さくらの香りを知っている?
もうすっかり葉桜になってしまったけれど、
少し前の事。
図書館の敷地内にある公園の
背の低い桜。
顔を近づけて「ほら、桜の香り、分かる?」と聞くと、
「え?分からないよ」と子供が言う。
私は心配になった。
桜の香りが分かることは私を作る一部なのに、
子どもはそれを知らなくて大丈夫なのだろうか。
お散歩中、
ヨモギの葉をちぎり、香りを嗅がせると
くさいと言う。
ええ?!ヨモギの香りがくさい?
ヨモギの香りに清々しさを感じるのは私を作る一部なのに、
子どもはそれを感じなくて大丈夫なのだろうか。
今の子供には、
私が見えていないものが見えているのだろうか。
私が感じられないものを感じているのだろうか。
今の子供たちの経験が少なくなったわけではなく、
経験の種類が変わっただけなのだろうか。
川遊びは楽しいけれど、急に流れが速くなる場所があることを
きっと知らないだろう。
ある程度深さがないと、飛び込むのは危険であることも
きっと知らないだろう。
私が小さい頃、
大きなお兄ちゃんやお姉ちゃんたちが、
集会所のそばにあるベンチを壁に立てかけて、
集会所の屋根に上っていた。
もちろん悪いことだとは知っていたのだけど、
でもそれは危ないからということではなくて、
大人が怒るからという意味で。
自分も大きくなったら仲間に入れてもらうのを
心待ちにしていた。
そして私もある程度大きくなって
ようやく参加することになった時はすごく嬉しかった。
大きい子にお尻を押してもらい、
何とか私も集会所の屋根に上れた時の
達成感。
何とも言えない、誇らしい気分だった。
普段は見られない景色が広がる。
でも長く浸っている暇もなく、
「こらー!」と大人の声がして、慌ててみんなで逃げた。
そもそもそんなこと、今はできないのだから
きっと知る必要はないのだろう。
それに、きっとみんなそうだと思うけれど、
自分が子供のころしてきた数々の悪さ(笑)、
今自分が大人になってみると、親になってみると、
子どもにはとてもさせられない(笑)。
そうすると、
親が教えることなんて、
何もないのかもしれないなぁなんて思う
今日この頃。
季節のせいなのかもしれないけど(笑)。
考えてみたら
私も教えてもらったわけではなく
全部自分で体験して知ったり、感じたりしてきたのだった。
桜の季節になればみんなで落ちた桜の蜜を吸い、
暑い日は、川へ入り、
実りの秋には、木の実を採って食べたり、
冬の夕暮れの美しさと淋しさを知る。
親の出来ることは、
温かいご飯と
温かいお風呂、
温かいお布団。
(まんが日本昔話の歌「人間っていいな」みたい(笑)。)
それから、
温かい眼差し。
そのほかの事なんて言うのは、
自分が親としてやっている気分にさせてもらっている、
だけなのかもしれないなぁと。
ただただ、どんなに時代が変わろうとも
自然に触れてほしい。
ケミカルなサクラのフレーバーを
桜の香りだと思うことはないように。
感覚を研ぎ澄ませ、
勘を磨くこと。
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