【体験談】常位胎盤早期剥離により緊急帝王切開で出産した時の話(34週の早産)
常位胎盤早期剥離のため、34週3日で緊急帝王切開により生まれ、NICUに入った我が子の話を書き留めておく。
※あくまで、今回の私の体験談です。
胎盤早期剥離が疑われる状況なら、すぐ病院に連絡して指示を仰いでください。
5月27日(金)【出産5日前】
職場で花束とたくさんのお菓子をもらい、みんなの前で産前休暇の挨拶をした。
この前日までガンガン自転車に乗り、今までの検診ではまったく指摘事項なし。
向こう1ヶ月はあるであろう産前休暇に胸を躍らせ、出産前にやりたい事を30個程リストアップした。
5月31日(火)【出産前日】
朝11時頃
かかりつけの総合病院の産婦人科で検診を受けた。
この病院を選んだのは自宅から近かったからと、3年前の上の娘の時もこの病院で産んだため。
(上の娘が新生児一過性多呼吸により、この病院のNICUに入院したこともあった)
ご飯は美味しくないが、総合病院は万が一の時に安全だと思い、かかりつけの産院になった。
この日の検診では、尿糖++と少量のむくみを指摘される。
それ以外は特に指摘なし。
血圧も正常。
エコー等も異常なし。
夜8時
なんとなくお腹が痛くなり、娘の寝かしつけを早めに始めた。
娘と一緒に布団でごろごろする。
「ごめんねー、左を向いていないとお腹が痛いの。」と娘に言うと、「ママ、いたいいたいする?ベッドで寝る?」等気遣いの発言。
ありがたや。
夜9時半
娘は1時間半程でようやく寝る。
腹痛のレベルは陣痛初期か?と思うくらいの痛みだった。
一応、『陣痛きたかも』のアプリをダウンロードし、カウントを始める。
10分間隔で痛む時もあれば、3分間隔で痛む時もあったし、1分で痛みで治る時もあれば、数分以上痛みが治らない時もあった。
夜10時半頃〜11時半頃
仕事から帰宅した旦那さんのところに行き、定期的に痛みがあることを伝える。
確率的にないだろうと思いつつ、インターネットで調べた『胎盤早期剥離』の話をする。
一定時間内に胎動を10カウント確認すれば大丈夫とのことだったので、胎動を数える。
旦那さんとお腹を触り、2人で胎動を確認し合って恐らく大丈夫だろうという結論になった。
「これが陣痛だったらどうしよう。
まだ名前も決めてないし困るね〜」
という話を冗談でする。
6月1日(水)【出産日当日】
0時頃
痛みに耐えつつ寝る。
痛いは痛いが、寝られないほどではなかった。
3時頃
トイレで起きる。
痛みはほどほど。
この時、胎動はあったかどうか覚えていない。
5時9分
寝ていたところ、股からじわっとしたものを感じて起きる。
触ってみると大量の鮮血!
トイレに向かうが、廊下にも点々と鮮血が付着するほど。
旦那さんを起こし、慌てて病院に電話する。
救急車を呼ぶか迷ったが、自宅から病院まで車で5分だったので旦那さんの運転で病院に行くことに。
病院に向かう車の中で、最悪の事態も想像した。
「ごめんね、やっぱり胎盤早期剥離だったのかもしれない。
夜の時点で病院に行っておけば良かった。
もう赤ちゃん死んでるかもしれない。
多分もう駄目だ。
今、胎動わかんない。
3時の時点で胎動あったか覚えてない。
胎動なかった気もする。」
移動中、そんな話を旦那さんにした。
10分程で病院に到着。
一緒に連れてきた3歳の娘は、夜の病院に少し興奮気味で、病院の廊下で楽しそうに「こっちかな?」と喋っていた。
5時54分
赤ちゃんの心拍は確認できた。
ひとまず最悪の事態が起こっていないことに安堵。
旦那さんと娘は別室で待機。(コロナ感染防止のため)
「とりあえず赤ちゃん生きてるって。」
「出血の原因はよく分からないけど」
「ひとまず入院です」
「胎盤早期剥離ではなさそう?考えられる最悪の状況を脱した感。」
と旦那さんにLINEで連絡した。
7時半頃
赤ちゃんの心拍はOK、元気もある。
私の出血がだらだらと続き、お腹の張りが定期的(3分おき位)にあるのが気になるが、痛みはそれほどないので一旦緊急性があるものではないという診断がされた。
ちなみに、お腹の張りは指摘されないとわからないほどだった。
何度も助産師さんから、
「お腹が張ってるってわかる?グラフだと今張ってるみたいだけど。」と言われるも、
「正直、張ってる感覚がわかりません…」
と返事をしていた。
この時点においては、
『状況によっては今日手術するかもしれないし、あるいは36週になるまで待ってそこから分娩+5日後退院になるかもしれない。』という診断。
