ラストアンパン
それは、アンパンでした
いいえ、正確に言えばアンパンを選んでくる夫の感性
いいえ、いまや元夫になろうとしている目の前の男の感性
「買ってきたよー」
と、能天気な顔をして私の目の前にアンパンを差し出してさも喜べという顔
かつて一度もアンパンを食べたことのない私に
かつて一度もアンパンを選んだ事のない私に
いったいこの男は私の何を観てきたのか
そうだ
私の人生はいつでもそうだった
だれも観ていない
だれも気づいていない
私の存在の希薄さ
そう言ったものをアンパンを持って知らしめたこの男
結婚生活二十五年を終わらせるに十分な咎
その時私は48年の人生で初めて何かに歯向かいました
従順だった48年の全てをかけて
肩の筋肉の働くかぎりの渾身の力で
このにっくきアンパンを元夫の肩越しに
真っ白な壁へ叩きつけました
ボタリ
あんこは、パンからだらし無く漏れ出し
秋の暮れ方に老女がベンチへへたり込むような音を立てて床にはりついたのです
五月初旬、爽やかな朝のことでした
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