【呪術廻戦】「どんな女がタイプだ?」の話
「どんな女がタイプだ?」
呪術廻戦の読者であればピンとくるこのセリフ、作中では京都校の東堂葵と特級呪術師の九十九由基が繰り返し使うフレーズだ。
各キャラクターの説明は割愛するが、東堂は「性癖にはその人間のすべてが表れる」という思想の持ち主で、この質問への回答を聞けばそいつがどんな人間だかわかるとまで言う。
読者ならわかると思うが東堂自体がだいぶめちゃくちゃな男なので、この発言についても一見めちゃくちゃに見えるかもしれないが、俺はその持論を結構支持している。というより、似たような持論を持っている。
今回はその「どんな女がタイプだ?」という質問について俺が考えていることを、主観と推測満載で述べていきたいと思う。
東堂が欲しい答えについて
東堂自身はこれについて「タッパとケツがデカい女」と述べており、東堂に親友(ブラザー)と認められた主人公の虎杖も同様の回答をしている。
作中では東堂がこの質問を投げて回答を貰うシーンがかなり少ないため、描写からは「こいつ自分と同じ好みの奴しか認めないのか?」と思われたりもするだろうが、俺の解釈ではそうではない。
あくまでも推測になるが、東堂は「即答できるか」と「具体的に答えられるか」と「はぐらかさないか」を見ているのではないだろうか。
結果として嗜好が同じだった虎杖を親友(ブラザー)扱いしてはいるが、同じ回答を絶対にしないであろう乙骨のことも認めているあたり、東堂の言う「女の趣味がつまらん奴」とは「好きな女のタイプを聞かれても曖昧な回答しかできない奴」のことを指しているのだと思う。
正直なところそんなことを聞かれて自信満々に即答できる男子高校生がどれだけいるかという話で、大抵の男子高校生ならニヤニヤした回答で終わると思うので「つまらん奴」になってしまうのだろう。また、結果的にはぐらかしたような回答になった伏黒に「退屈だ」と言った点についても、上記の意図があるとしたならば腑に落ちる。(伏黒については後で認めているあたり、即答した点はよかったのでは)
俺の持論を重ねていくと、女のタイプの話に限らず「質問に対してハッキリと腹の据わった回答ができるかどうか」という点には、その人の人間性がそれなりに反映されると思う。
ましてや東堂の質問のように「好きな○○」についての質問であれば尚のことで、好きなものくらい堂々と具体的に答えられない人間との付き合いが面白いなんてことがあるのだろうか。
質問には意図がつきものなので、それをただはぐらかしてかわそうとするのもなんだか「いけすかない奴」「自我がない奴」「器量のない奴」だと思えてしまう。
質問に対して形式的に回答になっているかどうかや内容の正誤はさして問題ではなく、相手が自分の人生の中で自分の中に見つけた答え、それをコミュニケーションの中で出してきてほしい。話はそれからだ。
それが出てこない奴とは、いくら会話を重ねても空を掴んだように手応えがない。その手応えのなさを人に感じさせる人間が「つまらん奴」なのだ。
俺は常々そう思っているので、東堂の言葉にもそういった意図が含まれているのではないかと邪推した次第だ。
質問が「どんな女がタイプだ?」であることについて
東堂葵というキャラクターは上半身が裸だしめちゃくちゃな性格ではあるが、戦闘シーンを見ても頭はだいぶ切れるし、説明シーンから見てもなかなかにロジカルな男だ。
九十九からの受け売りである「どんな女がタイプだ?」という言葉も、出会いの経緯や思い入れもあって直感的に使ってはいると思うが、論理的に使えると判断して使っている節もあるように見える。(どうしても推測が強くなるがご勘弁を)
「性癖にはそいつの全てが詰まってる」はさすがに思想が強すぎるとは思うが、それは若気の至りとしよう。そういったくだらないコミュニケーションからでも相手の人間性は汲み取れるし、そういったくだらないコミュニケーションでも自分の人間性を相手に伝えられるのだということを東堂は理解しているのだと思う。
娯楽の話や勉強の話では、個人の持つ知識量に差があるせいで会話が成り立たないことがあるが、男であれば「好きな女のタイプ」の話は万人共通であり都合がいい。相手をつまらない人間かどうかをまず見定めたいという思考を持つ東堂にとって、この一言は非常にコスパがいいのだ。
また、東堂は性癖と称しているが、そこまでではなくとも「女のタイプ」の話をするのはなんだか小恥ずかしいところがあるので、逃げるために質問自体をはぐらかしたくもなる。
東堂は「ちぃと付き合えよ」と肩を組まんばかりに「逃げるなよ」と釘を刺す意味でもこの質問がベストだと感じているのではないだろうか。
この質問への回答からわかることについて
1つの質問についての回答だけで人間性が全てわかるというのは極端だが、人間の価値観がそこに表れるという点は少なからずあると思う。場面こそ違うものの、採用面接なんかはまさにそれを見るために行うものだと思う。
東堂にそういった考えはなさそうだが、俺は個人的にこの回答には「自分のヒキ(魅力や長所)を自覚しているかどうか」が如実に表れると見ている。
というのも、この質問への回答には、男女問わずある程度の年齢になると経験ゆえに「より具体的な交際へのイメージ」が嫌でも含まれてくるはずなのだ。高校生くらいの未熟な人間には欲望の言語化程度の意味合いしか持たない回答でも、人間関係から多くのことを学んで自己理解を重ねてきた人間にとってはそうでない。
人間関係とは極論「自分が何をするか」と「相手が何をするか」しかないが、相手が何をするかはコントロールできないとわかると、どうしても自分自身に目が向くことになる。そのステップを踏んで己に向き合ってきた人間は自分のヒキを理解しているので、交際という人間関係の中で自分のヒキがどう発揮されるかを具体的にイメージできる。
それが回答に反映されてくるとなると、自分に向き合ってきた経験値がないと高校生レベルの回答しかできず、結果当然のように「つまらん」「浅い」などと思われるのではないだろうか。
こういった話は恋愛経験の有無や多寡で語られがちだが、それはあくまでもきっかけに過ぎず、結果的にはどれだけ自分自身に向き合ってきたかという点が重要であると俺は思う。
「タッパとケツがデカい女が好き」と述べる東堂は、体格が良くかなり鍛えている。背の高いグラマーな女性が隣に並んでもきっと可愛く見えるだろう。東堂自身がそこまで考えているのだとしたらあまりにも高校生らしくないが、もしもそうだとしたらとても素晴らしいことだ。
総括
長くなったのと持論・推測てんこ盛りになったのとで、大変申し訳なく思うが、この話は見た目以上にとても深い話だと俺は勝手に思っている。
というのも、実際に「彼女が欲しい」と嘆いている男性がこの質問に腹の据わった具体的な回答ができているのを見たことがなく、東堂だけではなく女性たちからも「つまらん」と思われている可能性が否めないからだ。
人を笑わせるスキルを持たないという意味での「つまらない」ではなく、人間として浅いから興味が持てないという意味での「つまらない」は致命的なので、男たちは改めて「どんな女がタイプだ?」という問いについて深く考えていくべきだと思う。
ちなみに俺は部屋とカバンの中が散らかってる女がタイプです。