手紙を返せば 違っただろうか 植生に影響するほど 明るい人間生活は いつも栄養過多で 息を吸うのは無料 走って帰るのは無料 地下鉄に乗るには お金も時間もちょびっとかかる 知らない団地の 知らない掲示板に 知らない催しと 知らないルール 繰り返し出会うたびに ハクモクレンが薫る 手紙を返していたら 違ったんだろうか どの公園の砂場にも 湿ったまま貝殻が埋まっている
傷ついていること認めたくなくて カツ丼を食う カウンターで食う
電話の向こうであなたが泣いている わたしはその悲しみを 自分のものとして受け止められない しんと冷えている足首に気づく あぁ、こんなにも離れてしまった 晴れが続けば嬉しくて 花の匂いに頬を綻ばせ 調律されていないもの同士 忘れたくないと願った夜が確かにあった それでも川は はじめからどうしよもなく二本で だからこそいたわりながら、交差しながら 行く末を見届けあえると思っていたけど あなたは共感を求める わたしの足の親指の爪は、 あの頃よりなめらかに鈍く光っている
朝、台所脇のテーブルに 置き忘れられたコップとふた口分の水 しんとひそむ悲しみ 1月の室温なりに蒸発して残った 後悔と今なお譲れない気持ち このコップの中にだけ 昨日の夜が続いている
昨日の私を超えること。 それを続けていくこと。 猫が膝の上で寝てくれた日のことを 覚えている。
鈍行で居眠りしている間に 時間も距離も遠く はなれていったものたちを想う すべての出会いは 最初から自分の身のうちに兆している 寂しくないことなのかもしれない けれど ひとりで眠る自由を知っている その自由を咲かせるしずかな裏庭も けれど お勝手からどうぞ いま葡萄のつめたいのを持ってきます 春の絵はお好き?
まだ青い、色づき始めたばかりの花梨を社用車の助手席に乗せている。 私から近づき鼻を寄せると、幽かに、しかし確固たる存在感で、甘く甘く透明な香りがする。 花に吸い寄せられる虫になった気分。
ないものをあるように、あるものをないように。 どんな嘘もゆるせなくなったときが私たちの夢の終わり。 確かなことは過去だけだから、いま、この一瞬、私はどこにも行けない。 何億年も前からつづく営みが愛しい。 気分じゃなくて、心から。 #詩 #日記
ファミマの駐車場に社用車を停める 隣にもロゴが入った白いハイエース 空の車内? 財布をとって大股で車から出る もう一度何気なくハイエースに目を向ければ 薄暗い車内に 仰向けで目を瞑るおじさんが 並んでふたり ワイシャツ 飲みかけの缶コーヒー 胸の上の両腕 気負わず無防備に眠れるほど 仲がいい間柄でもないのだろう それぞれ眉間に深い皺と 身を小さくして 窮屈な腕組み 親密さのかけらもなく 肩と肩がふれあいそうな距離で ひたすら時間が過ぎるのを待つだけ
エドワード・ホッパーの絵のような寂しさを、心に置いておくことをゆるします。 プリマヴェーラ。 春はよろこびの季節だ。かたくしていた蕾もからだもほどけ、深呼吸ができる季節。白んだもやの中、若い緑と桃色の空気を吸い込む朝、宵。 なにかが解決されるのだろうか。 ゆるさないといけないのだろうか。 春であることを祝わないといけないのだろうか。 私の心と身体はさて置いても。 去年の3月、ある小説家が私が住む街にやって来た。京都の自宅から持ってきた蓄音機(その名もコロちゃん
春。たのしいうれしいばかりじゃない、怒られる、叱られる、ぼーっとしちゃう。手と足が同時に出てしまうほど緊張してるのに、大事なところは抑えられてないなぁ 春のせいにしても、仕事は減らないから。好きになるしかない
忙しい。下駄箱の湿気が酷くてちょっとブルーだ。でもその辺を客観視できるあたりまだ大丈夫。ふにゃっと笑って、でも芯はつよく。期待もせずに愛するよ
ここに、はちみつの湖通信を発足する。 エッセイ的な内容になるかもしれないし、詩のような形になるかもしれない。 ともあれ、ここでは自分の心ばかりを記録するのではなくて、仕込箪笥のように、または足つぼマッサージのように反射区を刺激して、ふだん届かない、心のある部分に触れるような回りくどい話。そんなことを話したい。 それは例えば、あの人が弾くぎこちないドビュッシー、あの子が広げたスズランテープ、彼が作ったアドベントカレンダー。朝6時の胡椒餅。蕪のすりおろし。ささやかだけどきらめ