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過去の自分への感謝
夏休みが明け、仕事が今日から開始。
ありがたいことに、明けて早々に大量に仕事が舞い込んできて、スロースターターを気取らせてももらえない。
本当にありがたい。
休み明けでぼーっとしている頭でも、機械のように案件を捌いている自分がいる。ミスもほぼないため、ロボットにでもなったようにこなしていく。
自分は器用なのかもしれないと錯覚する。
今年の夏休みは長く、娘もいろいろ行きたがってくれるようになり、毎日何かしら行けて楽しめた。
その一つに祭りがあった。人混みで昨年はほぼ何もできなかった苦い思い出があったが、今年は娘も動き回れたおかげでそれなりに堪能できた。
スーパーボール掬いを娘がやりたがり、流れで私も一緒にやった。子供の頃にやっただろうか?くらいの記憶でやってみたが、速攻で終わった。二つしか取れず笑
5歳の娘はなんやかんやで4個くらいとっていた。5歳の娘は私に似なくて多少は器用なのか、私が不器用すぎるのか。
結果、オートモードのように仕事を終えて、
周りから
初日からよくそんなにできますね。さすが
と言われる。
馬鹿にされているわけではなさそうなので、
『さすが』だけを切り取ると、仕事上では、器用にこなしているように周りから見られるほうなのかもしれない。
ただ、スーパーボールに嘲笑われるくらいに私は不器用だ。電話対応も、案件調整も、資料作成も、ファシリテーションも決して昔からうまくできたわけでもない。あくまで、これは今までの積み上げ。慣れているだけのオートモード。
新人時代に上司に言われたことがある。
できないのは問題じゃない。
やってれば、そのうちできるように大半のことはなる。
できないのは、やってない、やれてないからだ。
これは過去の自分のおかげなのだろう。そう思うと自分の今までの経験にも感謝ができる。少なくとも日常業務くらいのことは、やってきたのだろうと思える。
本音はもう少しゆっくり仕事始めしたかったのだけど。過去の自分はどうやら、私にもっと働けと言っているようだ。
オートモードになったことはできること。できないことをやっていかないとスーパーボール掬いみたいに子供にも劣ってしまう。
過去の自分から与えられたものは大事にしながら、先の自分に感謝されるように日々を大事にしようか。