成熟とは「自分のため」と「誰かのため」を繰り返して進むこと

やりたいことがあるとか、ないとかについて考えていると、並行して見えてくるものがいくつかあって、そのうちのひとつが「自分のため」と「誰かのため」のバランスだった。

「やりたいことがある」という人が、「これをしたい」と自分の欲や自己実現などの「自分のため」にはじめたけど、できるようになってくると「誰かのために力を使いたい」という別のやりたいことが見えることがある。

逆に「やりたいことがない」という人が、「役に立ちたい」と「誰かのため」からはじめたけど、その力が足りないと感じたときに「もっとできるようになりたい」と「自分のため」の視点が生まれたりもする。


この「自分のため」と「誰かのため」は、両方ともバランスよく持てるといい。だけど、うまくバランスを保ちいっぺんに両方の視点を持てる人は稀で、ほとんどの人は「自分のため期」と「誰かのため期」が時間差で交互にやってくる。そして、切り替えるタイミングで壁にぶつかる。それを繰り返しながら進んでいるように思う。


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「自分のため」というのは、たとえば、自分が好きなこと、したいこと、うれしいこと、認められたい、褒められたい、成長したい、学びたい、活躍したい、目標達成したい、などの自分がよろこぶための要素だ。

「誰かのため」というのは、たとえば、たすけたい、役に立ちたい、教えたい、あげたい、と誰かがよろこぶことで、その中にも目の前の誰かのため、チームのため、会社のため、業界のため、社会のため、などいろいろなサイズがある。


これらはどちらも必要なことで、どちらの方がいいとか悪いとかではない。湧き出る欲求やもともとの性格もあるけれど、どちらも偏りすぎると先に進めなかったり続けるのが難しくなったりする。

なんだかうまく進まないとき、「自分のため」と「誰かのため」の切り替え期で、その間の壁にぶつかっているのかもしれない。


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「自分のため」の壁というのは、たとえば、自分のことを優先しすぎると周りが見えなくなったり、周りの人を操作しようとする。周りは自分のために動くべきだと無意識に思ってしまったりする。

また、評価や承認が足りないと感じたり、だれも助けてくれないと感じたりして、目標達成のためにひとりでもっとやろうと無理をして働いてしまうこともある。

それは「自分のためだけになっていないか?」という信号だ。


「誰かのため」の壁というのは、たとえば、「こんなにやってあげたのに」と見返りがほしくなったり、他者に軸を置きすぎて自分自身ががたのしくなかったり、人の心配ばかりして自分のことがおろそかになったりする。

誰かに迷惑をかけないようにガマンしなければと自分を抑えて、自分の考えや感情が出なくなったりすることもある。

それは「誰かのためだけになっていないか?」という信号だ。


また、まだはじめたばかりなのに両方とも欲しがってしまい焦ることもある。

自分にできることがまだ少ないときに「自分のため」ばかりに目がいくと、できないことや他人から認められないことに焦ってしまう。いったん損得や承認を忘れて「今は誰かのため期だ」と誰かや会社のために何ができるか、できることを増やすための時期だと考えるといい。できることが増えたとき、感謝されたり頼られたりして、もっと伸ばそうとようやく自分のために時間を使えるようになるのだと思う。

「今は、そういう時期だ」とじっくり腰を据える言い訳になるといい。

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誰かがよろこぶことと自分がよろこぶことは、両方がないとうまく進まない。

自分のためにつけた力は誰かのために使うことができるし、誰かのためにしてきたことは、積み重ねて自分のできることになっていく。

「自分のため期」は自分を掘って深めていく作業になり、「誰かのため期」は「誰か」の規模を目の前の人から社会に向けて大きくひろげていく作業になる。

目の前の「誰か」の役に立つことから、社会に向けてその範囲をひろげるために、ひとりではできなくてもチームや会社が必要だったりする。

自分をせまく深く掘るだけでは真っ暗で周りが見えなくなるので、周りを見て視野をひろげると、できることの面積が増える。成熟とは、「自分のため」と「誰かのため」に深めることと広げることの繰り返しなのだと思う。


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桜林 直子(サクちゃん)
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