ナミビアで踊る頃には日本人はみな眠る
『人生の悲劇は、人は変わらないということである』
ーアガサ・クリスティー
失踪者たち
警察庁が発表した『令和元年における行方不明者の状況』を見ると昨年の行方不明者数は8万6933人だった。
行方不明者総数というものは昭和31年から記録されており、近年では毎年8万人程度の行方不明者が発生している。一方、毎年8万人程度の所在確認等もされており、行方不明者の大部分は見つかっているようだ。
行方不明に至る原因・動機は、疾病関係が最も多い。次いで家庭関係、仕事関係、学業関係、異性関係などと続く。
これら各原因・動機を理由に行方不明となる人々の件数はそれぞれ毎年一定数を維持しており、年度ごとに大きな偏りがない。
家庭関係にせよ、仕事関係にせよ、人生で自ら『失踪』を決意するとき、その理由は極めて個人的な事情であると思われる。
そうであれば、毎年の行方不明者数がもっとランダムに増えたり減ったりしそうだけどそうはなってない。
あたかもボクたちに課せられたノルマを達成するかのように、日本のどこかで、毎年、毎年、同じような人数の人々が誰にも行き先を告げないまま日常生活から離れていってしまうのだ。
日本を遠く離れて
1994年に「完全失踪マニュアル」(著者:樫村政則 太田出版)という本が出版された。
Wikipediaでは「帯紙に「イヤになったら逃げろ!!」とあるように本書では一貫して失踪という行為が前向きに生きるために人生をリセットする一つの手段として扱われている。」と紹介されており、ポジティブな『失踪』をテーマにしてる。
ポジティブな『失踪』…というのも変な感じだが、なんとなく分かるような気もする。イヤなことがあったら逃げたいし、逃げるなら追っかけられないよう消えてしまいたい。
そもそも日常生活に思い悩んで失踪する以上、国内にいたらどうしても悩んでたあれやこれやを思い出すだろう。
どうせなら日本からできる限り離れた場所がいい。世界は広い。例えばアフリカには「ナミビア」という国がある。知らない人がいるかもなのだが、世界有数のダイヤモンド輸出国であり、ナミブ砂漠で有名な国だ。
失踪先がアフリカとなれば、暗く沈んだ気持ちも問答無用に吹き飛ばされるインパクトがある。それにナミビアには日本人が54人くらい住んでるらしく、きっと味噌や醤油も分けてくれるはず。
親愛なる我が同胞よ、共にアフリカの大地でがんばろうぞ!
広大なサバンナ、赤黒く広がる夕陽、点在する獣の影、土造建築の街並み、吹きすさぶ砂埃………日本では決して体験できない非日常を前に、これまで思い悩んでた仕事や学業、異性関係等がなんともちっぽけに見えてくる。
おまけに時差的には日本の概ね7時間前がナミビアの時間帯だから、自分が起きてるとき日本のみんなはだいたい寝てる。夢の中でぐっすり寝てる人のためにわざわざ悩むこともない。
まるで町中が寝静まってる深夜にただ1人起きて活動してるときのように、安心して毎日を過ごすことができるのだ。
そして世界はもとどおり
とはいえ、自分が良くても周囲の人々が心配するのは心残りだ。事件や事故に巻き込まれたのか。独りで思い悩んで自殺したりしないか。
まさかアフリカ大陸に渡ってるとは思わないだろうし、安否が気になってしょうがないと思われる。
「ナミビアに行ってきます」と正直に伝えて万が一追ってくるツワモノがいても困るし、かえって心配されても困る。
結局は行き先を知らせず「元気にやってきます。ご安心を!」などと書き置きするしかなさそうだ。
それでも置いてかれた側の心は落ち着かない。どうして自分の前からいなくなったのか、自分の何がいけなかったのかなどと自身を責め続ける人もいるかもしれない。そんな辛い思いはさせたくない。
ほんとは失踪しないのが一番なのだがそうはいかない浮世の辛さ。せめて元気でやってる写真やメールを送りたい。
ざわついた心がちょっとでも静まることを願って、ナミビアの流儀で「Hoe gaan dit(お元気ですか)」と伝えてみよう。ついでに慣れないアフリカ太鼓で不器用に踊る動画をつけてもいい。ちゃっかりアフリカナイズされた自分に笑ってもらえれば幸いだ。
そうするうちに、少しずつだが時間が解決してくれる。
家庭、仕事、学業、異性といろいろ問題があるけれど、自分が何もしなくともいずれ落ち着くところに納まっていく。仕事で自分が抜けた穴は優秀な同僚たちがしっかり埋めるし、かつての恋人も新たな出会いに心を躍らせているだろう。
そして、半年、1年と経つうちにかつての記憶は曖昧になる。最愛の家族といえどもボクらがいない生活が当たり前になって、そうして、潮が引くように徐々に思い返すこともなくなっていく。
もともと自分がいなくともつつがなく世界は廻るのだ。
転がる石に苔むさず
ナミビアでの生活に追われていくうちに、いつのまにか連絡も途切れていって、アフリカ太鼓に慣れてくるころにはすっかりかつての苦い思いを忘れてしまう。
朧気となったあの頃はただ懐かしく、逃げてきたはずなのに再び日本に戻りたくなる。
いまさら会っても拒絶される。そんな不安もよぎるが全くもって大丈夫だ。日本でもボクらが生きた痕跡は甘い懐かしさを漂わせ、最初はほんのちょっと戸惑いつつも、きっと歓迎してくれる。
再会して土産話をするうちに、過去の残骸がよみがえり、身体の中でくすぶり続けた鈍い痛みが消えるだろう。
ひととおり話し終えると、日本の生活が一応の完結を迎えているのがわかる。自分のいない時間軸が当たり前となったことに少し寂しい思いを抱きつつ、過去との折り合いがついていく。
このまま日本に居続けてもいいし、満足したならまた出発してもいい。縁もゆかりもないアフリカで生活できたなら、どこにだって居場所がある。
広大なサバンナ、赤黒く広がる夕陽、点在する獣の影、土造建築の街並み、吹きすさぶ砂埃………ナミビアに帰っても、もう日本におどけたメールや動画を送る必要はない。
今度こそボクらは自分のためにアフリカ太鼓を叩いて踊るのだ。いつか誰かが聞くかもしれない自分だけのグルーブを奏でるため、飽きるまでアフリカのリズムに日本のリズムを重ね続けよう。
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