2023/12/14(木)のゾンビ論文 ゾンビアバターを読み解く
ゾンビについて書かれた論文を収集すべく、Googleスカラーのアラート機能を使っている。アラート設定ごとに、得られた論文を以下にまとめる。
アラートの条件は次の通り。
「zombie -firm -philosophical -DDoS -xylazine -biolegend -gender -narrative -Netflix -network」
「zombie -firm -philosophical -DDoS -xylazine -biolegend -gender」
「zombie -firm -xylazine -biolegend -DDoS」(取りこぼし確認用)
検索条件は次の意図をもって設定してある。
「zombie」:ゾンビ論文を探す
「-firm」:ゾンビ企業を扱う経済学の論文を排除する
「-philosophical」:哲学的ゾンビを扱う哲学の論文を排除する
「-DDoS」:ゾンビPCを扱う情報科学の論文を排除する
「-xylazine」:ゾンビドラッグに関する論文を排除する
「-biolegend」:細胞の生死を確認するゾンビ試薬を使う医学の論文を排除する
「-gender」:ジェンダー学の論文を排除する
「-narrative」:ゾンビ映画・小説などを評論する論文を排除する
「-Netflix」:ネトフリ限定ゾンビドラマなどを引用する論文を排除する
「-network」:とにかく情報科学の論文を排除したい
検索条件2は、最後の三つの検索キーワードがないため、これらが排除した論文がねらい通りかどうか確かめる目的がある。また、検索条件3では「-philosophical」と「-gender」という一般性の高い検索キーワードで不必要にゾンビ論文を排除していないかを確かめる。
今回、それぞれのヒット数は以下の通り。
「zombie -firm -philosophical -DDoS -xylazine -biolegend -gender -narrative -Netflix -network」三件
「zombie -firm -philosophical -DDoS -xylazine -biolegend -gender」四件(差分一件)
「zombie -firm -xylazine -biolegend -DDoS」六件(検索条件2との差分は二件)
検索条件1は評論、心理学、健康科学が一件ずつだった。
検索条件1「zombie -firm -philosophical -DDoS -xylazine -biolegend -gender -narrative -Netflix -network」(ゼロ件)
ルーシー・スワンソン作『現代フランスのカリブ海小説におけるゾンビ 』(レビュー)
一件目。
原題:The Zombie in Contemporary French Caribbean Fiction by Lucy Swanson (review)
掲載:The French Review
著者:Jennifer Boum Make
ジャンル:評論(書評)
Lucy Swansonによる"The Zombie in Contemporary French Caribbean Fiction"の書評。Oxford University Pressに掲載されているこの本の紹介を引用しておく。
フランス語で出版されているカリブ海を舞台にしたゾンビ小説を紹介する本らしい。その書評を行うのがこの論文だ。ポイントはSwansonによる"zombie avatar"(ゾンビアバター、ゾンビの化身)という概念らしい。
いわく、ゾンビは奴隷、精神疾患の象徴、大勢の人間、人気者のアバターとして利用されるらしい。平たく、小説内のゾンビがなんの比喩として利用されているか?と考えても良いはずだ。だとしたらアバターというよりはメタファーだが、何となく「アバター」とした方がゾンビに喩えられたキャラクターの人格が際立ってくるように思う。
しかしアバターはヒンドゥー教の言葉なのに、ブードゥー教のゾンビと合体させるとは…。
ジャンルは評論。書評。
バイオハザードの研究: アクション ビデオ ゲームにおいて人種の描写は重要ですか?
二件目。
原題:The Resident Evil study: do depictions of race matter in action video games?
