしまうだろうから、しかたがないから自分でやるか、と6年前にしぶしぶ独立した。
他人に口をだすのではなくて、そう思うなら自分がやればいいんだよね、と行動したり、過ぎたことを「わたしはこうしてみたよ」と文章に書いてみたりしていたら、最近では、相談されたり、意見を求められたりすることもある。
そんなとき、「それはこうしたらいいんじゃない?」とアイデアはでるし、「わたしだったらこうするよ」と言ってあげることはできる。でも、やるのはわたしではないなら、一言も言いたくないとも思う。誰がやるか決まっているときは、その人のことをほんとうに知らないと何も言えないので、こどもの頃からどんなふうに生きてきて今に至るのか、どうしてそれをやりたいのか、そこに嘘はないか、話はそれからだ、と極端な関わり方をすることになる。それを望まない「ちょっといい意見があったら採用するからとりあえずアイデアだけほしい」というようなときは、「へーたのしそうだね」とか何とか言って、なにも言えない。(冷たいけどできないものはできない)
それでも相手のことを思って「こうしたらいいよ」と言うときは、わたしがやるつもりで言うことにしている。「こうしたらいいんじゃないですか?わたし、やりますよ」と。
「それならやってほしい」と頼まれて、実際にやると、「ありがとう」と言われる。頼まれてもないのに勝手にやるのではなく、やりもしないのに意見を言うだけでもなく、ちゃんと関わる意思がある人同士で、需要と技を交換すると、「ありがとう」と感謝される。そんなあたりまえのことを、わたしはほんとうに知らなかった。この歳になるまで、この経験がなかった。仕事をすると「ありがとう」と言われるんだ。すごくうれしい。みんな知ってた?とおどろいた。
これを知ったから、これからはちゃんと選ぶことができる。単発でも長期的でもなんでも、チームを組むかどうかを意識してひとと関わりたい。チームを組むというのは、「同じ目的に向かってあなたと関わります」という意志を持ちよることだ。一方的に関わりたい、役に立ちたい、という関係はもう望まない。
「仕事をする」ということが、それはつまりなんなのか知りたいとずっと考えていたら、まずは「自分に何ができるのか」かなと思って実践した(結果がクッキー屋)。そのつぎは「誰と関わるか」なのだな、とわかった。
それがわかったので、最近は誰と関わりたいかに焦点をあわせて、仕事の内容をじわじわと変えていっている。そんなふうに決めていいとわかって、もしかしたら仕事ってすごくおもしろくできるかもしれない と、ワクワクしている。
「こうしたらいいのに」の目線を、こうやって自分で実験してみせることがわたしの役割で、どこかでだれかがちょっとでも楽になっているといいなと思う。わたしは、ご意見番にはならないよ。アッコにおまかせしない。
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