どちらにせよ出産までは私は退院できないとのこと。
後者の場合はかなりの長期戦になることが予想され、子どもと長期間離れることを考えると気が重くなった。
ひとまず、今から手術というわけではなさそうなので、一度旦那さんと娘は仕事と保育園へ。
8時頃
旦那さんと子どものため、ヨシケイで冷凍弁当を注文。
長期間の入院に備えて、旦那さんに静岡市のサポートセンターや家事代行、一時預かり等の情報をLINEで送る。
主治医の先生到着。
夜勤の先生からの引き継ぎを受け、お腹の張り止めの薬を点滴で入れて、今後の状況を見ながら判断するとのこと。
10時10分
状況変わらず。
手術するのかしないのか確定しない為、部屋移動も朝ご飯もなし。
10時半頃
主治医の先生と、女性の先生、さらにこの病院では『お産の神様』と言われている先生の、3人が集合してエコーや内診等が行われた。
「出血も止まらないし、早期胎盤剥離の可能性が高い。
ここからさらに大量出血となったり、子どもの状態が悪くなったりしないうちに緊急帝王切開で出してしまった方がいい。
もう34週で体重も十分あるから(前日時点で2500g強)、赤ちゃんの元気があるうちにやった方がいいんじゃないか。」
ということで、緊急帝王切開が決定。
10時53分
旦那さんに電話し、手術が決定したことを伝える。
「(旦那さんの勤務先名)ならすぐ着くから、手術は旦那さんを待ってから始めよう」と先生。
旦那さんの到着までの間(30分以内)に、手術への覚悟を完了させなければならない、と考えると、朝5時から始まった、あまりの怒涛の展開に笑いがこみ上げてきた。
助産師さんに、
「笑いが止まらなくてすみません。あまりに怒涛の展開すぎて…、昔から緊張すると笑いが出ちゃうんです。」と謝る。
お腹の張り止めの薬の副作用も相まって手が震え、同意書に書いた自分の下手くそな署名を見てさらに笑いが止まらなくなった。
11時20分
旦那さん、会社から病院へ到着。
多少覚悟していたとはいえ、突然の電話から30分で病院に到着したのはスゴい。
11時40分頃
帝王切開の手術開始。
背中から麻酔が入れられた。
冷たく感じる場所の確認。
痛みは感じないが、お腹をハサミで切ったり縫われたりする感覚はある。
手術室には少なくとも4名の産科医の先生がいた。
さらに、小児科の先生も待機してくれていた。
手術の最中、先生方がこんな会話をしていた。
A先生「大学病院でソウハクの手術はやったことある?」
B先生「はい。手術があった時は、みんな集合してました。
(手術の書類名?に)先生達の名前がたくさん書かれて…」
A先生「C先生ははじめて?」
C先生「はじめてです。」
これらの会話から自分のケースがかなりレアであろうことが察せられた。
余談だが、後日看護師さんから「専門医になるには、症例に何回立ち会ったかの条件があるから、珍しいケースの分娩には沢山の先生が集まる」というようなニュアンスの話を聞いた。
私の事例で、立ち会った先生方に1ポイント加算されるのであれば、本望である(?)
11時47分
手術時間が長いのか短いのかわからないうちに、「もうすぐ産まれますよ」との声がかかり、産声が聞こえた。
34週という週数から、呼吸がしっかりできるか不安だったが、娘の出産のときよりもはっきり元気な産声が聞こえたので安心した。
(娘は新生児一過性多呼吸のため、うまく呼吸出来ず、産声が弱々しかった)
先生がほんの少しだけ赤ちゃんの顔を見せてくれた。
娘の出生時(3524g)に比べて小さいものの、顔色も悪くなく、元気そうだと感じた。
長い間外にいるのも負担かと思い、お礼を言って、NICUへ連れて行ってもらうようお願いした。
手術はその後も割と和やかに進み、最後のあたりでは近くにいたスタッフさんが、知人から高価なマスカットをもらって嬉しかった話をしていた。
さらに、年季を感じさせる熟練のナースさんが、手術中に私に話しかけてきてくれた。
「うちも孫が先月産まれてね。もう里帰りが終わって帰っちゃったけど、かわいかったよ。新生児はいいよねぇ」とのこと。
上記のような手術室の雰囲気をどう捉えるかは個人の考えによると思うが、少なくとも私はリラックスできてありがたい、と思った。
なんなら、(この朝からの怒涛の展開について、手術中ですけど喋っていいです?小一時間は語れますよ)と思っていた。
