山登り人生VOL330続く恒例行事への参加
1969年9月23日から記録を始めた山日記を振り返っています。
2023年3月29日シリーズ「山登り人生」の投稿を始めもう一年経ちました。
ブログ自体は2021年9月1日から連続投稿を継続しており
1000回へのカウントダウンです。
38歳頃の山登りです。
62年度の山行は20回・38日入山と前年度とほぼ変わらず、
ビックな山行がなくなり
恒例的行事への参加や九州内での山登りが主体となりました。
長男の少年ソフトクラブに次男も顔を出すようになり、
保護者会からも益々離れられなくなります。
アマチュア無線交信症状も重症となり
大きなアンテナを屋根に上げたりと投資も増えてきました。
3月から恒例行事への参加が続きます。
個人山行や会山行への参加機会が減っています。
No 444県登山大会(黒髪山系)
昭和62年5月16∼17日
Y会長、M社長、T先生夫妻ほか12名 各会から18名程
16日自宅13:00⇒15:00山の家
17日竜門8:20→9:55天童岩10:20→雌岩11:40→12:20竜門
16日屏風岩西稜の下見のため早く行ったが、
出発の頃より雨となり何もできなかった。
参加者も少なく出入りもあったが30名ぐらいか。
幕営を中止して山の家に泊まる。
17日、心配された天気も上がり、予定どおり縦走のみ行動開始。
M事務官の野鳥や野草の話を聞きながらのんびりと天童岩へ。
一日中ツツドリやアカショウビン、センダイムシクイが鳴いていたという。
解説を聞くと黒髪の豊かな自然を再確認する。
雌岩に咲くセッコクが白・ピンク・紫が美しい。
早く帰宅し、ソフト練習に顔を出す。
6月3日にはHFリグ購入しアンテナ屋根に立ち上げた。
No445高校総体(雲仙山系)
昭和62年6月6∼8日 多数
6日自宅7:00⇒9:00千々石10:30→12:00吾妻岳下で審査
(JI6QXDとQSO)→15:00田代原。幕営審査16:00 審査終了10:30
7日出発6:30→九千部岳→第2吹越→8:00国見岳→鬼人谷下りで審査→
普賢岳→仁田峠→12:00ゴルフ場→13:30白雲の池。 小地獄温泉
8日雨天中止 閉山式9:00 帰宅14:00
6日審査委員長商短山岳会谷川さんは準備万端。
ここまで整理できればと思う。
長崎西高校の男子一人が意識不明で倒れたらしい。
日射病か、幸い大したことがなく良かった。
私は途中道を間違い、慌てて定位置へ。疲れた。
7日後半を受け持ち国見岳から鬼人谷の下りで審査する。
シャツ一枚で寒いぐらいであった。
午後は早い時間に終わりゆっくりする。
白雲の池、生徒たちは夜はキャンプファイヤー。夜から雨となる。
8日雨で中止。
男子優勝北陽台・2位川棚、女子優勝も北陽台。
早く帰宅できたのでHFをワッチ。8局と交信できた。
6月27日市岳連主催の第1回自然講座「烏帽子岳の自然」(講師津田氏)
は集客を心配したが70名程の参加で盛況のうちに終わった。
7月17日石原裕次郎死す。