夜になるとなんで暗くなるの? | ゆるりサイエンス#5
わが家の3歳児、いわゆるなぜなぜ期真っ只中である。
今回のタイトルもその一つ。皆さんならどう答えるだろう?
「おひさまが出ていると暖かくて明るいでしょう。それが昼間。おひさまが沈むと夜になって、おひさまの光が届かないから暗くなるんだよ」
と、まずは答えてみる。するとすかさず次の「なんで?」がやってくる。
「なんでおひさまがしずむの?」
ふむ、良い質問ですね。などと相槌を打ちながら、どう説明したものか私の頭はフル回転だ。
好奇心の芽は大事にしたいし、でも難しくしすぎてもいけないし……、えぇと、何の話をするんだったっけ……?
地球を含む太陽系の惑星は、太陽の周りを回っている。これを「公転」という。同時に、地球を含む惑星はそれぞれが「自転」といって、フィギュアスケートのスピンのようにぐるぐると回っている。地球なら、北極から南極を貫く軸をコマの芯棒のようにして、ぐるぐる回っているわけだ。
太陽が沈むのは、この「自転」に関係している。
「いま君が立っているここは、地球といいます。ボールみたいな形をしています。それがおひさまの側でぐるぐる回っています」
と、言ってはみるものの、なかなか3歳児にはピンとこないようだ。
この時ふと妙案が思いついた。これが我ながら良かったように思うので、似たような「なぜなに」に出会ったら試してみてほしい。
まず子どもの目線に合わせて座る。目の前に子どもに立ってもらう。
「君は地球です。お母さんはおひさまです。はい、回る〜」
自分は動かず(省エネ!)、子どもにはその場で、反時計回りにぐるぐる回ってもらおう。いま、公転は無視しているので、大人からは子どもが常に見えている。子どもからは大人が見えたり、見えなかったりする。子どもにとって、「おひさま」たる大人の顔が見える間は昼、見えない時は夜だ。
ぐるぐる回りながら、「ひるー! よるー! またひるー」とやる。これが結構楽しいらしく、我が家ではケラケラ笑いながら回っていた。
「こうやって地球が回るから、おひさまが出たり沈んだりするんだよ」
「ひるー、よるー!」
わが家はこれでひとまず決着したが、子どもによっては次の質問が続くこともあるだろう。たとえば、「地球はどうして止まらないの?」とか。
コマを回すと、やがて回転するスピードが落ちてそのうち止まる。コマが机や床の上で回っている以上、これは避けられない。コマと机の接する場所では摩擦力が働き、コマの回転を止めてしまう。フィギアスケートでも同じで、スケート靴のエッジと氷がガリガリと当たっているところで摩擦力が働いている。
では、地球の場合はどうだろう。
宇宙空間に地球はぽんと浮かんでいて、どこにも接してはいない。地球との間で摩擦力を発生させるものが何もないので、回転を止める力はどこからもかかることがなく、地球はずっと回り続けることができるのだ。
止める力が働かなければ、動き始めたものは延々とそのまま動き続ける。これを「慣性の法則」という。地球の場合、自転を止める力はどこにもないので止まることはなく、また何かが回し続けているわけでもなく、最初の回転をずーっと変えることなく、回り続けている。
はて。
では最初の回転とはなんだろう?
コマは誰かが回すことで回り始めるわけだけども、地球はどうやって回り始めたのだろうか?
太陽系はもともと、細かなチリや粒が集まったもやもやとしたガスの集まりだった。そのガスが次第に渦を巻き始め、渦の中心にどんどんチリが集まっていくことで太陽が、その周辺のチリの中から同じように渦を巻きながら地球や火星といった惑星ができたと考えられている。
太陽も地球も、そもそもが「渦を巻く」ことでできた星なので、出来上がった後もその回転を維持し続けている、というのが自転と公転の生まれた仕組みだ。
と、偉そうに書いておきながら、私はこれを知らなかった。
子どもの頃に疑問に思うこともなくここまで大人になってしまったのだ。いや、もしかしたら疑問には思っても答えまで辿り着けなかったのかもしれない。
今の時代、自転がどうして始まったかは検索すればすぐわかるのだけれど、今回は自分の知識を総動員して仮説を立て、その理解が正しいかを職場の廊下で宇宙物理学者を捕まえて確認してみた。
相手は迷惑千万だったかもしれないけれど(いや案外楽しそうでしたよ)、こうじゃないかな、と考える過程はとても楽しかった。
こんなふうに、子どもの「なんで? どうして?」から始まって、気づいたら大人の方が「え、どうして?」となっている現象、じつはとても素敵なことだと思っている。
いくつになっても知的好奇心を満たすのは楽しいものだし、子育ては「なぜなに」に触れるきっかけとしては最高だ。
このnoteでも、子どもと一緒に、とか、子どものために、ではなく、気づいたら大人が楽しんでいるようなサイエンスネタを届けられたらなと思っている。