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憲法に思う
明日でパレスチナのハマスと呼ばれる武装組織がイスラエルに奇襲を行ってから一年が経過することになる。ceasefire 停戦は何よりも求められていることだと思う。
話は変わるが、あと一カ月足らずで日本国憲法の公布から78年になる。降伏文書の調印からは79年が経過した。現在の日本国憲法は公布からからあと22年で1世紀経過することになる。生きていたら私は75歳の後期高齢者を迎えているだろう。
憲法の改正が早急に必要とは確かに思わない。しきりに、自衛隊の明記が唱えられたりするようだが、仮に憲法を改正するとしても、本来そんな必要はない。寧ろ、国連憲章の2条4項
すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。
が守られない事態が生じ、第39条
安全保障理事会は、平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在を決定し、並びに、国際の平和及び安全を維持し又は回復するために、勧告をし、又は第41条及び第42条に従っていかなる措置をとるかを決定する。
に基づき、平和の破壊や侵略行為の存在が決定される事態が生じ、国連安保理から勧告が出され、第40条
事態の悪化を防ぐため、第39条の規定により勧告をし、又は措置を決定する前に、安全保障理事会は、必要又は望ましいと認める暫定措置に従うように関係当事者に要請することができる。この暫定措置は、関係当事者の権利、請求権又は地位を害するものではない。安全保障理事会は、関係当時者がこの暫定措置に従わなかったときは、そのことに妥当な考慮を払わなければならない。
に沿って暫定措置に従うことを要請し、その上でそれに従わない場合に、第41条
安全保障理事会は、その決定を実施するために、兵力の使用を伴わないいかなる措置を使用すべきかを決定することができ、且つ、この措置を適用するように国際連合加盟国に要請することができる。この措置は、経済関係及び鉄道、航海、航空、郵便、電信、無線通信その他の運輸通信の手段の全部又は一部の中断並びに外交関係の断絶を含むことができる。
の規定によって、兵力を伴わない措置を決定し、それでも不十分な状況がある認められる場合に、第42条
安全保障理事会は、第41条に定める措置では不充分であろうと認め、又は不充分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍又は陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。
に基づき、国際平和及び安全の維持、またはその回復に軍事力による示威や封鎖が必要とされる検討がされ、第43条の1〜3項
1. 国際の平和及び安全の維持に貢献するため、すべての国際連合加盟国は、安全保障理事会の要請に基き且つ1又は2以上の特別協定に従って、国際の平和及び安全の維持に必要な兵力、援助及び便益を安全保障理事会に利用させることを約束する。この便益には、通過の権利が含まれる。
2. 前記の協定は、兵力の数及び種類、その出動準備程度及び一般的配置並びに提供されるべき便益及び援助の性質を規定する。
3. 前記の協定は、安全保障理事会の発議によって、なるべくすみやかに交渉する。この協定は、安全保障理事会と加盟国との間又は安全保障理事会と加盟国群との間に締結され、且つ、署名国によって各自の憲法上の手続に従って批准されなければならない。
特に3項を満たして、安保理決議に基づいて1991年1月頃クウェートに侵攻したイラクに対し、多国籍軍による武力が行使されたような可能性が生じる例外的状況が起きた際に、国連憲章との整合性のもとで、集団的自衛権の行使が、原則として個別的自衛権の行使に留まる日本の自衛隊の行動を、限定的に国連の平和維持軍として集団的自衛権の行使に加わることを可能とする憲法の改訂の可能性を、慎重に審議することが必要なのだと思う。加えて、国連とそのような例外的状況が生じた際の協定を結ぶことが必要になるはずなのだと考える。慎重に議論を展開するなら、恐らくこの地点での検討が憲法審査会では必要になる。
敗戦国となって、憲法を改正した経緯のある国家として、改めて縷々述べてきた憲法9条の改訂が検討される際、「主権者」から「象徴」へと書き換えられた天皇の位置付けについても、同様に改訂される必要が生じてくると思う。
近代立憲主義の観点に立てば、唯一身分制度の名残りのように残された天皇及び皇族を、憲法において国民に位置付け、その上で日本の歴史や文化の継承という観点から、天皇制の存続を検討することは、重要な政治課題とされるのではないかと思う。それは主権者の合意と責任においてなされることが大前提とされると思うが、そのような機運が熟するには少なくとも20年程度の時間は必要なのではないかと思う。必要ならば、時間はもっとかけてもよいのだろうし、10年程度の期間で結論が出るのなら、それもまたよいのだろう。
その上で、日本国憲法の公布、あるいは施行から100年という節目を、新たな憲法改訂の目処と想定しておくくらいが、国民的合意形成には適当ではないかと安易に私は考えていた。いずれにしろ、こうした審議が立法府で丁寧に積み重ねられるように、選挙において適切な国会議員が選出されることはとても重要なことに変わりない。