「自分には見えていない可能性」を想像できる人になりたい

ある情報を見聞きしたとき、頭の中にまず湧いてくるものってなんだと思いますか?

あなたの考え? 意見

おそらく「感情」ではないかと思います。

反射的に湧く感情って、「好き」「嫌い」、「好ましい」「なんか嫌」といった極端なものになりがちです。

その感情自体はとても大切だと思いますし、自分自身を知る手がかりにもなります。

ただ、最初に湧いた「感情」をもとに、脊髄反射で世の中に発信してしまうことが、いわゆる「炎上」を生み出しているようにも感じます。

マイナスな感情だけでなく、「いいね!」「素晴らしい!」という好ましい感情を表明する際も、その反対にある考えや物事の否定と受け取られてしまうことがあるので、なかなか難しいですよね。

見えない可能性に目を向けられるかどうか

村上春樹さんの『職業としての小説家』という本に、「小説家に向いているのはこういう人」というテーマで書かれた文章があります。

小説家に向いているのは、たとえ「あれはこうだよ」みたいな結論が頭の中で出たとしても、あるいはつい出そうになっても、「いやいやちょっと待て。ひょっとしてそれはこっちの勝手な思い込みかもしれない」と、立ち止まって考え直すような人です。

「そんなに簡単にはものごとは決められないんじゃないか。先になって新しい要素がひょこっと出てきたら、話が一八〇度ひっくり返ってしまうかもしれないぞ」とか。

『職業としての小説家』村上春樹(新潮文庫)

その時点で早急に結論を出したものの、あとになってみると、そこで出てきた結論が正しくなかった(あるいは不正確であった、不十分であった)ことが判明したという苦い経験を、これまでに幾度となく繰り返してきたからです。

それでずいぶん恥入ったり、冷や汗をかいたり、無駄な回り道をしたりしたものです。

そのせいで「すぐにはものごとの結論を出さないようにしよう」「できるだけ時間をかけて考えよう」という習慣が、僕の中に徐々に形作られていったような気がします。

『職業としての小説家』村上春樹(新潮文庫)

これは、小説家を目指している・いないにかかわらず、すべての人にとって必要な生き方とかスタンスにあたるものだと私は思っています。

「今の自分には見えていない世界がある」という前提に立てているかどうか。

その前提に立ち、自分の感情を「ちょっと待て」と一時停止して、踏みとどまれるかどうか。

見えない世界の見えない可能性を想定して生きている人なら、自分が見聞きした情報だけを鵜呑みにして、感情的に対象を非難することなんてできないはずなんですよね。

結論を急がない「ネガティブ・ケイパビリティ」

このように「見えない可能性を想定する」「すぐに結論を出さない」スタンスはネガティブ・ケイパビリティにもつながります。

ネガティブ・ケイパビリティとは、次のように定義されている言葉です。

「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」

「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」

19世紀にキーツというイギリスの詩人が弟に宛てて書いた手紙の中にあったのが、この「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉です。

この言葉を発掘し、170年後に世に知らしめたのが、イギリスの精神科医ビオンです。

キーツがネガティブ・ケイパビリティを持ち出したのは、詩人や作家が外界に対して有すべき能力としてでした。

ビオンは同じく、精神分析医も、患者との間で起こる現象、言葉に対して、同じ能力が要請されると主張したのです。

つまり、不可思議さ、神秘、疑念をそのまま持ち続け、性急な事実や理由を求めないという態度です。

<中略>

ネガティブ・ケイパビリティが保持するのは、形のない、無限の、言葉ではいい表しようのない、非存在の存在です。
この状態は、記憶も欲望も理解も捨てて、初めて行き着けるのだと結論づけます。

『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』箒木蓬生(朝日新聞出版)

症例に当てはめて、わかった気にならない。

理論や定説に頼りすぎず、生身の患者が発する言葉、振る舞いに注意深く目を向ける。

患者のすべてを、まっさらな気持ちで、わからないことも含めてそのまま受け止める。

そういう姿勢が大切だとビオンは訴えたかったのでしょう。

そうすることで、物事を単純にジャッジして視野狭窄に陥ることなく、広くて高い視点から物事を包括的に捉えられるようになります。

「わかった」つもりになっていないか?

私たちは物事をすぐに「わかった」と思いがちです。なぜなら、そのほうが脳にとって「楽」だから。

しかし、「わかった」と思ったときの自分は、本当にわかっているのか?

少し時間を置いて冷静になったときに、その「わかった」が揺らぐことはないのだろうか?

コミュニケーションできる範囲が爆発的に広がり、すべての人が発信できるようになった現代だからこそ、すぐに「わかった」つもりになって「好き・嫌い」「良い・悪い」と判断せず、

☑️頭の中の「ちょっと待てボックス」にしばらく置いて考えてみる

☑️結論を急がず、宙ぶらりんのままにしておく

そういった姿勢が大事になってくると私は思います。

だいたいのことが、自分の瞬間的な想像力では及ばないくらいいろいろな事情の複雑な集合体であり、多面体です。

たとえば、第一印象が最悪だった人がいたとします。

でも、たまたま最初に会ったときに、悪態をつかざるを得なかったのっぴきならない事情があったのかもしれないし。

感情をストレートに表現するのがめちゃくちゃ下手くそで、実はやさしい人だったとあとで判明することだってあるかもしれません。

そういう前提に立って、まずはすべての事象、物事、人を全体として受け止める。そして、結論を急がない。

そういう姿勢を持っていれば、自分自身も他人も傷つけないし、「あんなこと、言わなきゃ良かったぁぁぁ(涙)!」と猛烈な後悔をせずに済みます。

物事は何とかしているうちに何とかなり、早々と白か黒かの結論を出す必要がないのです。

薄暮のようなグレーゾーンを持ちこたえているうちに、東の空が明るくなるのに気がつくのです。

日の昇らない一日などはありません。

『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』箒木蓬生(朝日新聞出版)

私自身、一編集者として、いや、ひとりの人間として、ネガティブ・ケイパビリティを鍛えていきたいと思っています(なかなか難しいのですが……!)。

頭の中に「ちょっと待てボックス」を置いておく。

そう意識するだけでも、少しずつ鍛えていけるような気がしています。

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