はちみつの湖通信 1
ここに、はちみつの湖通信を発足する。
エッセイ的な内容になるかもしれないし、詩のような形になるかもしれない。
ともあれ、ここでは自分の心ばかりを記録するのではなくて、仕込箪笥のように、または足つぼマッサージのように反射区を刺激して、ふだん届かない、心のある部分に触れるような回りくどい話。そんなことを話したい。
それは例えば、あの人が弾くぎこちないドビュッシー、あの子が広げたスズランテープ、彼が作ったアドベントカレンダー。朝6時の胡椒餅。蕪のすりおろし。ささやかだけどきらめく、切実な自己表現たち。自己表現?違う、彼らはみな仕えていた。傅いていた。自分より外にある大きな力に。
(時にそれは小さすぎて)目に見えない大きな力の庭で、彼らはわたしの目にも見える形に、聴こえる音に、あるいは味わい深い料理に、それらを発現させてくれた。ひとりで少しずつ貯めてきた、心のみなもとにある蜂蜜の湖。それを独り占めするのではなく、そこにちゃんとあるのだと示すこと。存在しているのだと呟くこと。心を揺さぶるすべての美しいものは、様々な形をまとって、すべてその個人的で普遍的な、金色の湖からやってくるのだということ。
その湖は、心を閉じることなく生きている時間に、クリムトの「ダナエ」の金貨の雨のように、降り注いだものでできている。私にも降り注いだ。しみ込んだ。もっとも重要なのは、それを受け取ったあとだから、私はこれから書いていきたいと思ったのだ。
私は今まで数多くの幸いを受け取り、励まされ、歩いてこれた。時には心に墨を流されたような気分になることもあったけど、まぁ、今は機嫌よく生きている。私の心をすくい上げ、春の夜のようにふわりと浮き立たせてくれた、愛しいものやことたち。遠く、近く、感謝を込めて。
ここに、はちみつの湖通信を発足する。