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当たり前が変わる過程と歴史を履歴参照のように見ていく日々

システム業界に携わっている人で、それがある程度の期間、年単位で利用されるシステムの場合、
経験が必ずといって良いほどにあるのではないかと思うのが、
レガシーシステム、ブラックボックス化したシステムとの遭遇です。

それが古くなればなるほど、未知との遭遇感は強くなります。若い人なら尚更でしょう。

なんでこうなってんの?
と、そこから意味がわからない。でも、それを当然のように社内のベテランさんたちや、お客様は話をしてくるので、まるで言葉の通じない外国に来たような感覚に陥ること。

私の話をするとインボイス制度に関わるシステム製品を扱う仕事をしていることもあり、ここ最近は日々未知との遭遇です。
冗談抜きで新規案件の半分以上がそんな話が溢れてしました。
法改正や新制度の影響で、老朽化したシステムでは対応しきれず、開発者もひどい時は飛んでしまっているケースも少なくないです。
ブラックボックス化して、手がつけられないなんてことも多数あります。

残念ながら、お断りする案件もある中で、
思うことがあるのは、

今の仕組みも何年かしたらこうかるかもしれない、というよりも、こうなるのは確定しているのではないか?という不安。

こういった案件でら詳しく話を聞いていくと、ブラックボックス化した手を入れすぎてめちゃくちゃなもの、だけではないんですよね。

むしろ、その業界のその時代を考えれば、確かにこういう仕組みを作るのも納得がいくケースもあり、その会社単位で見れば、これが当たり前だっのでしょう。

それが時代の変化とともに、やりかたも価値観も全てひっくり返ったような感じになり、
ただ、その時代に働いていた人からすると、おかしいのは社会の方だと言われる方が出てくるのも、仕方のないことなのかもしれません。

AIやそれこそ、システム的な種類は多様性というにはあまりに無数のサービスが出てきて、それが世の中に投下されて、利用されています。
これがスタンダードと私たちも自信を持って売っているものが、何年かして、めちゃくちゃなシステムと言われるようになるのかもしれません。

今、最新技術なんて話題のものも1年経過すれば、そんなんあったね、と言われる世の中。

今の当たり前を疑うことも、また、その時に植え付けられた先入観き染まった人もいることを、認識してこれから先を考えていかなけらばいけないと感じました。

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