国連改革の前に日本政府が取り組むべきは…。
1990年8月2日、サダム・フセイン大統領の下イラクのクウェート侵攻は始まった。これには米国が水面下でその様に仕向けた話もある様だ…が、このイラクのクウェート侵攻を受けて国際連合により認可された34ヵ国の諸国連合からなるアメリカ、イギリスをはじめとする多国籍軍が、イラクへの攻撃態勢を整えることになった。
その後同年11月29日に武力行使決議であった国連決議678を、当時の米ソが一致して決議し、イラク政府に要求したこの決議履行への意思が無い事を確認したのち、多国籍軍は国連憲章第42条に基づいて1991年1月17日にイラクへの攻撃を開始した。このとき日本の自衛隊は多国籍軍に参加することはできなかった、あるいは参加しなかった。
それは日本国憲法の平和主義を体現したものだったかもしれないが、一つのマイルストーンでもあったのだろう。それから既に32年が経過した。調べると、日本が国連に加盟したのは1956年12月18日のことで80番目の加盟国だった。前年に自民党が結党し、鳩山一郎内閣の下であった。日本が国連加盟国となってから34年が経過した地点で多国籍軍によるイラク攻撃は始まった。
外務省によると、国連は加盟国に負担することが義務づけられている分担金と、各国が政策上の必要に応じて拠出する任意拠出金を財源に活動している。国連分担金は、国連憲章上、加盟国が負担することが義務付けられている国連の活動を実施するための経費であり、その経費の中には、政務、軍縮、国際司法、経済社会開発、人権・人道等の分野において加盟国の決定(マンデート)に基づいて国連が行う活動を支えるための通常予算分担金がある。これとは別に平和維持活動(PKO)を支えるためのPKO分担金の2種類があり、国連通常予算は、従来の二か年予算に代わり、2020年から単年度予算(1月1日から12月31日)が導入され(2028年に包括的なレビューを実施予定)、2023年の通常予算は約34億ドル、日本の分担金額は約2.4億ドルになっている。PKO予算は単年度予算(7月1日から翌年6月30日)で、2022/2023年PKO予算は総額約64.5億ドルであり、この総額から算出した日本の分担金額は約5.2億ドル、日本は国連加盟国中、米国及び中国に次ぎ第3位の分担金負担国(通常予算、PKO予算とも現在の分担率8.033%)となっている。
長くなったが、日本は必要な金は出している国となっている。しかし、国連総会で採択された条約等を日本政府が批准しているかと言えば、必ずしもそんなことはない。市民的及び政治的権利に関する国際規約の第2選択議定書は、1989年12月15日、国際連合総会によって採択された多数国間条約で、1991年7月11日効力を発生したが批准してはいない。核兵器禁止条約は核兵器を禁止する国際条約であるが、2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効したが、唯一の戦争被爆国の政府は批准する意思がない。国連総会で法の支配を言及するなら、国内法と整合性を整えてこれらの条約を批准するべく政府は手腕を発揮してもよかっただろう。
1951年9月8日旧日米安保条約に吉田茂が調印し、11月18日国会で承認されると、翌年4月28日平和条約、日米行政協定と一緒に発行した。この後、自民党第3代総裁、東條英機内閣で国務大臣、商工大臣、石橋湛山内閣で外務大臣、総理大臣臨時代理を務めた岸信介が湛山の後を受けて内閣を担い、1960年1月19日旧安保条約の改訂に調印し、同年6月23日発行した。この改訂された安保条約の第10条には次のことが規定されている。
この条文は、日米安保条約は、当初の10年の有効期間(固定期間)が経過した後は、日米いずれか一方の意思により、1年間の予告で廃棄できる…
しかし、この規定は逆に言えば、そのような意思表示がない限り条約が存続することになり、いわゆる「自動延長」方式である。本条に基づき、1970年に日米安保条約の効力は延長されて、今日に至っているのが現在の日本政府の安全保障体制になる。1996年4月17日、橋本龍太郎内閣の下で普天間基地の返還の合意後、日米安全保障共同宣言ー21世紀に向けての同盟が発表されている。更に、この後10年余り自民党は新たに自公政権の枠組みで、政権与党に与するが、2009年8月末の第45回衆院選で自民党は敗北して下野し、3年3ヶ月の野党を経験し、2012年末に第二次安倍内閣が発足した。
