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【小説】見えないものには蓋をするんだよ

「見えないものには蓋をするんだよ。」

僕が中学生の時に先生が授業中に言っていた言葉だ。

その先生は白髪と白髭を生やしていて、
いつも藍染の作務衣に下駄という風貌だった。歳は70歳らしい。その出立ちで颯爽と廊下を歩く様子が雲に乗って移動している仙人のようだと、生徒から仙人先生と言うあだ名を付けられていた。

仙人先生は、やっぱり見た目通りで、
僕たちに日本史を教えてくれていた。
僕は、いかにも歴史上に出てきそうな風格ある先生から繰り広げられる日本史の授業が大好きだった。

授業中に仙人先生は、人生の教訓のような雑談を挟んでくれることも楽しみの1つだった。

「いいかい、君たちはいずれ大人になる。大人になるほど、何が正しくて何が間違っているのか、なぜか分からなくなる時がある。世の中は曖昧さと矛盾だらけだからね。だからそんな時は見えないものには蓋をするんだよ。」

そう言ってホホホと笑っていた。

しかし生徒たちには「見えないものに蓋をする」という言葉の意味が分からなかった。

「見えないものには蓋できなくね?」
「臭いものには蓋をしろの間違いじゃないか?」
「そうだったとしても使い方間違ってね?」

授業が終わるとそう言って仙人先生を馬鹿にしている生徒たちも数人いた。

だけど僕は、仙人先生は、歴史上の人たちを研究された方だから、きっと子供には分からない深い意味があるのだろう、大人になったらいつかわかる時がくるのだろう、そう思っていた。

そんな僕も、今日、仙人先生と同じ年齢となった。人生はあっという間だなぁ、そんなことがふと頭に過ぎると同時に、窓から差し込む朝日が眩しくて僕は目が覚めた。そしてベッドから起きあがろうした時、急に頭痛を感じ、そのまま意識を失った。

「もう、僕の人生は終わりか...。」

僕は、大学卒業後に就職したITの会社で、功績を認められ、取締役にまでなることができた。また、最愛の女性と28歳で結婚して、2児の子を持つこともできた。最近では、孫に会うのが楽しみで仕方がなかった。

人並み、いや人並み以上の幸せな経験を人生ですることができ、この歳になり人生を振り返ってみても後悔など微塵もない順風満帆な人生をおくれたと思っている。

もちろん、順風満帆な人生の中でも、
人並み、いや人並み以上の苦労もした。

会社で理不尽な境遇にあったことなどたくさんある。不正を隠すために書類を細工したり、記憶にないの一点張りで通し、負債を他の会社に押し付けたこともある。取締役になってからは、重大なミスや損失を隠すため、人員異動に勤しんだ。

朝から晩まで必死に働いた。
帰りはいつも深夜0時を回っていた。
学校行事には行ったことがなく、
欲望が我慢できず不倫を何度もした。
それがバレるたびに妻に謝罪をし、ブランドバッグを買ってやった。子供には小遣いを月5万やっていた。妻や子の欲しいものは全部買ってやった。

そう、僕は、臭いものには全部蓋をしてきた。蓋をしても蓋をしても次から次に人生に悪臭が立ち込める。でも臭いものに蓋をすればするほど、僕の地位は高くなり、報酬も上がっていった。妻や子は贅沢ができるようで幸せそうだった。

人生を通して世の中が曖昧で矛盾だらけで、さらには不条理だと言うことまでも身をもって経験した。

でも、仙人先生が授業でおっしゃったあの言葉の意味が人生が終わろうとしている今も分からない。

「見えないものには蓋をするんだよ。」

これはいったいどう言う意味なのでしょうか?

もしかして、あの時、他の生徒が言っていたように、ただの言い間違いですか?

だとしたら、臭いものすべてに蓋をした僕の人生は正しかったのでしょうか?

仙人先生。

何が正しくて何が間違っているのか、僕にはもう分かりません。

Fin.

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