日本百名山㏌よっちゃんハプニングで東北転進
48∼51座目No631早池峰・鳥海山・月山・筑波山 平成8年8月9∼16日 3名
北海道を目指していたのです。2年前に軽自動車で往復4,300㎞縦断の東北の山旅を実践していたので軽自動車でも行けるとの自信があったのか?結果は青森港を目前にして車が動かなくなりました。
結局、古い車を購入して山に登りながら南下することになりました。
全体行程
8/09 佐世保⇒
8/10 吹田JC⇒米原JC⇒有磯海SA⇒高崎JC⇒新潟高速降りる⇒会津坂下高速乗る⇒23:30碇ガ関IC手前で車故障。JAF整備工場へ牽引
8/11 0:30大湯モータース(代車で出発)8:10⇒青森フェリー埠頭⇒早池峰登山口
8/12 出発4:50→早池峰→8:10登山口⇒碇ガ関大湯モータース(5万円で車購入)⇒本庄市⇒19:30鳥海山登山口(鉾立)
8/13 出発4:30→鳥海山→10:40鉾立⇒15:20月山登山口(姥沢)
8/14 リフト下駅⇒リフト上駅8:05→月山9:40→リフト上駅10:40⇒志津温泉(入浴)12:10⇒寒風江IC⇒19:00那須高原(夜半から大雨)
8/15 那須中止出発6:00⇒筑波山神社リフト10:20⇒山頂駅10:30→男体山11:00→山頂駅11:30⇒駐車場⇒東京首都高速・天城山諦め⇒
8/16 佐世保
東北の山に転進
前回は二人での軽自動車であったが今回は三人。やはり無理があったのだ。長いトンネルを出て青森県に入った途端、車のエンジンが止まった。私は後部席で寝ていたので何が起きたのか分からなかった。他の二人もそうだろう。JAFに連絡すると先ず来たのはパトカーであった。発煙筒が設置された。JAFが到着して牽引され高速道路を降りて近くの整備工場まで連れて行かれた。この先は我々で対応下さいとのことであった。
11日工場前で幕営して看板に案内してあった電話に連絡して経営者に来ていただいた。今日から盆休みどうにもならないと言う。代車をお借りできたら北海道登山後に盆明け修理できたらとの思いで代車をお借りした。
代車で予定通り北海道を目指し青森に向かった。しかし、事前調査の不足。フェリーは予約なしではダメで、キャンセル待ちは1日以上である。決断して東北の山々に転進することになった。やはり普通車は気が楽である。
早池峰登山
登山ガイドブックには『日本のエーデルワイスといわれる、ハヤチネウスユキソウが咲くこの山は、「遠野物語」にも数々の伝説が語られ、山岳信仰の霊場としてもうやまわれてきた。北上山地の主峰であり、日本で最も古い地質で、早池峰固有の植物が多く、高山植物の宝庫といわれている。・・・」と紹介しています。
12日、早池峰は沢筋を登ると次第に枝稜となり、そのまま急登で、最後は巨岩を抜けると山頂でした。1時間半の登りでした。
下山後、修理できていることに期待して工場に電話しますが、意に反して修理しても盆明けになるとの返事でした。タイミングベルトが切れている。「部品調達も修理も盆明け」との返事に落胆して碇ガ関に戻りました。最悪、汽車で帰るのかと心配しながら工場へ。代車を譲っていただくことになりました。名義変更など責任もって済ませることを約束して購入できました。しかし、10万㌔も走っている軽自動車で高速道路の走行は厳しいとの助言でした。南下しながらの山登りとなり鳥海山を目指すことにして登山口鉾立までこの日のうちに移動しました。
鳥海山登山
登山ガイドブックには『「名山と呼ばれるにはいろいろ見地があるが、山容秀麗という資格では、鳥海山は他に落ちない」。「日本百名山」の「鳥海山」の冒頭の一節である。秋田と山形の両県にまたがり、円錐型の優美な裾野を日本海に降ろしている。山頂の大物忌神社は古くから人々の尊崇を集めてきた。みほとなお花畑や美しい湖沼、豊富な雪渓など、魅力ある山岳風景を有し、東北の盟主にふさわしい風格を備えている。・・・』と紹介しています。
13日、2年前の5月に敗退した山です。立派な登山道が主稜の山荘まで続きます。主稜はお花畑が素晴らしく残雪も多く、岩手山に似た山容で上部は外輪山と谷コースに分かれています。山頂下には大物忌引神社本宮があり、それより上は岩ばかりの山でした。下山し明るい内に月山登山口(姥沢)に移動しました。
月山登山
登山ガイドブックには『その昔、松尾芭蕉も登り、句にも詠まれたこの山は、みちのくでは最も知られ、修験道の霊場として栄えてきた。「優しくーそれが月山である」と深田久弥は描写するように、なだらかな稜線を描き、季節には高山植物の花でおおわれる。最近は春、夏のスキーのメッカとしてもにぎわいをみせている。・・・」と紹介しています。
14日月山へ。2年前、悪天で中止しましたが春の日帰り登山は厳しかったかもしれません。夏で6時間以上もかかり手ごたえのある山でした。前回リフト上駅で退却した山荘が懐かしい。直ぐ木道となって、トラバース地点からの景観は最高でした。残雪も多く、夏スキーを楽しんでいる女性スキーヤーも。白装束の人達が目立ちます。山頂は神社所有でお金を払わないと拝めませんでした。
月山志津温泉で汗を流し久しぶりの風呂でスッキリして那須高原に向け移動しました。西川町はあの水による街づくり講演を聞いた井上女史の町です。
台風が北上中、那須高原の東屋で休むことにしましたが最悪の天候でした。
那須岳諦め筑波山登山
登山ガイドブックには『標高千㍍にも満たないこの山を、百名山のひとつに選んだのは歴史の古さからだと、深田久弥は言いきっている。その由緒は、奈良時代初期に編纂された「常陸風土記」に詳しい。「雪の富士、紫の筑波」と昔から詩歌に歌われ、信仰の対象として、また大衆登山のメッカとして親しまれてきた。関東平野から望む双耳峰の筑波山は、名山にふさわしい風格がある。・・・』と紹介しています。
15日、那須登山は諦め南下します。南下、南下だけが頭にありました。百名山はないか、筑波山に登ることに決まりました。もう登山の感覚ではなく、リフトを利用して山頂駅まで上がると山頂の男体山はすぐでした。
筑波山を登り次なる山へ。南下、南下ばかりが頭を占めています。
天城山諦め帰路につく
15日昼から移動しますが首都高速は思い通り走行できず、国道1号線はなかなか進まず、車は異常音が出だして天城山も諦めることになりました。
帰路に付くことにしました。冷房も利かない車内、2時間弱の運転、速度も70∼80㎞で走行しては30分以上の休息をいれ、後続車を気にしながらの帰路となりました。
7万円の会費に代車購入代2.5万円、計10万円の出費となりました。
トラブルのせいでしょうか日記の記述もなく写真も見つけられず、こんな報告になりました。
つたない報告を読んでいただき有難うございます。
次回は52座目美ヶ原、53座目霧ヶ峰、54座目蓼科山を投稿予定です。