自分の性格・性質を知る/でこぼこを平らにしてちゃんとしようとしてしまう問題
こんにちは。サクちゃんこと桜林です。
このnoteは「自分を知るワークブック」マガジン(無料だよ)での連作です。
序章、どんなワークをするかの自分を観察するための4つのリストも、合わせて読んでね。
前回はひとつめのワーク「感情を知る」でした。
今日はふたつめのワークです。
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ワーク2:性格・性質を知る
◎自分の性格や性質を、書き出します。
PCやスマホでも、紙のノートでも構いません。なるべくたくさん書くこと、時間をかけて書き足すことを前提に、広いスペースを確保してください。
性格や性質には、もともと持っている「理由などないけど、どうしてもこうだということ」と、後天的に「いつかの経験から、こうなってしまったこと」があると思います。ふたつを特に分けずに、両方とも書いてみてください。
書いていると「これとこれは同じことだな」とか「これとこれは真逆の要素だな」と感じることもあるかもしれませんが、きれいに整える必要はありません。人をつくる要素はそんなに単純ではないですし、まずはたくさん書きだして、観察や考察は後でゆっくりしましょう。「人が見てどう思うか」をがんばって捨てて、書きましょう。
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友人に、この項目を書くのが苦手だという人がいました。
前回のワークでも言いましたが、この「書けない」が、今回のワークの大事なポイントのひとつです。たくさん書いて発見するのと同じくらい大事なのです。
書けないときは、観察するチャンスです。
彼の場合は、「悪いところばかり思いついてヘコんでしまう」「悪い性質は直さないといけないと思ってるから、認められない」と言っていました。他にも「自分ではこういう人間だと思いたいだけで、本当はちがうかもしれないと思ってしまい書けない」という人もいました。
前者には「〝自分に厳しい〟って書き足しておいて」と、後者には「〝他人の目が気になる〟って書き足しておいて」と言いました。
たしかに、書くためには、その前に認識をしないといけません。しかし、このワークでは、認識が正確かどうかを考えずに、いったん諦めて認めてください。自分にとって性質がいいものか悪いものかの判断もしなくていいです。そのかわり、なるべくたくさん書いてください。10個だけのはずがないのです。書き出した性格や性質に正解や間違いはないけれど、「この10個の(悪い)性質が、自分のすべてだ」と思い込むのは、どう考えても間違いです。自分の持っている要素を見るときに、悪い要素に偏らず、フラットに観察してください。
自分の審判の目が異様に厳しい人や、自分ではよくわからないという人は、他人に聞いてみてもいいかもしれません。ただし、その相手は「あなたってこういうところがあるよね」と言われても嫌じゃない人にしてください。いいところを挙げてくれても疑ってしまい正直に受け入れられないとか、悪い面ばかり指摘してくる人は避けてください。いいことがないので。
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たとえば、わたしには「せっかち」という性格や「人混みが苦手」という性質があります。
「せっかち」をちがう方向から見ると、「先のことを予測する」「人にペースを合わせるのが苦手」「待てない」などの要素があります(これもリストに書きます)。
「人混みが苦手」を解体すると、「自分のペースで歩けないのが苦痛」「自分のスペースがせまいのがイヤ」「待てない」などの要素があります。
ふたつのちがう性質から、「マイペース(他人に合わせられない)」「待てない」などの同じ要素が見つかります。おお、これらは関係あったんだなとわかります。わたしは自分のことを「他人に合わせるのが得意」だと思ってたけど、本来はかなり自己中心的だなーと苦笑いしました。
「他人の気持ちを汲む」という性質はたしかにあるのだけど、これは後天的にそうしたほうがいいことがあるから(そうしないと困ることがあるから)身につけたものなんだなとわかります(あと、せっかちで先を予測する力とも重なる)。
こうして、書き出した性格や性質を、観察して要素を分解してみると、「だからこうなのか」と繋がりが見えたり、「これは同じ要素の裏表だな」と多面的に見えてきます。それがよりわかるために数を多く書きます。
性格や性質は「いい/悪い」ではなく、ひとつの性質にいろんな面があり、いろんな使い方をしているのです。
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性格や性質は変わらないのでしょうか?
ひとつめのワークでも言いましたが、「思考のクセ」は新しいクセをつけることで剥がせます。もともとの性格や性質は変わりませんが、行動や思考のクセは変えられます。
わたしは、もともと持っている性格や性質を「原液」とすると、それは後天的に他人との関わりや言葉に影響されて変化していくと考えています。でも、誰もが「原液」を必ず持っていて、それをうまく活かせるとき、人はいきいきとのびのびとするのだと思います。
わたしの娘は、赤ちゃんの頃から保育園に通っていたのですが、他人からの影響がまだない数人の0歳児の集まりを見たとき、0歳でもほんとーうに個性(性格や性質)はそれぞれなんだなあとしみじみ感じました。
小学校に入った頃から、それぞれの個性のでこぼこを「よくないもの」として平らに均されているような感じがしました。「でこぼこを育てる」と「みんなで一緒に勉強する」は相性が悪いので、仕方がないのかもしれませんが、残念だなあと思って見ていました。
わたしたちも、大人になるにつれ、そうやって知らないうちに、または頑張って平らにしてきたのだと思います。他人や社会からの評価や期待に合わせて「ちゃんとしよう」としてきたのだと。
もともと持っている「原液」を改めて見つけてみると、無理していたことや向いていないことがわかったりします。その上で何をすればいいかはすぐにはわからないとしても、一度自分の性格や性質を観察してみるのは、悪くないと思いますよ。
というわけで、レッツワーク!
たくさん書いてみてね。
では、またね〜。