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頑張れピースボート

さて、今までの記事を読んでくれた人なら、まず疑問に思うことがあると思います。なぜ、私がピースボートに乗ったのか、そもそもピースボートとは何なのかと。ある種の宗教団体かと思う人も多いと思います。でも、そんなことは一切ないし、むしろ強制的なことは何一つありませんでした。私はピースボートに大きな恩があります。そんなピースボートが窮地に立たされています。でも、たくさんの人が応援し、クラウドファンディングまで立ち上がりました。私も便乗して、ピースボートについて語っていきたいと思います。​

応援メッセージ

私は、第102回クルーズに乗り、さまざまな経験をしてきました。詳しく書くとキリがないのですが、ベネズエラでチューニングAを吹いて、オーケストラに参加したり、楽器やヘタリアを通じてさまざまな年代の人と交流したり、ラップに手を出してみたり、ビール片手に星空を眺めたり。本当に素敵な経験をたくさんしました。

船を降りて、少しずつ経験を消化していると、同じ船に乗った友達からLINEが来ました。「ピースボートの過去乗船者がクラウドファンディングを立ち上げるから、応援メッセージ頂戴!」って。その時は大学の友達と一緒にいて、家帰ってから送ろうかと考えていたけど、その場で書いて送りました。短いけど、熱い思いと情熱をふんだんに込めたメッセージが載っています。ほかの人のメッセージにも書いてあるけど、ピースボートのおかげで、人生が楽しくなった、鮮やかになった、かけがえのない友達ができた、本当にそんな素敵な体験が私自身にもたくさんあります。ぜひ、応援メッセージだけでも読んでください。

過去語り

さて、私がなぜピースボートに恩があるのかを説明していきたいと思います。その前に、私の過去に何があったのかを説明しますね。

私は、中学、高校と吹奏楽部に所属していて、部活に青春をささげた部活バカです。そして、最近知った自分のこと、「HSS型HSP」、好奇心のままに動くけど、人一倍繊細で、よく物事を深く考えるという気質を持っています。(この「HSS型HSP]についてはまた別途記事を書こうとは思っているので、ここでは詳しく触れません。)つまりは、高校進学は「入りたい吹奏楽部に入る」という目標があり、受験も頑張れたけど、大学入ってからのが目標なく、高校受験の時よりもモチベーションが低かったのです。さらに、高校の3年間は、大学のことなど一切考えずに吹奏楽を楽しんでいました。

高校3年生のコンクールが終わったとたん、燃え尽き症候群になり、受験どころか生きる意味さえ失い、あまつさえ「今死んでもいい。この先楽しいことなんて何もない」と思ってしまったのです。大学に行くのに、自分が興味のあることを学ばなければいけないという固定観念と、学びたいことがない自分に嫌気がさし、勉強しても成績が伸びないと思い込み、モチベーションは下がる一方でした。

第一志望は地方国公立で、5教科7科目のセンター試験を受けましたが、すべて鉛筆転がした方が正答率高くなっただろうという最悪の結果になり、第一志望どころか第二志望までも落ち、今通っている大学に入学することになりました。

大学に入って、何を考えたのか、いろいろな活動に手を出しました。地域をPRする活動、一般オーケストラ、ラジオ、ピースボート、インターンシップ。ざっと思いつくだけでもかなり活動的でした。この中で、今でも楽しんでやっていることはラジオだけです。ピースボートは降りてからは縁が遠くなり、コロナの影響で活動が少なくなってから関わりがなくなりました。そのほかの活動については、大学に入ってからとある事件が起き、全部やめました。

ゼミ崩壊 

大学入学してからは、自分の体に鞭打って活動していたと思います。それはそれで楽しかったのですが、まだ高校の疲れが取れていないのに、いろいろ手を出しすぎて、1回生の後期で全部壊れました。私の大学は、1回生の頃からゼミがあり、そこで基礎的なディスカッションや研究の仕方などを学ぶ制度があるのですが、そのゼミが崩壊しました。学園祭に出店する際にもめごとが起こり、学園祭の2週間前に出店を取りやめるという事件が起こりました。その時にいろいろ我慢していた感情が爆発し、後期は頭からっぽで大学に通っていました。

春休みになると、一筋の糸でつながっていた部分が途切れ、家から出られなくなりました。ほかにも様々なストレスがたまっていたのも含めて、1月下旬から3月下旬まで、外に出るのもしんどくて、ずっとニコニコ動画を見ていました。youtubeですら見るのがしんどくて、同じ動画をずっと繰り返し見ていました。この時期は確かにうつ病だったと思います。

