短編小説|109の世界

 寝過ごしてあわててたどり着いた渋谷。待ち合わせたレストランはつぶれてなかった。それはおかしい。本当はあるはずだった。

 しばらくレストランの前で待ってみても、彼女から連絡はなかった。スクランブル交差点まで戻ってきて、信号が変わって人々が歩き出した。駅の方に渡ると、いつものようにハチ公前に待ち合わせの人がたまっていたけれど、ハチ公の両耳がピンと立っていて、どことなく雰囲気が変わっている気がした。もう一度レストランへ戻ってみようと思って歩き出すと、スクランブル交差点から見えるいつもの風景の中で、「SHIBUYA108」の文字が光り輝いていた。

 キャンペーンか何かで109から-1されている演出なのかと考えたけれど、109以外の他の看板も微妙に違う気がした。いつもの風景なのに違う国にいるみたいで、気味が悪くなって、とりあえず交差点をもう一度向こうに渡っていろいろ確認してみようとして、渡っている途中に道路の真ん中でめまいがして、ぼくは意識を失った。

 気が付くと、また渋谷駅前に立っていた。交差点の向こうには「SHIBUYA107」の文字が輝いていた。

 1ずつ減っていくみたいだった。「SHIBUYA107」では、交差点を歩く人々の服装なんかはもといた109の世界と同じ感じだったけれど、交差点の大画面ではソ連製の麻のカーテンのCMが流れていたから、109とはだいぶずれた世界にいると思うしかなかった。彼女はどこにいるのだろう。109の世界で待ち合わせたレストランはもちろん営業中で、なかなか現れないぼくにしびれを切らして帰ってしまったかもしれない。はやく元の世界に戻って会いたかった。+1する方法を探さなければ。そして、スクランブル交差点を渡っている途中で、また気を失った。

SHIBUYA106、渋谷の若者がみんなガスマスクをかぶっていた。はやっているのだろうか。車が地面から5cmくらい浮いて走っていった。

SHIBUYA105、ホログラム広告の中を人々が颯爽と通り抜けていった。

SHIBUYA104、大勢の人々が交差点で爆竹や花火を鳴らしていた。

SHIBUYA103、戦争が起きたのだろうか、周辺のビルがことごとく破壊されていた。103は辛うじて残ったようだった。

SHIBUYA102、ビルは元通りだったが、日本語がおかしくなっていて、ぼくには読めなかった。

SHIBUYA101、お神輿が交差点を通っていった。その後ろを行列がどこまでも続いて、お囃子の音が響いていた。

SHIBUYA100、巨大な宇宙船が渋谷を攻撃していた。

 光線の直撃を受け崩れ落ちていく100を見上げながら、ぼくは考えていた。全く+1する方法がわからない。これまでの経験から考えると、スクランブル交差点を渡ろうとすると途中で気絶して-1される。スクランブル交差点を渡らずに、別の場所を渡ろうとしても同じだった。地下道を使っても、ある程度駅から離れると気絶した。駅の中で何かすればいいのだろうか。それとも、マイナスを続けていけばいいのだろうか。0になったら、いったい世界はどうなるのだろうか。とても不安だった。

SHIBUYA90、駅の中をひたすら歩く。迷路のようだ。何も手掛かりがないまま気絶。

SHIBUYA67、科学文明の絶頂期に飛ばした人工衛星が落下した。

SHIBUYA49、渋谷はジャングルに飲み込まれた。馬の群れが走り抜けていった。

SHIBUYA21、夏休みには怪獣映画。家族で映画館に観に行こう。そう思った。

SHIBUYA13、氷の世界。人が生きていくことはできないようだ。

SHIBUYA8、抽象化されていて、ぼくには理解できなかった。ひどく混乱した。

SHIBUYA5、空までとどくエレベーターから、人々が飛び降りた

SHIBUYA4、ここではすべての肉体が魂の入れ物に過ぎず、そのため人々は死に絶えて、空から魂のささやきが降り注いでいた。

SHIBUYA3、星が寿命を迎えるのだ。地球の声だけが、ぼくに語りかけた。

SHIBUYA2、人類はひとつの意識となって宇宙へ旅立った。ぼくはひとり取り残された気がして、とても悲しかった。

SHIBUYA1、荒涼とした大地をさまよっていて、石像を見つけた。手で降り積もった砂を払うと、見覚えのある姿が現れた。

「HACHI!」ぼくは叫んだ。

 翼の生えたガーゴイルのようなハチ公。何千年もここで待っていたのだろう。ぼくの声に反応してか、ハチ公の目が緑色に光りだした。そうして、ハチ公は翼をばさっと広げると、何度か羽ばたいて飛び上がって、ぼくはとっさにハチ公の両後ろ足をつかんで、そのままぶら下がって空に飛び上がっていった。

 どんどん上昇する。不思議と苦しくない。渋谷だった場所が地上の小さな点になったとき、そこにふっと光が灯った。渋谷が、東京が、日本が、先ほどまでの荒廃と無明が嘘のように輝いているのが見えた。戻ってきた。109の世界だ。ぼくたちの生活が戻ってきたのだ。

 見て、HACHI。ぼくらひとりひとりの生活は宇宙からしたらあまりにも小さくて意味がないものに思えるけれど、あのぼんやりした光はそのひとりひとりの悩みや希望や喜びや悲しみでできているんだ。ぼくらの文明には小さく光っているっていう点で意味があったんだ。

 そうして、地球の影からまた新しい地球が現れて、それは合わせ鏡に映したみたいにどんどん増えていって、地球はジュークボックスのレコードのように回っていたことがわかったのだった。

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