憲政史上最長内閣記録を築いた安倍内閣は、2014年7月1日、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」との閣議決定を行った。翌年9月19日に参議院本会議でいわゆる安保法案が採決された。政府の憲法解釈と、立法府での法制化により、日本国憲法下で違憲とされてきた集団的自衛権の行使が可能となる歪な軌道修正がなされ、2016年8月には、自由で開かれたインド太平洋戦略との外交方針が採られたれた。更に、2022年12月16日岸田内閣と国家安全保障会議は、安保三文書(国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画)を決定した。これを日本の防衛政策の歴史的な転換と考える向きもある。
1951年9月8日にサンフランシスコ講和条約が調印され、いわゆる日米安保も成立して70年余り経った。生前文芸評論家と紹介されていた加藤典洋は晩年にかけて、敗戦後に問われずにきた問いを成立時に遡って考えることに費やし、乱暴な紹介とはなるが、遺稿をまとめた「9条の戦後史」によると、1993年「平和基本法」を提案した護憲派の学者や1995年の朝日新聞社説を取り上げて、そこに「なぜこういうことが必要かの理由を、すべて憲法9条に背負わせていること、日米安保なしに、どう日本の安全保障を確保するかという対案が用意されていないこと」を指摘して、「これまで日本に現れた現状打開策には、日米安保なしにどのように日本の安全保障を確保するかという原理的な対案と、どうすればその対案をアメリカに認めさせることができるかという戦略的な対案と、この二つを条件として備えた対案が、なかったのです。」と述べていた。そして一つの提案として9条の改訂案を示し、次のように掲げていた。一項は現行憲法と変わらず、二項以降を次のように記していた。
第 9 条 日本国民は、正義と 秩序を基調とする国際平和 を誠実に希求し、国権の発動 たる戦争と、武力による威嚇 又は武力の行使は、国際紛争 を解決する手段としては、永 久にこれを放棄する
2 以上の決意を明確にするため、以下のごとく宣言する。日本が保有する陸海空軍その他の戦力は、その一部を後項に定める別組織として分離し、残りの全戦力は、これを国連待機軍として、国連の平和維持活動や、国連憲章第47条による国連の直接指揮下における平和回復運動への参加以外には、発動しない。また国連憲章第7章の目指す体制の完成後、国の交戦権は、これを認めない。
3前項で分離した軍隊組織を、国土防衛隊に編成しなおし、日本の国際的に認められている国境に悪意を持って侵入するものに対する防衛の用にあてる。ただしこの国土防衛隊は、国民の自衛権の発動であることから、治安出動を禁じられる。平時は高度な専門性を備えた災害救助隊として、広く国内外の災害救助にあたるものとする。
4今後、我々日本国民は、どのような様態のものであっても、核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず、使用しない。
5前4項の目的を達するため、今後、外国の軍事基地、軍隊、施設は、国内のいかなる場所においても許可しない。
憲法に手をつける以前に、日米地位協定の見直し等具体的に手をつけるべき外交政策には課題があるに違いはないのだろうが、殊に2014年7月1日以降の日本政府に、米国依存症とでもいう他はない「外交」というよりも従属体質が前提として成立してしまった感がある。addiction(中毒、依存性)の反対はconnection(関係、接続)らしいが、いわゆる北朝鮮や中国とはそもそも国交の無かった日本では極東にあるこれらの国との関係が一層乏しくなってしまった。
故安倍晋三が提唱したらしい、自由で開かれたインド太平洋戦略との外交方針は、「戦略」の文字を削除して「自由で開かれたインド太平洋」として米政府にも浸透しつつあるらしいが、将来的に現在の日米安保体制を破棄した上で、国連中心の安保体制へと、日本政府の安全保障体制をパラダイムシフトすることは政治の役割として検討されてよい時期にあるのではないだろうか。加藤典洋の憲法9条改正案にはその様な視点がある。
日米関係は軍事同盟によってではなく、平和主義に基づく日米友好平和条約を結び、日本政府は核兵器禁止条約を批准することによって、敗戦国となって以降長らく軍事同盟を結んできた米国に具体的な核兵器廃絶への道を導くことで、北朝鮮、ロシアとの対等な国家間の関係構築や拉致問題、北方領土問題の打開に向けた修復的な関係構築を外交政策として展開してゆくことも可能となるのではないだろうか。
ここに記したことは妄想として一笑され仕方ないかもしれないが、この様な馬鹿げたことを公言する政治家が現れないのも確かなことだろう。日本政府の内政及び外交の基本路線の変更もなく、国連を変革するべく鼻息荒くしたところで、口先ばかりと国連加盟国に一笑されても仕方がないと思うのである。恐らく、憲法9条の改定と同時に、象徴天皇制も象徴天皇を国民に統合するような憲法の改訂を、国民的な合意を得るような形で進めてゆく必要があるのではないかと思う。憲法公布・施行から1世紀をむかえる2045年頃を目処に立法府でそれらのことが検討されないことは残念なことだ。