ピースボートへの恩

大学での活動が上手くいかず、人間関係にも悩んでいた1回生の時。私の癒しは、大学の友人とピースボートでの活動だけでした。私はポスター張りも電話かけも1通り経験したけど、長く続きませんでした。精神的な不安定さが表に出て、うまくできませんでした。でもピースボートセンター(以下ピーセン)には週2~3回通って、同じ船に乗る仲間との会話を絶やさないようにしていました。1回生の前期はピースボートのノリになじめないところもあったけど、後期になってから、同じ102回クルーズに乗る人が増え、この人たちと一緒に旅ができると思うと、わくわくしたし、安心感もありました。

2~3月のうつの期間を抜け出したのもピースボートがきっかけでした。当時、途上国に支援物資を送るUPAという活動に力を入れていたけど、うつでピースボートセンターにも顔を出せなかった私に、スタッフから「東京でUPAの支援物資の仕分け作業をするって!行ってみない?」と誘われ、一人で東京に行きました。すでに分かる人にはお察しの通り、通っていたのは、大阪ピーセンです。

行きは新幹線(こだま)で、東京のシェアハウスで2泊して、帰りは青春18きっぷで、ずっと乗りたかった大井川鉄道にも乗って、浜松で1泊して、名古屋のピースボートセンターにもよって地元に帰るという一大冒険に出ました。これがきっかけで、2年生の前期も頑張れたし、楽しい船旅を送ることができました。

自己肯定感UP

かなり活動的な私ですが、実は高校生まで自己肯定感が低く、いまいち自分を表に出せませんでした。これも「HSS型HSP]に関係していたと思うけど、人に対して、本音が言えなくて、自分をだまして人と付き合っていた部分がありました。本心から信頼できる友人は片手で数えられるほどしかいなかったのです。また、考えていることが複雑すぎて、周りには理解できないだろうなという思い込みもあったと思います。

そんな私が自分を出して、自分に自信が持てるようになったのも、ピースボートに関わったことが最大の理由だと思います。ピーセンに通い始めてから、さまざまな人生経験をしてきた人と関わりました。元から明るい人、自己肯定感がいまいち低い人、元引きこもりetc...。本当にいろいろな人がいました。ここでの暗黙の了解?というより、ピースボートという団体の一番いいところである「人の話を否定しない」という部分がすごく居心地よくて、話をとりあえず聞いてくれる、すごいところをすごいってほめてくれる。この単純なことを、声に、態度に出して関わってくれるスタッフや仲間の存在は、本当に素晴らしいと思います。

船に乗ってから、毎日オーボエを吹いていたら、周りから「すごい上手」ってほめてくれて、いろいろなイベントに出させてもらったりしました。自分の音楽知識を使って、舞台セッティングや発声などの指導もやってみたりするなど、高校までの知識を生かすこともできました。うつになってオケをやめてから、2度と楽器で舞台に立たないだろうと思っていたけど、私の音楽で、これだけの人を笑顔にできるんだって知ると、やっぱり音楽を続けたいって思うようになりました。

お願い

以上の事から、私にとってのピースボートは本当に命の恩人だということが分かりましたか?このような経験をしなかったら、うつから抜けだせず、社会普適合者だと自分で思い込み、さらに苦しい人生を送っていたかもしれません。もしかしたら、本当にこの世にいなかったかもしれません。狭い世界で満足していた自分に、世界は広くて面白いということを教えてくれたピースボートには本当に感謝しています。

これを読んでくれた読者にお願いがあります。#supportpeaceboatでインスタグラムやツイッターを検索して、拡散してください。いま、ピースボートは窮地に立たされています。コロナの影響で、クルーズが出せず、存続の危機に陥っています。もし、共感してくれたり、応援したいという気持ちがあるなら、クラウドファンディングも協力してください。私は学生で、お金もないので直接支援できないのが心苦しいのですが、拡散ならできます。数少ない手段を精いっぱい利用して、ピースボートを応援するので、ご協力お願いします。

過去にピースボートに乗った人も、私と同じような人がたくさんいます。これから乗ろうとしていた人の中にも同じような人はいます。これから乗ろうとしている人達が、クルーズ中止と聞いた時の絶望感を私は想像できます。私を救ってくれたピースボートへ、今度は私たちが救う番。どうか、ご協力お願いします。

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