掲載:Discover Psychology
著者:Christopher J. Fergusonを筆頭著者として、12名
ジャンル:心理学
バイオハザードのようなアクションゲームがプレイヤーの攻撃性を助長するか調べた論文。ただし、人種的描写が現実の人種差別につながるかどうかに絞った研究である。結論は、白人/黒人のゾンビを攻撃すると、白人/黒人への攻撃性が多少増すとのこと。ただし、自民族中心主義的な意識の助長にはつながらなかった(=攻撃性だけ増した)のだとか。
ジャンルは心理学。
職場でのエナジードリンクの正しい使い方
三件目。
原題:The Right Way to Use Energy Drinks at Work
掲載:Predictive Safety
著者:不記載
ジャンル:健康学
エナジードリンクの飲みすぎ注意を喚起する記事。
zombieの単語は次の文章で出てくる。適度なエナドリの接種は脳の覚醒に役立つが、飲みすぎると逆効果になる点を「歩くゾンビ」と表現しているようだ。ただ、飲みすぎるとちゃんと死ぬので注意されたし。その場合はゾンビでもないし、歩くこともできないか。
ゾンビは関係ないが、コルチゾール覚醒反応というホルモン反応のために、起床後1-2時間はカフェインは役に立たないそうだ。通りで起きてから2時間経ったあたりで眠くなるわけだ…と納得した。
ジャンルは健康科学としておく。
検索条件2「zombie -firm -philosophical -DDoS -xylazine -biolegend -gender」
検索条件1との差分を調べ、「-narrative」「-Netflix」「-network」が排除した論文がねらい通りだったか確認する。
ゾンビデイズ: 統合失調症のせいで私がいかにカード持ちのアンデッドになるところだったか
原題:Zombie Days: How Schizophrenia Almost Made Me a Card-Carrying Member of the Undead
掲載:Schizophrenia Bulletin Open
著者:Susan Weiner
ジャンル:医学
どのキーワードで排除されたか不明。統合失調に陥った学生が、「敵が洗脳装置を使って自分をゾンビにしている」という"事実に気づいた"経緯をつづった論文。そんなものが論文になるなんて、まるで『ドグラ・マグラ』のようだ…。
「カード持ち」は日本で言うところの「手帳持ち」と同じ意味だろうか?
検索条件3「zombie -firm -xylazine -biolegend」
上記の条件で誤ってねらいのゾンビ論文を取りこぼしていないかチェックするために、こちらの検索結果もチェックしておく。ただし、ゾンビ企業とゾンビドラッグ、ゾンビ試薬、ゾンビPCは排除されるように設定してある。
フク、黙示録的な幽霊、そしてジュノ・ディアスの「モンストロ」における SF の具現化
原題:Fukú, Postapocalyptic Haunting, andScience-Fictional Embodiment inJunot Díaz's “Monstro”
掲載:Posthumanism and Latin(x) American Science Fiction
著者:Maia Gil’Adí
ジャンル:評論
「-gender」および「-philosophical」で排除。Junot Díaz’s作『Monstro』を中心とした、Junot小説全般の評論。
他者の修辞的使用: 現代ホラー映画における象徴的障害の分析
原題:The Rhetorical Use of the Other: An Analysis of Symbolic Disability in Contemporary Horror Films
掲載:Missouri State Universityに提出された修士論文
著者:Seth Hadley
ジャンル:評論
「-gender」および「-philosophical」で排除。ホラー映画における「他者」の概念の分析。
手法がアブストラクトで述べられている。たとえば、Kenneth Burkeの"identification"(同一化)、Jean-Francois Lyotard’sの"metanarrative concept"(メタナラティブ概念)、 Lennard Davisの"bell curve of normalcy"(正常性の正規分布)。あとで調べてみよう。
まとめ
検索条件1は評論、心理学、健康科学が一件ずつだった。
「ゾンビアバター」という概念は面白い。学術論文を漁るようになってしばらく経つが、論文内のゾンビは、ゾンビ企業やゾンビリベラリズムなど、人間ではないコト、つまり事象に割り当てられることも多い。それを指して私は「ゾンビ比喩」と呼んでいた。
しかし、「ゾンビアバター」はフィクション世界のゾンビ比喩に特化した概念のように思う。今回の論文、あるいは書評元の本においては、奴隷も大衆も人気者も精神疾患患者も、すべて必ず人間だ。さらに言えば、人間が喩えられている場合でも、たとえば哲学的ゾンビは概念的だが、歩きスマホ(smartphone zombie)は人間的だ。
ここで、概念と人間をそれぞれゾンビ比喩とゾンビアバターとして区別したら、意義が生まれるか?と私は考えている。
人間をゾンビに喩えるとき、そこにある程度の悪意があることは間違いない。しかし悪意をそのまま人間に向けることは憚られるから、ゾンビというアバターを介して自由に悪意を発露できるようにする。そういう心理があると考えている。
そして、フィクションはそういった虐げられて非人間化された存在を拾い上げ、ゾンビとして蘇らせている。そう考えれば、単にゾンビの要素があるからとゾンビに喩えられたケースと、加えて発言者の悪意を担うケースとを区別できる。それぞれ、「ゾンビ比喩」と「ゾンビアバター」という概念によって。
面白くなってきた。ちょっと考えてみよう。必要があれば、論文か、本も読もう。
しかし、今回はねらいの論文がなかった。