お昼時の手術だったからか?序盤は20名弱はいたスタッフが、だんだん減っていき最後は7名くらいになっていたような気がする。
13時頃
手術終了。
先生が、ぶるぶるの赤いゼリー状の胎盤を見せてくれた。
先生の話す内容は半分くらい聞き取れなかったが(先生には大変申し訳ないが、早口で聞き取れなかった)、どうやら胎盤の状態から胎盤早期剥離だったことがわかったらしく、手術して良かった、と言っていたようだ。
13時半頃
旦那さんと合流。
赤ちゃんの血液検査の結果が数時間以内に出るとのこと。
手術直後はなんとなく大丈夫そうだと思っていたものの、もしここで悪い結果が出てしまったらどうしよう、とやきもきする。
14時半頃
赤ちゃんの体重は2550gとのこと。
昨日の検診時に言われていたのと同じくらい。
34週なら、普通は1600g〜2500gくらいなので、かなり大きめだった。
「体外受精で生まれる子は、体重が重くなりがちなんだよ。お腹の中で、栄養をいっぱい摂ろうとするからね。」というのが先生談。
呼吸や血液検査の結果は、特に問題はないと言われ、一安心。
「34週相当の成長のため、まだ口からミルクを飲むことができない。
出産予定日頃まで様子を見る必要がある」旨の説明があった。
6月2日(木)【手術翌日】
後陣痛に苦しむ。
荷物を取るのもおっくう。
ペンを落としてしまったが、痛すぎて拾うのが絶望的なので諦める。
寝返りもうてず。
ガスも出ないし、ご飯も味気ない。
差し入れのお菓子を楽しみにしながら生きる。
14時
初めてNICUに行き、赤ちゃんと面会する。
看護師さんから今も状態は悪くないと教えてもらい、一安心。
3年前に娘を出産した時に感じた、どうなるのかわからないという不安感はなかった。
純粋に小さくてかわいいなぁと思った。
6月11日【産後10日後】
自宅で搾乳していたお昼頃、病院から連絡が来た。
「NICUからGCUに移りましたが、38.5℃の熱が出たため、抗菌薬を使いました。
原因は今のところ不明です。ご家族に風邪を引いている方はいらっしゃいますか?」
とのこと。
NICUからGCUに移った喜びが一転。
新生児が発熱することは珍しいはず。
一体なぜ?
非常に落ち込む。
6月13日【産後12日目】
原因不明の熱は前日で下がり、徐々に体力も回復してきたらしい。
小児科の先生から話を聞くも、結局発熱の原因は特定できない可能性が高いとのこと。
昨日から今朝にかけての血液検査の結果から、とりたてて治療が必要になる項目もなく、明日まで抗菌剤使って、元気になればそれでOKらしい。
6月15日【産後14日目】
完全に熱が出る前までの体調に戻ったようで、母乳をあげる練習や沐浴の練習。
助産師さんから、そろそろ退院も近いと言われる。
母乳をあげるとすぐ疲れてしまうようで、母乳の後に哺乳瓶でミルクをあげると飲みきらずに少し残してしまう。
6月26日【産後25日目】
原因不明の熱や、酸素の値が落ち込む時があるなどのアクシデントにより退院日がだいぶ伸びてしまったがようやく退院。
退院後、一ヶ月検診を受けて特に異常なし。
検診時、先生に「私はなぜ胎盤早期剥離になったんでしょうか?」と聞いてみた。
産前休暇に入るまで自転車で走り回ったことが原因?
実は感染症だった?
今回の胎盤早期剥離による手術は、避けられるものだった?
原因がわかろうとわかるまいと現状は変わらないが、自分と子どもに起こった出来事だったので知っておきたい。
先生は、
「胎盤は病理に回したが、結局直接的な原因は分からなかった。」
「常位胎盤早期剥離では、原因が分からないことが多い。」
「今回の妊娠でのリスク因子は体外受精のみだった。」
「前日までの検診では異常がなかったため、現時点では原因は不明である」とのこと。
なんともはっきりしない返事であったが、結局はそういうものなのだろう。
現代医学だって、わからないことはある。
うちの子を生かしてくれただけでもう十分。
怒涛の出産を終えて、退院し、ようやく落ち着いた日常に戻ってきた今。
振り返るとやはりとんでもなく珍しい経験をしたな、と思う。
【赤ちゃんが無事に産まれるのは奇跡】なんてよくいうけれど、新生児一過性多呼吸の長女と胎盤早期剥離からの早産児である長男の出産エピソードを持つ私は結構すごいんじゃなかろうかと思う次第。
いつか子ども達から、自分たちが産まれたときの話を聞かれたら、
「そりゃもう大変だったんだよ。」と語りたい。
そこまで育つまでの道のりの方が、ずーーっと大変だろうけど。