私の人生において一番大切だった人
今日も難しいテーマでお送りいたします。
一番大切な人、とは人見知りにはなかなか難しいテーマです。
家族の中から一人選ぶわけにもいかないし、友達も少ないけど人生で一人だけではなかったし。
尊敬する人はいるけれど、尊敬と大切は違う気がする。
そう悩んでいる中で、一人の名前が思い浮かびました。
今回は、私の人生を変えてくれた一人の友人のお話。
自分が人見知りだと知った日と、天の助けだと思った手
以前の記事でも書きましたが、私は小学校に入るまでは人見知りだと思っていませんでしたし、小学校に入った瞬間に人見知りが発生しました。
最初はさみしかったのですが、途中から頭の中で会話をすることを覚え、保健室においてある医療系漫画を知り、まあまあ一人でも楽しくやっていけるようにはなりました。
しかし周りは友達と遊んでいる人たちでいっぱい。
さみしさは心の奥にしっかりと残っていました。
「一緒に遊ばない?」
声をかけてくれた二人組の女の子。
この2人と出会って、その手を取った時から私はクラスメイトの輪に入れるようになりました。
3人で遊ぶことも有ったり、クラスの他の子たちと鬼ごっこをして遊んだり。
その二人、A子ちゃんとB子ちゃんは同じ幼稚園でも保育園でもなかったのですが仲良くなり、そして一人ぼっちの私に声をかけてくれたようです。
3年生でクラスが分かれた後もB子ちゃんとは部活動が一緒で(小学校で部活動がありました)よく話していました。
その頃、先生が起こっていることに気付かずさらに怒らせてしまう事件を私が起こしたのですが、そんな私に先生がどう思っていたのか教えてくれたのがB子ちゃんでした。
さらに、人がこんなことを言っているときは裏でこう思っている、といった普通の子ならわかって当然のことを教えてくれたため、それからはそれなりに普通に擬態できるようになりました。
別々の道を歩き出した中学校
中学もほぼ持ち上がりだったため一緒の学校でしたが、吹奏楽部に入った私とは違い、A子ちゃんもB子ちゃんも一緒の運動部へ。
その頃には文化部と運動部ということも性格の違いも、趣味の違いも、たくさんの要因があっていつも一緒にいる仲良しという状態ではなくなっていましたが、クラスが一緒の時はクラスメイトとして普通の関係になっていたと思います。
ちょっといろいろあった時にA子ちゃんが鶴の一声でまわりをぴしゃりと止めてくれたこともあったりして、気にかけてくれていたのかもしれません。
中学2年生の時、友達とクラスが分かれてしまいました。仲良くしていた全員別クラスという、おそらく私が思ってるより問題児で隔離されていたのではないかと勘繰っている事態が起きたのです。
その時B子ちゃんは同じクラスでしたが、前述のとおり部活も趣味も全く違うためただのクラスメイト状態。
私も特に気にすることもなく、休み時間のたびに友達のいるクラスに顔を出せばいいか、程度に気楽に過ごしていました。
A子ちゃんとB子ちゃんは個人競技をしていたのですが、二人とも努力も才能も有って、その中でもA子ちゃんはとびぬけていました。
B子ちゃんもすごい子だったんです。大会はほとんど2位。
大会記録を更新したこともあります。
でも、1位はA子ちゃんでした。
B子ちゃんが頑張り屋だということと同時に裏でしか泣けない子だと小学生の時に知っていた私は大丈夫かな、辛くないかなと心配していましたが、突然声をかけても驚かれるしもうあの頃みたいに仲良くできないだろうしと結局声をかけられませんでした。
中学3年の時、自分の将来のことを発表する授業がありました。
私はあたりさわりのないことを書きすぎて一般論しか書いてないと怒られて書き直しさせられていたのですが、B子ちゃんは自分の進路のことを発表していました。
A子ちゃんと比べることが辛かったこと、それでも、自分を選んでくれた学校があったこと。
だからその学校で、こんどこそ自分らしくやっていくという発表に涙が止まりませんでした。
二人が仲が悪かったということはありません。でも、やっぱり辛かったんだな、外には出さなかったんだなと思うと心が痛くなりました。
これは、後悔していることなのですが。
発表に対してみんなで一言感想を書いた紙を渡すことになっていたのですが、私はあたりさわりのないことしか書けませんでした。
そして、私のどうでもいい当たり障りのないながらもちょっと自分のことを入れただけの、つまらない文章への感想を渡された時。
私はその時に読まず帰り道でペラペラめくることにしました。
男子の喋った内容と全く関係のない、がんばってくださいだけのものをパラパラめくっていた時に彼女のメッセージが目に付きました。
それは、中学二年生の時、声をかけられなかったことの後悔がつづられていました。
私は一人が辛いタイプ出なかったこと、寂しくなっても遊びに行けばいいと思っていたことから特に彼女がどう思っているのかなんて気にしていなかったのですが、B子ちゃんは違いました。
仲が良かったのに声をかけられなくなっていったこと、距離ができたこと。
一人で座っているときに声をかけられなかったこと。
謝罪の言葉ばかりで、私はどうしようもなく自分が情けなくなりました。
一人で座っているのではなくクラスメイトに声をかけて話に入っていればB子ちゃんはこんなことで私に申し訳なく感じる必要はなかったのに。
クラスメイトと仲が悪かったわけではなく、むしろ何かあったら声をかければ相手にしてもらえる関係だったので、完全に私がさぼっていただけの話なのに、なぜ彼女が辛い思いをしているのだろう。
私から部活が変わっても、クラスが変わっても仲良くしてほしいと声をかけ続ければよかっただけなのに面倒さもあって声をかけなかっただけなのに、彼女も同じように声を書ければと思っていたのか、それをこんなに思い続けてくれていたのか。
ぐちゃぐちゃな感情で泣きながら帰っていました。
あの時、その場で目を通していたらB子ちゃんと話ができたのかもしれません。
でも、私にはできなかった。
結局それ以降も特に二人で会話をすることもなく、中学校を卒業し、私達は別々の高校へと進学しました。
あとで知ったことですが、B子ちゃんと同じ学校にA子ちゃんも入学したらしく、知った時は大丈夫か!?と心配しました。
でも、電車で偶然見かけたとき。二人は私が知っている頃のように楽しそうに話をしていたので、大丈夫だったのだと思います。
以上が、私の一番大切な、一番大切だった友達のお話です。
成人式で再開した時も、やっぱり趣味も何もかも違う私たちはほとんど言葉を交わすことなく、それぞれ仲のよかった子たちと楽しく過ごしました。
きっと、もう彼女の中に私という存在はいないじゃないかなあとアラサーになって思うのですが、それはそれでいいんだと思います。
私にとっては、最初に手を差し伸べてくれた一人であり、人の裏を読めなかった私にその後生きる上で大切なことを教えてくれた人であり、心配になるくらいの頑張り屋であり、自分でもどうでもいいと思っていた時期に私のことを見ていてくれた人のままです。
私が大学まで卒業できたのも、こうして特に孤立することもなく生きていられるのも、あの時B子ちゃんが裏の読み方を教えてくれたからなんですよね。
いや、本当に。
「先生が出て行って、という時は怒っているので反省して謝ってと言っているんだよ」なんてよく理解していたなあと思いますし、それを分からない人間がいるなんてわかってくれたなあとしみじみ思います。
友達は高校でも大学でもできましたし、家族にも感謝していますが、私の人生において大切なことを教えてくれたB子ちゃんは、紹介したい子だなと思ったので書いてみました。
A子ちゃんにもB子ちゃんにも、昔の私を知る人みんなに知られませんように!