シングルマザーのクッキー屋の話【仕事とわたしのこと④】
23歳で結婚、出産。その後1年で別居、離婚をした。
産後8ヶ月で仕事に復帰したのだけれど、当時わたしの周りに子育てと仕事の両立の見本がなくて、シングルマザーの見本はもっとなくて、それでもとにかく働いて生活費を稼ぐ以外の選択肢はなかった。
見本はなかったけれど、同時に子育てと仕事の両立ってこんなに大変!という情報も今のように溢れていなかった。なんせまだiPhoneのない時代だったから。
わかっていたことは保育園に預けている時間帯しか働けないということと、最低限の生活費を稼がないといけないということ。
わからなかったことは時間の融通がきかなさ、自分以外の都合で動かなければいけない事例やその頻度。
ザッと計算しても働ける時間とそのお給料と毎月必要な金額が合わない。だから昼と夜と仕事を掛け持ちしたりしているシングルマザーが多いのネと知る。
しかしどう考えてもそんなに働きたくない。働きたくない。働きたくない。
そこでB型さらに中間子の自分勝手さと楽観的な視点で「人の倍働くのではなくて、同じ時間で給料を倍もらえるにはどうしたらいいか」と考えた。
復帰して働いていた会社(某チョコレートショップ)では製造部門と販売部門があり、事務的な仕事は社長とスタッフでなんとなく分担し、たまたま電話に出た人がそのまま担当したりしていたため、それによって全体が見えづらく、本業ではない仕事は疎ましいため雑になってしまうという傾向があった。早い話がぐちゃぐちゃだった。
それならば と私が復帰する際に、お菓子を作ることと売ること以外のすべての仕事を全部引き受けることにしてみた。
若いスタッフばかりで前例もないので子育てへの理解や協力は望めなかったなか、みんなも本来の仕事に専念できて効率も上がり喜んでくれた。
事務所などないのでお店の裏の倉庫のPC一台分のスペースで、まずはすべての電話に出ることからはじめた。
窓口がひとつになることでまず相手が安心するし再度仕事の依頼をしやすくなり、社外の人たちから見て「いつものこの人」になっていった。
百貨店や広告代理店とのやりとりもスムーズになり、片手間ではなく専属で、またせっかちな私の反応が今までより断然早く正確になることで大口の仕事の依頼が増えた。
そうして広報、経理、人事、営業やその他の雑務をすべて引き受け、社内の製造数の管理や各支店間の情報管理などの仕組みを作ったりして自分の仕事を作り(ただしできないことはやらない)、なかった部署を勝手に作り出した(事務所も作ってもらえた)。
そしてそれは基本的にPCと電話があればできる仕事だったので、保育園のお迎えの時間がきてしまっても子供が熱を出して休んでも自宅で続きを進めることができた。得意なことなら人の半分の時間でできるし、他の人では代わりがきかない自分の居場所を作れた。
「人の倍働くのではなくて、同じ時間で給料を倍もらえるにはどうしたらいいか」は「自分の得意なことだけやる」だった。