きらきらしている人を見て

きらきらしている人

きらきらしている人を見ると、素敵だなぁと思う。

アイドルとか、女優とか、そういった類の、舞台で華やかに活躍している人たち。まっすぐに前に進んでいる、イケイケの起業家や若くして成功したクリエーター。身近な人たちできらきらして輝いている人も、私の周りにはたくさんいるのだけれど、今日はなんとなくこういう人たちに対して思っていることを書きたくなったので書いてみる。

実をいうと、本気で、前者のような華やかな世界に憧れていた時期があった。まだ自尊心が高く、自分はなんだってできると思い込み、なんなら"フツウ"よりもイケてるんじゃない?なんて思っていた時代。小学校4年生くらいに、自分が全然かわいくないじゃん、って気づいちゃうくらいまでの期間。

それまでの間、自分自身を大切に思えるように、自分に誇りを持てるように育ててくれた両親や祖父母には感謝している。しかし、日本に生まれて、父親の転勤がきっかけで四つもの小学校に通った私は、小さいながらもいくつかの"日本社会"を知る機会があり、その中ではどうやら自分を好きだといえるくらい、自分の容姿がよくないことに気づいてしまった。モデルと言われる職業に就いている同世代の子ほど、細身ではないし、目が大きくない。顔は大きいし、色も黒っぽい。

人に注目されたい、という欲が強かった私は、人を惹きつけるものを自分が持たないのでは、と気づいたとき、なんだかとてつもなく大きな渦の中に一人で放り込まれた気分になった。いやいや、どれだけ自分に自信持ってたの?と笑っちゃいたくなるのだけれど、そのときは、本当に歌手とかアイドルが素敵だと思っていて、自分も彼らのようになりたいと強く強く思っていたのである。

このコンプレックスと、ちょっとした家族のことがきっかけで中学にあがるくらいにはわたしの暗黒の時代が幕を開けるのだが、そのことについてはとりあえず横においておく。


きっかけはSexy Zone

きっかけは本当に、些細なことだった。

ハイデルベルクに住んでいたジャニーズがいる、ということを小耳に挟んで、検索してみた。「Sexy Zone」というグループに属する「マリウス葉」という情報をもとにYoutubeで検索をして、彼の出演する番組やライブ映像を見始めたのがいけなかった。

キャッチーな歌、適度な親近感を醸し出すそれぞれのキャラクター、そして圧倒的なギャグセンス。気がつけば、数時間Sexy Zoneにまつわる映像を見ている自分がいた。やることは山のようにあるのに関わらず、だ。(ちなみに、ついでにKing&Princeというグループの数人のメンバーについても、いくつか動画を見たので詳しくなった。)

最初に断っておくと、いわゆるセクシーガール(Sexy Zoneファンの通称らしい)になったわけではない。結構芸能人や歌手に関しては、集中的に情報をインプットして(=歌を聴いたり映像を見たりして)、パタリとやめてしまうタイプである。現に、もう動画を見るのはやめている。

彼らがかっこいいとか面白い、という理由で惹かれたのもあるけれど、いくつか個人的なエピソードを読んだりしているうちに(例えばマリウス葉がドイツから日本に家族で拠点を写した、とか菊池風磨が二時間睡眠で大学受験とアイドル業を両立させた、とか)、中学・高校・大学時代という人生に一度しかない、いわゆる青年期を、こうしてアイドルとして生きることを選んできた、という事実の裏に隠れている、見えない部分に興味を持った。

彼らと共演している番組で、嵐の相葉くんが、イージーモードに生きているかなんかでいじられて、笑いながら叫んでいた言葉にハッとした。

「俺だって、今までに血反吐吐くような思いをしてきたんだからな!」

Sexy Zoneの5人もすっごくきらきらしていているけれど、おそらく彼らも相葉くんと同じように「血反吐を吐くような」努力をしてきているんだ、と思った。

そして、乃木坂をはじめとする女性アイドルグループも、最近売れているいくつかのバンドも、有名になって自分たちの確固たる位置を築きはじめたクリエータ業に携わる人々も、いつか私が憧れていた歌手も、みんなみんな、きらきらするためにいろんなものを犠牲にして、歯を食いしばってきたんだというきわめて当たり前の事実を再認識することになった。


