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自分が大嫌い、だけど嫌いになりたくないなわたしたち。

雨がすごいです!
とはいえ、台風で豪雨のところに比べればまだまだ、降っていないといえる程度だよねと早速人と比べてしまっています。

今日のおだいは筆が進みそう。

自分の嫌いなところは?

たっくさんあります!もう聞いて聞いてー!って思っちゃう

でも、人に話したら余計(ここ大事)嫌われちゃうかも、と人に話すのはためらわれちゃう。

結局当たり障りのないことを言ってお茶を濁すのが、就活の時にくる子の質問であり、知人くらいの人に聞かれた時のこの質問です。

パニックになりやすいところが短所です。それをカバーするために紙に書きだすようにしています。

短所はこういう風に話すように言われたのでそうしています。

では、嫌いなところは?

集中しすぎるところです。

なんて言っちゃいますが、本当の嫌いな私はもっとたくさんある。

太ってる私、人見知りの私、上手く話せない私、人が苦手な私、頭の悪い私、友達の少ない私、文字が汚い私、絵がうまくない私、文字で生きていけてない私。病気の私。病気で安心する私。一歩が踏み出せない私。意志が弱い私。

自分が嫌いで嫌いで、死にたいと思うことだってたくさんあります。
こんな人間知り合いに欲しくないな、と思うので友達でいてくれる子たちや教えてくれる先輩、話を聞いてくれる後輩が聖人みたいに思えます。

でも、本当は自分を嫌いたくなんてないんです。

だって、何があってもついてくる存在で、こうやって嫌いだって叫んでいるのも自分なんだから。

好きとまではいかなくても、受け入れていきたい。
どうしたらいいんだろう。

太っていることが嫌いなら痩せればいい。それができない私が嫌い。
それは何かを始めることも、継続することもできないということだから。

人見知りで、上手く話せなくて、友達がいなくて、人が苦手。
社会で生きていくには不適合すぎて本当に嫌い。

文字がきれいな人にあこがれて、絵が上手な人にあこがれて、文字で生きている人にあこがれて。
だからって努力ができているわけじゃない私。大っ嫌い。

全部、「努力」すればなんとかなることだからこそ、できない自分が嫌いなんだろうなって思います。

でもその「努力」って、本当にできることなんでしょうか?

簡単じゃない、人生をかけるくらいの「努力」だったり、
苦しくて生きていくのが辛くなる「努力」だったりしませんか?

人見知りが人懐っこくなるなんて、本当に「努力」でできることでしょうか?

私は高校1年生のころ、「人に好かれる存在」になりたくて性格を偽っていました。

明るく元気でおしゃべり、は難しかったのでいつも笑顔で人の話をしっかり聞いて、どんな話にも親身になる人を演じたのです。

入った部活も、自分を知る人は誰もが嘘だと思う演劇部。
まあ、演じる側ではなく裏方にあこがれたんですが。

どんな話も親身になって、おっとりして、優しい人。
イメージしたのは聖母様みたいなキャラクター。

これがなんと、1年続きました!

そしてぶっ壊れました!私は自分の生きてるエリアが勝手に重なるのが無理な心の狭い存在で、笑顔なんて苦手な仏頂面で、すぐイライラする人間だったんですから。

2年生から普通の地味で目立たない自分で生きていましたが、よく考えたら別に聖母キャラを1日中演じられていたわけでもないのでちゃんと演じられてたと思ってたのは私だけだったんでしょうね。

でも人当たりがいいと思われて、真面目な人だと思ってもらえてました。

この真面目で優しい私は、私の憧れで、私が好きな私だったけど、本当の私じゃないから続かないのは当たり前でした。

たくさんある嫌いな私を好きになりたい、とまでは思いません。

病気の自分を愛することも、そのことで安心している自分を許すこともできません。

でも、受け入れることはできるんじゃないかな、と思ってます。

だって、私達は自分を嫌いたくて生きてるわけじゃないんですから。
本当は、好きになりたい、自分が好きな人がうらやましいんです。

だから、少しずつ受け入れられるように、私は手を動かすことを始めました。

嫌いな私が少しでも減る様に。

もしくは、頑張ってるなって、好きな自分が増えたらいいなと思って。

嫌いな部分は嫌いでいいんです。

それでも、そんな私と生きていくのが人生なんですよね。

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さぼ子さん@名前考え中
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