シングルマザーの、悩みの種とばし競争
「悩みとか、ないんですか?」と聞かれたら
「ないですねえ」と答える。
なんなら、引かれるのを承知で正直に言うと、
悩むってどういうことか、よくわからない。
なや・む【悩む】[動マ五(四)]
1 決めかねたり解決の方法が見いだせなかったりして、心を痛める。思いわずらう。「進学か就職かで―・む」「恋に―・む若者」「人生に―・む」2 対応や処理がむずかしくて苦しむ。困る。「騒音に―・む」「人材不足に―・む企業」
こどもの頃からいつも、あたまの中がうるさくて(最近まで他の人もそうだと思っていた)、何かしらについて考えている。
ときどき「考えすぎだよ」と言われることがあるけれど、一度考えだしたことを考えないようにすることの方がむずかしいし、よく考えないで何かを決めることはもっとむずかしい。
めんどくさいよね、わかってる。なんなら自分でも自分がめんどくさい。それにモテない。だけど、そういうふうにできているのだから仕方ない。
悩まないことと、問題がないことはちがう。問題は常に山積みだけれど、悩まないということと、問題を見ないようにすることはちがう。
問題があったとき、わたしが考える方法は、ザックリと「問題」だと思っていることを、「出来事」と「感情(想像も含む)」に、タマネギのように剥きながら分けていく。
そうして剥いたひとつずつを、本当にそれが問題なのか検品しながら仕分けていくと、最後に「事実」だけが残る。
一見、仕事の悩みに見えて「あの人がキライ」だけが残ったり、子供の教育の悩みに見えて「自分がお母さんに認められたい」だけが残ったりする。
自分が、本当にどうしたいのか、何が問題なのか、がわかったら、あとは解決するだけだ。
お金がないなら、お金を稼ぐ方法を考える。楽しくないなら、何をしたら楽しいか考える。
すぐには解決しなくて時間がかかることでも、考えるべきことがわかっていれば、それは悩みではなくなる。
問題が自分自身ではないとき(あの人がキライ、とか)には、相手を変えることはできないので、他人を動かして解決する方法はとらず、自分がその人から離れる、という解決法しかない。問題が見えなくなるまで離れればいい。(だから、わたしは相手ありきの問題だと、引き際がものすごく早い。恋愛とか。)
要するに、「で、どうしたいの?」だ。
本当に、みんな、したいようにすればいいと思う。
その周りを感情でグルグルに固めて大きくして、自分で問題を作り出しているのだから、逆回しして、どうしたいのかを取り出せば、ほとんどのことは大丈夫だ。あとは好きにすればいい。
どうしたいか、という思いと、実際の行動が、近ければ近いほどしあわせだと思う。
わたしが悩まないのは、「で、どうしたいか」にたどり着くまでの Q&A の繰り返しが、最短距離の猛スピードだから、悩みをすっとばし「どうすればできるか考える」だけだからなのだと思う。
そういえば、それはわたしの、あーちんへの口癖でもある。
「好きにして」「で、どうしたいの?」「人のせいにしない」「主語は’わたし’で話して」
ずいぶん厳しいけれど、考え方もクセだから、あーちんも悩み知らずになるといい。
人生は、プロブレムでできているのではなくて、ハローとQ&Aとグッバイでできているよ、と教えたい。