時間旅行へようこそ
重力によって、わたしたちは地球の上に立っています。
上から下へと落ちてゆく力。あるいは引っぱる力。
あらゆる物体は、高いところから低いところに移動します。
奇遇なことに、エネルギーにも同じような性質が適応されますね。
そして、時間という概念に囚われたわたしたちは、過去から未来に向かって落ちているようです。
まるで、墜落する飛行機のように。
わたしたちが認識するこの世界において、あらゆる有機物、あるいは無機物がこの力の影響を受けています。
過去から未来へと一方行に進む力。(この力を「時力」と呼ぶことにします)
時力は、有機物を老いさせ、無機物を劣化させます。花は枯れて土へと還り、街はさびれていくように。
でもだからといって、時力に抗えないわけではありません。
とりわけ、ヒトはそれが得意なようです。
鳥が空を飛ぶことができるように、わたしたちは「想像力」という翼をもってして、自由に時間を行き来することができます。
たとえば、幼いころに転んで怪我をした記憶を呼び覚ませば、それは過去への時間旅行であり、10年後の世界を想像することは、未来への時間旅行となるでしょう。
といった具合に、時力の影響というのは逃れられない絶対的な力のようであって、その抜け道はレンコンの穴のように数多く存在しています。
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さて、物理学の世界では「エントロピー(無秩序の度合い)」という概念があります。
コーヒーをこぼすことはあっても、こぼしたコーヒーが勝手にカップに戻ることはない———
エントロピー増大の法則は、この世界がどんどん煩雑に、カオスになっていくというものです。
ただ、これはあくまで、時力が過去から未来に向かっている前提の話に過ぎません。
もし仮に、時力のベクトルが「過去→未来」ではなく、「未来→過去」と考えてみるとどうでしょうか。
つまり、ほんとうの時間とは、明日から昨日に向かっている、と。
死人が命を受け取って老人となり、赤子へと成長し、母胎に吸収される———
無数に枝分かれした生命のネットワークは、ひとつの(原初の)生命に収束されて、やがてそれさえもなくなる———
宇宙の熱的死から、ビックバンに向けて宇宙が縮小してゆく———
このように捉えると、エントロピーは減少してゆく(世界はシンプルになってゆく)ことになり、最終的には森羅万象が「1」に統合されるというこの上ない美しい結果になります。
天動説から地動説になったことで太陽系の配置がシンプルに表現できるようになったように、時間に対するパラダイムにおいても同じことが起こりえます。
この世界は
未来に向かってカオスになってゆくのではなく、
過去に向かってシンプルになってゆく。
宗教的背景や科学的根拠を度外視すると、こういうコペルニクス的転回がありますね。
少なくともわたしは、この方法でいつも時間旅行を楽しんでおります。
こどもたちの描く絵があんなにも素晴らしいのは、やはり大人よりも遥か先を生きているからなのかもしれません。
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