みんなみんな

私が思う「きらきらしている人たち」が歯を食いしばって耐えてきたいろんなもの。それに思いを馳せることをずいぶんしていなかったなぁ。

昨日、出す予定だった手紙をポストに投函し忘れてたことを思い出すような感じで、ぽっと心に浮かんだ。

きらきらしてる人を、素敵だな、と思うのはほぼ直感的な感情だと思っていた。だけど、彼らが耐えてきたもの、捨ててきたものに改めて目を向けることで、彼らの見えない努力が、無意識下で私たちに何かを働きかけているのかもしれない、というように思えてきた。

テレビでにこにこしているアナウンサーも。雑誌でニュアンスな笑みを浮かべるモデルも。ドラマで明るく生きている男優・女優も。サッカーゴールに向かって駆けているサッカー選手も。リンクの上でくるくると舞うスケート選手も。メディアのあちら側で、輝いているように見える、あの人も、この人も。

華やかな舞台できらきらしている人に対する僻みや羨ましさというものが、全くない訳ではない。あちら側にいけたら、楽しいだろうな、くらいに思うことはある。テレビとか面白そう、って思うこともある。それでも、結局、まあ自分は今の自分でいいや、とか、いつかまあきっかけがあればいけちゃうかもね〜ふふふ〜っていって、そう思っていたことも忘れてしまう。それくらいのものなのだ。

なんで僻みを持たないのか、考えてみると、彼らほどの覚悟を持てないと、持つ気もないと、自分でわかっているからだと思う。小さい頃の私は、素敵だな、と思える彼らが、ずっとずっと抱いている覚悟を、持っていなかったし、持とうともしていなかった。だから、私が華やかな世界に行けなかったのは、夢が破れるとかそういうこと以前の問題だったのだ。


覚悟とこれから

あとから、Sexy Zoneの5人が24時間テレビのプレゼンターを務めていたことを知った。正直にいうと、24時間テレビを最後に見たのがいつだか全くもって思い出せないほど番組自体に興味はない。しかし、そのプレゼンターに選べれるのが、すごいことだってことくらいはわかる。

ここまで来るのに、7年、5人で頑張ってきた。いつかメンバーの誰かが、言っていた気がする。青春時代と言われる、貴重な時間を、先の見えない不安とともにレッスンに投下し続ける日々。それをしてでも、アイドルをやりたい、という強い覚悟。

有名になって、良い大役がもらえてよかったね。覚悟を持って続けてきたことが実を結んでよかったね。もし彼らに直接会えたら、きっとこう告げる(そんな日こないぞ、という声が予想されるが、そこはご容赦願いたい)。だって、それほどの覚悟を投じて花が咲かない人だって、ごまんといるから。それでも、花を咲かせるほどの運と覚悟を持っていたことを、素直にすごいと思うし、そういう彼らがもっともっと、自分たちの夢を叶えられたらいいなと思う。


ふと、自分を振り返る。

私は何に対して、覚悟を持っているの?


昔の経験から、「心の健康」について、認知のメカニズムから何かを変えたいという思いは強くある。

考え方次第で「幸せになれるはず」の人々が、少しのきっかけで「幸せ」だと気づける。その一連の流れに、なにかしら関与できたらいいなと半ば信念のように思っている。

でも、少なくとも、私が素敵だと思う人々みたいな覚悟を、こだわりを、まだ自分は持てていない、というのが事実だ、と感じる。


自分の生きる目的を探すのが、人生の生きる目的だと、収容所を生き延びたユダヤ人医師 V.フランクルはいう。「人間は価値を志向する存在」という彼の考え方はすっと納得がいくけれど、この発言に関しては、私は違うと思っている。

皆が皆ではないけれど、自分で生の目的を手繰り寄せ、それに近づくため、それを叶えるために生きる人もいる。そして、そういった人々にとっての生きる意味は、その目的から自分自身を離さず、自分の命を、強い覚悟を持って燃やしていくことなんだと思う。

覚悟を持つ対象が一生涯変わらない、なんてことはないと思うけれど、自分の生き方を規定する大きな要因にはなるだろう。

そんな覚悟を持てるものを、そして強い覚悟を、自分も早く持てるようになりたい。そのためにも、いろんなことを感じ、吸収したい。


そんなきらきらしている人たちから、考えさせられたこと。

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かからはや わさ
いつもより少しだけ美味しいチョコレートを買って、あなたに感謝しながらそれを味わって、つらつら思いを書き連ねます。ありがとう。