おしどりマコさんのこと、その「政策」のこと
21日、参院選の投開票日ですね。
私は、2枚目の投票用紙には、「おしどりマコ」と書くことにしました。
正直、比例で票を入れたい人は今回たくさんいて、ずっと悩んでいました。
今日も、福島駅でおこなわれた、山本太郎さんと蓮池透さんの街頭演説会へ行ってきました。
具体的な政策、クレバーで心打つ演説、
寄付もしたし、自分の一票を投じたい気持ちはものすごくあるけれど、
でも、今回は「おしどりマコ」と書こうと思います。
なんでそうするか、自分でも整理しながらまとめているうちに、かなりの長文になってしまいました。
おしどりマコさんをあまり知らない人、気になっている人、投票先を迷っている人にもし届いたら、読んでもらえたら嬉しいなぁ。
まず、私の知っているおしどりマコさんについて書きます。
おしどりマコさんは、元吉本所属の芸人で、東京電力福島第一原発事故後に芸人として東京電力の記者会見に通いはじめ、
この8年間、誰よりも通い続けて質問し続けてきました。
私は2011年当時メディアの端くれで働いていたので、マコさんがジャーナリズムの世界に飛び込んだ瞬間を覚えています。
先輩ジャーナリストたちに「教えてください!」と教えを請い、
しかし普段記者クラブから邪険にされているフリーのジャーナリストたちにとっても、芸人という存在は異色すぎて、
「芸人につとまるはずがないよ」みたいな、なだめるような、煙たがるような態度を取り、
色眼鏡で見る人たちも少なくありませんでした。
でもマコさんはへこたれず、あっという間に自分の取材の手法を切り開いて、先頭を走るようになりました。
そのやり方はとてもまっすぐで、会見では文字通りまっすぐに(ほんとに綺麗にまっすぐに!)挙手をして質問し、
はぐらかされたら食い下がり、先延ばしされたら催促し、必ずぶら下がりまで粘り、数々の重要な発言を引き出してくれました。
私も含め、多くの、信頼できる情報を求めていた人々が、マコさんの発信を追うようになりました。
マコさんのその後のフィールドは東電会見にとどまらず、
相方のケンさんと一緒に、公的な場からプライベートな場まで、大きいものからミニマムなものまで、ありとあらゆる現場に、広く深く。
どんな相手とも対等に対峙し、誰も敵としない人柄とユーモアでもって、取材相手の懐に飛び込む。
丁寧な人間関係をベースにした丁寧な取材と発信を続け、原発事故被災者に寄り添ってきました(私は、簡単に寄り添うなんて言葉使うの嫌いなのだけれど、マコさんのことは、寄り添ってきた人だ、と言って違和感を感じません)。
もともと豊かな才能と頭脳をお持ちだと思う、でも、そこに安住せずものすごく勉強し、努力する方です。
最初のころは会見で何について言っているのかもわからないから、ぜんぶノートに書き起こしていたらしい。何冊も何冊も。
楽屋での待ち時間も、移動中も、しかも徒歩移動のエスカレーターに乗っているちょっとの時間すらも、勉強に充てる。
各地をとびまわって実際に人と会う、話を聞く。一緒にごはんを食べる。
底知れないバイタリティー。
だから、芸人が記者の真似事なんかして、と嘲笑されながらスタートしたマコさんは、
いまやどの記者よりも福島第一原発事故について詳しく、そして血の通った知見を持つ方だと思います。
そんなマコさんが、国政選挙に出ています。
マコさんは、政策らしい政策を大々的に掲げていない。
マニフェスト選挙と盛り上がった時期から、選挙戦とはわかりやすい政策を掲げておこなうのが当然と思っていた私は、正直戸惑いました。
しかも原発事故のことだけを訴えて、選挙戦を闘うと言う。
無謀だ、と思いました。
でも、公示日を目前にした今年の6月、福島の三春町で行われた講演会で、マコさんのこんな言葉を聞いて、ハッとしました。
「原発事故以外のことで、もっと生活に身近な消費税問題だったり年金問題だったり、介護や教育のこと、
