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令和7年に考える平和について〜原爆ドーム見学体験記〜(後編)

皆様、こんにちは。焼鯖です。

今週は、「令和7年に考える平和について〜原爆ドーム見学体験記〜(後編)」と題して、原爆ドーム及び平和記念資料館のレポートの後編をお届けします。
1/10(金)にお送りした前編の続きとなります。

今回は、平和記念資料館のレポートと、核兵器に対する個人的な考えを記していきます。

1.平和記念資料館について

平和記念資料館は、原爆ドームから850mほど離れている場所に位置する施設です。
徒歩3分ほどで行けます。
ちなみに原爆ドームはどうやって行くのか?
広島駅南口から路面電車に乗り、原爆ドーム前駅が最寄り駅となります。
当駅で降りたら、すぐ側に原爆ドームが見えます。
平和記念資料館に話を戻します。
入場料は、

・大人:200円(30名以上の団体の場合、1人当たり160円)
・高校生:100円(20名以上の団体の場合、無料)
・中学生以下:無料
・65歳以上:100円(公的証明書等年齢を確認できるものを提示した場合に限る)

です。私は、200円払いました。

最初、投下直後の広島の様子の写真や絵のほか、原爆によって亡くなった方の遺品に展示を見学しました。
展示スペースの入口には、ショックを与える展示物がある旨の注意書きがありました。
見学して思ったことは、衝撃的だった。この一言に尽きます。
顔半分が爛れた方の写真、放射線の影響で舌から出血した方の写真、熱線によって消された人の影がこびりついた建造物跡、亡くなった方のボロボロの衣類など、挙げればキリがありません。
中でも、特に衝撃だったのが、路面電車から出てくる黒焦げの死体を描写した絵、亡くなった方の弁当箱です。
この弁当箱の中身は、米、麦、大豆の混合ご飯と油炒めだったそうです。
しかし、灰になった物体が見えるだけで、何が入っているかを初見で判別することは難しいです。

館内は、特に撮影禁止ではなかったのですが、思わず手と言葉が止まってしまいました。
写真を撮ることなど忘れるくらいです。
というか、原爆によって亡くなられた方のことを思うと、写真を撮るなど罰当たりな気がしてできませんでした。
展示スペースを出ると、数10m程の休憩スペースのための廊下がありました。
大概の博物館の場合、こういったスペースでは、見るものを見終わったので、多少の会話はあっても良いものですが、ここでは違いました。
私含め見学に訪れた人々は、皆無口。俯きながら出ていく人ばかりでした。
また、外国人観光客も多く訪れており、中にはベンチで泣き崩れる方もいました。
それくらいのインパクトを与える場所だということです。
見学を終えた直後は、本当に言葉が出なくなります。

その他の展示物としては、兵器開発の歴史や戦後の軍拡競争の歴史が書かれている年表がありました。
また、平和記念資料館の外になりますが、2023年のG7広島サミットに出席した各国首脳の写真を見れる施設もあります。


2.核兵器について思うこと〜平和とは何か?

私は、核兵器がこの世から無くなる日を願っています。しかし、無くなって欲しいと思うことと無くせると考えるのは別ではないか、とも思います。
昨今、日本では近隣諸国との関係やアメリカの軍事戦略の変化から、核武装論が叫ばれ始めています。世界唯一の被爆国として、反対論が存在することは必然ですが、核武装論を主張する、いや主張せざるを得ない立場も理解できます。
広島や長崎の惨状が世界中に伝えられていながら、なぜ核兵器は、今も存在し続けているのか?
寧ろなぜ原爆投下当時から、弾頭数や保有国が増えてしまっているのか?
その理由は、至る所で局地的な戦争は起きつつも、1945年以降、世界大戦が起きていない背景には、核抑止論が機能していたためです。
「核なき世界を」と言葉にすることは誰でもできます。誰だってそうなれば良いなぁと思います。
しかし、大事なのことは、核を撃たせないこと、踏み止ませることです。撃ってしまったらもう終わりです。
いかに撃たせないために、日本はどう立ち回るべきか?理想論ばかり語らず今一度防衛について考えてみませんか?

次回の定時投稿は、1/31(金)の予定です。今のところ内容は未定です。本の紹介でもしようかな…?では、また👋

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