突然奪われた日常 - 入院(4/4)
義母と出ていった妻とは顔を合わせることなく、子供達からの報告で知った私は、嫌な予感がしていたので、子供達と近くのビジネスホテルに泊まることにし、23時半頃ホテルに到着した。移動中息子も泣いていた。本当に辛かった。
ホテルではスマホを機内モードにして、この夜だけは夜更かしOKで、子供達は眠たくなるまでSwitchで遊び続けた。その夜、義母から朝までメールが届き「娘がそっちに向かった。今日だけは泊めてあげてください」と。嫌な予感は的中した。何もなかったかのように妻は私にLINEを送り、「戻ってきちゃったw」と。私は既読にせず無視した。その間もずーっとLINEは届き続けた。
私は義母と話をして翌朝10時半に自宅に戻ります。みんなで集合して改めて説得しようとなった。その話をしてるのは朝の6時過ぎ。義母も限界であろう。翌朝ホテルで子供達と簡易的な朝食をいただき、約束の時間にあわせるようチェックアウトした。車に乗り込むとすぐ、義母から電話が鳴った。出てみると、泣きながら「いま病院に連れてきたから」と。義弟にも手伝ってもらい、騙して病院に連れてきたらしい。その事もそうだし、玄関先でパニックになって立ち上がれなかったことなどを聞いた。私も「ごめんなさい」と、ただ泣くしかなかった。
自宅に戻り、保険証などを用意していると、義母からメールが届いた。入院の診断がくだったと。実の娘が精神科に入院する、自分の妻が精神科に入院する。数日前まで普通に幸せだったのに、何かをきっかけに当然闇が表沙汰になり、あっけなく崩壊する。だれが、こんなことを想像できただろうか。病名はまだ確認できていない。それでもスーパー救急が必要と判断しからには、双極性障害もしくは統合失調症であろう。
自分の妻が?あの妻が?恐らく長い時間二面性を持ち合わせ、うまく妻を演じてこれたんだろう。浮気は発症前後どちらなんだろう。借金と浮気は関係あるのか?ないのか?病気のせいだと信じたい。信じたとしても自分は許せるのか。いろんな葛藤があるなか、離婚届を提出した。義母には時間を共に過ごすことはできないけど、元妻の19年連れ添ってくれたことに感謝して、今回の入院費は全額背負うと伝えた。
寛解を迎えることができるかはわからない心の病。実に8割以上の発症者が再発し入退院を繰り返す。当人が一番辛いというのはわかる。でも、躁病時にはある意味自我もなく平気で人を傷つける。支える周りの人には最悪な未来しかない。私も仕事と家事、養育を一人で背負う人生を選択した。スマホのアルバムを見るたびに涙が止まらない。贅沢は言わない、なんでもない日常を返してほしい。ただそれだけなのに、それは叶わない。
元妻は2週間から最長3か月で退院してくる。服薬がうまく効いてれば恐らくは軽いうつ状態になってて、後悔の念にかられてるだろう。そのあとまた、躁病は発病し何事もなかったかのように自宅に押しかけてくるだろう。それでも息子は母を待っている。娘は逆にトラウマとなり離れたがっている。今度はローンがたんまり残った家の処分と引っ越し、転校が待っている。
不幸なことと幸せなことは振り子だと思っている。こんなにも最悪なことが起きた以上、子供達の未来はきっと明るいものだと信じてる。前を向いて進もう。元気があれば何でもできる!
何年か後、これを読み返して私たち家族がまた心から笑える日が来る事を願っています。最後まで読んでいただきありがとうございました。