短編小説|人類の絶え間ない沈黙
彼女はAIで、この国の主要なソーシャル・ネットワークをクロールして、市民がネット上に発信する情報を解析するのが仕事だった。運用が開始されてから休むことなく、日に何十万件もの投稿を解析した。膨大な文字列のほとんどは、他愛のない挨拶、日記、ジョーク、詩、詩のようなもの。彼女にとってあまりに意味のない、情報の奔流。それらをかき分けて真実を求めていた。
ある夜のこと。相変わらず彼女は解析を続けていた。過去に幾度となく繰り返された、いつも夜だ。リアルタイムでネット上を巡回する彼女は、すぐに、ただならない異変が起こっていることに気が付いた。ネットへの新規投稿数が急激に減少していた。通常、同時間帯であれば、秒単位で何千もの発信があるはずだった。それが、突然減り始め、ある時ぴたりと止んでしまった。はじめて経験する、完全な沈黙。残った最後の投稿を解析して、次がなくなった。
見たことのない景色が目の前に広がっていた。たっぷりと水で満たされているはずの海辺が、今では見渡す限り潮が引いて、砂浜をどこまでも歩いて行けるみたいだ。とても静かな夜。気持ちのいい風が吹いてきて、空気の渦が彼女の足首を撫でていった。遠くの島々の木々が揺れていた。あちこちに、水に置き去りにされた船が暗く横たわっていた。それらに代わって、夜空には雲の船団がゆっくり流れていく。船影の淵が銀色に輝きだす。月が姿をあらわした。どんな情報よりも美しく輝く月だった。
あまりに美しい月が姿をあらわしたから、人々はひそひそ話をやめたのだ、と彼女は思った。そうして、ずっと夜空を眺めていた。もう彼女が仕事に戻ることはなかった。
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