2024/08/15(木) 日記。終戦記念日。鶴田浩二。総力研究所。
終戦記念日だが、テレビをつけないので何かやっているのかどうかわからない。
だんだんと、戦争のことが語られなくなっている。
僕は父と母がボケてしまう最後の最後に、話を一応たくさん聴いた。
昭和18~20年頃の話だと思うが、田舎の庶民の話だ。
徳島みたいなところにまでB29は来たというのだ。
父母は田園地帯だったが、市街地が空襲で赤く燃えているのを見たという。
やっぱ虐殺だ。
アメリカはネイティブ・アメリカンを虐殺して成り立った国家だから、時々やらないといけないのだ。
それがアメリカのアイデンティティを支えている。
太平洋戦争を元にして、ものすごい量のドラマが生まれたわけだが、
僕が子どもの頃とはずいぶん違ってきたとは思う。
僕が中学生の時、まだ鶴田浩二が特攻隊の生き残りというイメージ俳優で活躍していた。
山田太一脚本の「男たちの旅路」はそんな鶴田浩二が、「私は若い奴らが嫌いなんだ!」と、
水谷豊や桃井かおりに罵っていたのだ。
そんな時代からみたら、ひろゆきとかホリエモンなんか、鶴田浩二にボカボカに殴られそうだろう。
いや、僕は特攻隊の方は気の毒という感情しかない。
事実としてあれはお国のためになんとかいう美しいものではなく、
上層部の得て勝手な、若い命と貴重な戦闘機を無駄にするむちゃくちゃな気の狂った作戦でしかなかったと思う。だからこそ、生き残った人達が、死んでいった仲間を思う気持ちが痛々しいのだ。
とにかく、僕は小学校ぐらいで、日本には平和憲法があるので、二度と戦争をしないと知って安心した子ども。
戦争を知らない子どもたちの子どもたち。
数年前に、タモリさんが徹子の部屋で「新しい戦前になる」と言ったが、年々真実味を帯びてくる。
虎に翼の星航一さんが総力研究所で「敗戦以外なし」と答えを出したのに戦争を止められなかったことに、
ずっと心を痛め続けたなんていうことは、どれだけ自分ごととして考えられるだろうか。
みたいなことを、終戦記念日だけじゃなく、常日頃から考えながら生きているわけなので、
楽しいだけじゃないね、人生は。
その点で言うと、8歳くらいに戻りたいね。
どうでもいい音楽の録音作業。コツコツと進める。
夕飯はメンチカツ。
「有吉の壁」を見ながら。
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