短編小説|ユニバース
朝、軽くジョギングに出かけようとして、スマートフォンで音楽を探した。聴こうと思っていたバンドの曲が見つからない。この間再生した記憶があるのに、検索しても再生履歴を探してもどこにも、1曲もない。配信停止になったのだろうか。しかたなく別のバンドの曲をかけた。
住宅街を抜けて、大通りに沿ってジョギングをはじめて、すぐに異変に気がついた。あたりがやけに静かだ。人が少ない、車も少ない。たまに鳥の声が寂しげに響いた。今日は何か特別な日だっただろうかと考えても、思い当たることはない。
家に戻ってきてテレビをつける。いつも通りのニュース番組がやっていて、一瞬ほっとしたが、よく見るとおなじみの出演者が出ていない。チャンネルを変えても出演者が少なかったり知らないやつが出てきたりして、普段と違っている。やはり、何か異常なことが起きている。不安になって、だれかに連絡しようと思いチャットアプリを開くと、友だちのアカウント数が明らかに減っていた。残っていた中の数人に連絡したが、皆、要領を得た答えを返してくれない。ガールフレンドのアカウントも消えていた。電話番号を思い出して彼女に電話をかけたが、番号が存在しないことになっていた。
もう一度外に出かけて、街の様子をたしかめる。しばらくあたりをさまよって、偶然、近所に住んでいる職場の同僚と出会った。何が起こっているのか尋ねたぼくの声はもう泣きそうな調子だった。彼は不思議そうな目でぼくを見つめて「どうしたんですか、いつも通りじゃなですか」と答えた。「みんなどこに行ったんだよ、こんなのおかしいじゃないか」とぼくは思わず叫んだので、周りの人間がぼくたちのことをジロジロ見た。同僚は完全に戸惑って、話を切りあげて去って行ってしまった。
半ばパニック状態のぼくに、背後から声をかける人がいた。「ついてこい、本当のことを教えてやる」小声だったが、確かにそう聞こえた。ぼくは、そのコートを着込んで帽子を目深にかぶった男のあとについて行った。
男に続いて雑居ビルの地下へ降りると、そこにはバーがあった。バーテンダーがひとりカウンターに立っていて、男が目配せすると、酒瓶の棚をスライドさせてずらした。棚のうしろに隠し扉が現れた。扉を開けると、薄明りの中にざっと10人ほど人が集っていた。
コートの男が彼らに向かってぼくを「新しい覚醒者だ」と紹介した。集まった人々の間にざわめきがおこった。よく見てみると、顔に派手なピエロのメイクをしているやつ、銃のような武器で全身を武装しているやつ、半裸で超人的な筋肉を見せつけているやつ、無言で腕を組んで壁にもたれかかっているやつなど、個性的な面々だ。
ぼくはその場でコートの男から説明を受けて、世界の真実を知った。数年前、世界は2つのユニバースに分割された。世界中の人々はどちらかのユニバースに振り分けられ、ユニバース間の行き来は完全に封じられた。人々は、元々そのユニバースで生活していたかのような偽の記憶を植え付けられている。そして、稀に催眠が解けたように元の世界のことを思い出す人間がいる。そう、ぼくのような人間が。
「なぜ世界は分断されたのです?」ぼくは尋ねた。「色々な説があるが、本当のところは分かっていない。だれがやったのかもさっぱりだ。ただし、政府は真実に気付いた人間を放ってはおかないらしい。バレれば捕まる。もう何回隠れ家を移したか分からねぇ」コートの男はそう言って、一瞬寂しそうに笑った。彼も覚醒者の1人で、ユニバースの分割によって家族と引き裂かれた記憶があった。
「世界を元に戻す方法はあるのですか?」ぼくの問いに男は答えた。「まずは覚醒者を増加させることだ。皆が記憶を取り戻せば、これをやった連中も黙ってはいられないだろう。そのために俺たちは闘っている」コートの男は言った。
「人々を覚醒させるために、お前は何ができる?」
「ぼくは、ギターが弾けます。だから、元いた世界の歌を、ロックを歌います。それで、みんなの記憶が戻れば……」
「いいじゃねぇか、気に入ったぜ」派手なメイクをした男が舌を出して笑いながら言った。
「いっしょにぶっ放そうぜ!」銃の男が言った。
筋肉の男が雄たけびをあげた。
壁にもたれかかった男が鼻で笑った。
「今日から君はわれわれの仲間だ。だれも、われわれの世界を勝手に変える権利はない。健闘を祈る」とコートの男が言った。ぼくは彼と固く握手を交わした。
■
「S通りに暴徒集団が現れ警官隊が出動。現在周囲一帯は通行止めとなっています」車のラジオから速報が流れる。乗っていた男はため息をつくと、車を停車した。しばらくすると、車の陰からものすごい速さで何かが空に向かって飛び上がった。上空に浮かぶ彼こそが、ヒーロー名、スーパー・ストリングだ。一瞬でS通りにたどり着くと、数人の暴徒が警官隊相手に戦闘していた。まったく、懲りないやつらだ。アジトを摘発され、反撃に出たらしい。
暴徒の中に、ギターを持って何やらうめいている青白い顔の男がいる。見たことのないタイプだが、新手のヴィランだろう。気味が悪い。スーパー・ストリングは指先からビームを発射してヴィランを一掃した。後には何も残らなかった。今日もユニバースのあちこちで、ヒーローたちが活躍している。
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