自分たちに直結するようなことを混ぜたらもっと票につながるんじゃないかって言われるんだけれど、
私は敢えて、あまりそれは言いたくないんです。
自分に関係のないことには関心のない人が多いからこそ、酷い状況が生まれている。
自分にまったく関係のない、遠くの人たちが踏みつけられていることにどれだけたくさんの人たちが怒れるか。
遠くのことをおかしいと言える人がたくさんいる社会にしたいので、
原発事故の話をして、当選をしたいんです」
遠くの人たちが踏みつけられていることにどれだけ怒れるか。
それって難しいです。だって、すぐそばにいる隣人へ、想像力を持つことすら難しい。
福島県内でも、もう原発事故は終わったこととして、蓋をしたい人もいるでしょう。
いまだに放射能とか言っているのか、風評被害を煽るようなことを言うな、俺たちは私たちは、元気でここに暮らしているのだから・・・
でも、事故は終わったと片付けることができて何事もなく暮らしている人々がいる一方で、
たとえば、故郷を失った人、生業を奪われた人、帰還せず避難を続ける人、拭えない不安とともに住み続けている人、
そういう人々がいることもまた、紛れもない事実です。
100人いれば100通りの人生がそこにはある。
隣人へ、遠くの人へ、過去へ、未来へ、私たちは想像力で触れることができる。
難しいし面倒だけれど、その努力を諦めることは、思考停止、にほかなりません。
東日本大震災が起きて、原発事故が起きて、それまでのすべてが当たり前ではなくなったとき、
私が学んだいちばんのことは、「自分の頭で考える」ということでした。
思考停止をしていたら命は守られない、ということでした。
マコさんの提言の核となるのは、
『誰かまかせにせず、誰も「自己責任」の荒野に置き去りにしない』というものです。
長く続く与党一強の国会の中で、
いくら政策に共鳴した野党議員が当選しても、一向にその政策は実現されない、
それどころか数の力に任せた強行採決で、議論も尽くされないまま国の根本に関わる法律が決められていく、そういう危険な政治が行われています。
もう、国のかたち自体がおかしなことになっている。
法治国家ではなくなり、民主主義が骨抜きにされている。
『誰かまかせにせず、誰も「自己責任」の荒野に置き去りにしない』
国民代表として国会に送り出し、マコさんまかせにする選挙ではなく、
すみずみまで情報がリーチし、誰もが自分で考え、生活への、人生への決定に参加できる、
自分の生を自分が決めることのできる社会、
そしてそうできない人のことも、「自己責任」と捨て去るのではなく、
ひとりひとりの人権と尊厳が守られる社会。
そういうシステムを一緒につくっていきましょう、
健全な民主主義を一緒につくっていきましょう、という提言です。
そうか・・・いま、まず求めなければいけないのは、私たちに何かをしてくれる政治家、ではなく、
私たちの自己決定権を回復し、私たち自身が何かをする力を与えてくれる政治家なのだと思いました。
これまでの枠には当てはまらない、地味で地道な選挙戦をマコさんは闘っています。
でも、いくらマコさんが頑張っても、マコさんを当選させる力は一票を投じる私たちにしかないのだよなぁと、「マコさんがんばれ」の声をかけるたび、聞くたびに思います。
「半径5mを変えていこう」とマコさんは言い続けていますが、
国の中枢にいる人々、総理大臣さえも半径5mにとらえることのできる国政の場に、
マコさんのような人が行ってくれたらこんなに心強いことはないだろうと、想像するだけでワクワクします。
長くなりました。明日は福島駅前と郡山駅前でマコさんの演説があります。応援にいきます。
21日の選挙の先が、少しでも未来にワクワクすることのできる道へつながっていますように。
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