ITはさんかく TVは四角
インターネットがなかった時代のことを、もうよく思い出せないのだけれど、今でも「インターネットはこわい」という人もいるし、また、「テレビはこわい」という人もいる。
「まるごとバナナ(バナナの両端は切り落としてあります)」「ごはんですよ!(これはごはんではありません)」と書かないといけないような昨今のテレビ界だから、「テレビが言っていることは本当のことだ」と思い込んでしまうのも仕方ないのかもしれない。
「インターネットは情報が多すぎてどれが本当かわからない」「テレビは1方向の見方しかしていないからウソばかりだ」
わたしが、テレビをおもしろいと思うのは、どの切り口でどう見せるか、人がつくっているところだ。
わたしが、インターネットをおもしろいと思うのは、どの情報にコミットしてどう見るか、自分で決めるところだ。
これは真逆のようで、実は同じなんだと思う。
この世界は、すべて人の手でできている、いわば「つくりもの」だし、そのどの部分を「自分のこと」とするか、自分で決めていい。
その「つくりもの」の世界を、テレビを観るかのように、文句を言ったり批判したりよろこんだり悲観したりすることもできるけれど、実は、観てるだけじゃなくて出てるよ!しかも、主演だよ!と言いたい。
あれもこれもありすぎて混乱するけど、好きなのを自分で選んでいいよ、選んだそれが世界だよ!と言いたい。
選べない人は、ただ見る側にまわる。見える世界や他人の方を変えようとする。変わらないから怒ったり批判したりする。
「つくりもの」の世界は、どの角度から光を当ててどう見るか自分で決めていいし、自分でもつくりだせる。
ユーミンは「目に映るすべてのことはメッセージ」と言っているし、星野源は「妄想その手でつくれば、この世が光うつすだけ」と言っている。そしてやなせたかしは「もし自信をなくしてくじけそうになったら、いいことだけ思い出せ」と言っている。
自分のアンテナで、目で、何をキャッチしてどう見るか。自分でつくりだして光にあてたいものはなにか。その記憶をどう使うか。ぜんぶ自分で決めていい。
わたしにとってこわいのは、テレビでもインターネットでもなくて、自分で選べないこと、決められないこと。自由がないことだ。
せっかく自由なんだから、自由をうまく使おうぜという話。