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山登り人生vol162昭和55年度多良は5回

私31歳。奥様31歳、長女6歳、長男4歳、次男1歳
海外登山、岩登り・冬山合宿など遠方での山行が無くなった
昭和55年度を振り返えっています。
九州内の山に留まりホームグラウンドでの山登りが続きます。
先ずは多良山系5回でした。
ハイキングや子供との山行も目立ちます。

No 280汽車バスでの経ケ岳行 


昭和55年5月18日 会員10名、一般26名
汽車・バス利用の山行でした。
今はマイカーばかりで、懐かしくもあります。
佐世保8:20(汽車490円)⇒9:22竹松10:20(バス280円)⇒黒木11:05→つげ尾12:50→13:30経ケ岳14:10→中山越15:10→八丁杉16:20→黒木17:10(バス)⇒竹松17:44(汽車)⇒18:40佐世保

素晴らしいハイキング日和。黒木便は臨時バスも運行されていた。
我がパーティーも36名の大部隊。
6歳から70歳まで、
家族組、先生と学生組とバラエティーに富んだパーティーとなった。
経ケ岳山頂では北九州歩こう会70名が陣取り大混雑。
彼らが出発の後、入れ替わり昼食とした。
昨夜から金泉寺入りしたメンバーとも合流して、中山越経由で下山した。

No 281八丁谷左俣ルンゼ

昭和55年6月1日 4名
佐世保8:30⇒黒木10:00→左俣ルンゼ取付点10:30→最後の壁終了15:00→取付点16:30→黒木17:00⇒18:30佐世保 

有望新人T女史が入会し左俣ルンゼに行くことになった。
彼女は労山時代に2度岩場を踏んだ程度であったが、期待が膨らんだ。
二組でザイルを組んだが、
T女史組も遅れることなく最後の壁まで登ってきた。
一度敗退していたMmはファイト満々。ノルマルルートを私とMm、チムニー左をMとT女史。無理と思われたT女史もすんなり登って来た。
終了点からは30mの懸垂下降。
今教えたばかりのT女史、心配をよそに下ってきた。
F5では確保練習をして取付まで下った。
いつもの佐世保の街での反省会は、T女史の頑張りに盛り上がった。

No 282境川遡行 

昭和55年6月29日 4名
轟峡駐車場10:30→沢終了大渡橋15:30→16:00駐車場⇒18:00佐世保 

穂高滝谷組と別れ有望新人T女史も一緒に沢登りに出発。
三度目の境川遡行。入渓してみると以外と寒い。
最初から水に入る気がしない。
F1は右岸を泳いで登るところだが、「泳ごう。」と言うものはいない。
結局高巻きした。
最大のポイントF2はトップをK君に押し付けた。

シブシブ取付き左岸を水中から3m直上し、10m下り気味にトラバースする。水際50cm程で流れが大きいときは吸い込まれそうな箇所である。
ここから3mのヘツリが微妙で昨年は3人が釜に吸い込まれた。
木の根にビレーを取りバンドを滝落ち口までトラバースし
落水際を2m直上して落口に達する。
K君落ちることもなく無事通過。T女史が一番すんなり登った。
F2の後も次々に滝が現れるが、そう大きいものはない。
腰までの徒渉を繰り返し、
それ以上の深さは泳ぐのを敬遠して巻きながら遡行する。
15時頃、境川中間点の大渡橋で終了とした。

No 288職場互助会ハイキング(轟滝∼多良岳∼黒木) 

昭和55年11月3日 長女、長男、私多数
佐世保7:30(貸切バス)⇒9:30轟峡10:00→12:00金泉寺12:40→13:00多良岳13:30→黒木16:00(貸切バス)⇒佐世保

職場互助会(同山岳部協力)のハイキング募集があり、
長男の満5歳の誕生記念にと申し込み長女6歳と一緒に参加した。
奥様は次男1歳と留守番です。
子ども二人元気に歩きました。

金泉寺での集合写真
長男・長女・私

No 291思わぬ雪の経ケ岳

昭和55年12月14日 3名
黒木→つげ尾→経ケ岳→平谷越→中山越→八丁杉→黒木 

2019年3月経ケ岳

佐世保は今にも雨が降りそうな空で心配しながらの出発だった。
黒木に着くと駐車場で積雪10cm。思わぬ雪に胸躍らせた。
今季初めての雪に心地よさを感じていたが、それも束の間、
次第にしんどい山行に変わっていった。
つげ尾に出ると積雪も一段と多くなり、膝以上のラッセルとなった。
コールテンのズボンは濡れるし、スパッツのない者は靴の中が濡れる。
経ケ岳からの岩場は風に吹かれ薄手のシャツは凍り出す始末である。
手袋のない手は感覚を失い。
岩場の下降は悪戦苦闘となった。
平谷越でツェルトを被り、冷たい弁当の昼食となった。
中山越まで来ると積雪も少なく、風も収まり足取りも軽くなった。
金泉寺に行くのは止めた。
手の方は2~3日軽いしもやけとなった。
 

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