小6の『優美』
意味不明なタイトルを付けたと思われたかもしれない。
私にとっては、とても大きな意味がある。
もしかしたら、今後の自分を突き動かす大きな原動力になる可能性もあり、
やや興奮気味だ。
そのまま書き続ける。
小6の『優美』とは?
小学六年生の女の子、優美ちゃん?!
そんなわけない。
ネタバレは、
私が小学六年生の時、
最後の習字の授業で、
好きな言葉を書くように言われた選んで書いた言葉だ。
小学六年生にしては、
なかなかハイセンス?
よくできた作り話ではなく、実話だ。
34歳の今にして、
当時の自分を「おっ?」と、
少し褒めてやりたいような誇らしい気持ちにすらなる。
なぜそんなことを思い出したかというと、
育休復職後、
会社で活躍できずモヤモヤを抱え、
自分軸をもう一度見直すことにして、
もう何度目かというようなお決まりの価値観深堀ワークに一人取り組んだのだが、
羅列された煌びやかな言葉の数々から、
琴線に触れる価値観を表すワードを選ぶ際、
どうしても『優美』という言葉に引っかかり、
いつもなら、暑苦しい『挑戦』『成長』『努力』『正直』…が気になるはずなのに、今回は、『優美』が浮上してしまい、
最終的に、トップ3に選んでしまった。
自分軸価値観ワードトップ3
1、優美
2、ユーモア
3、自由
こんな結果になった。
二児の母になり、
復職してどうした自分!!
頭狂ったのか?
『ユーモア』が気になる辺りは相変わらずだが、小6の自分の選んだ言葉『優美』を思い出し、どうしても気になってしまい、今回の自分軸は、意外なワードチョイスになった。
意外なんだが、
ナイスガイ(ユーモア)
というか、
結構、自分的にはしっくりきている。
なぜ『優美』?
小6の自分に聴く。
なぜ、あの時、この言葉を選んだのか?
当時の自分は、
ショートカットで負けず嫌いなスポーツ少女。
小6の夏には、
中学受験を志し、
秋には進学校への合格通知を手にしていた。
『優美』という言葉を知っていたことに感心するくらい、全く自分に似つかわない言葉だ。
短絡的な自分のことだから、
言葉の通り、
「優しくありたい」
「美しくありたい」
という内なる自分の声があったのだと思う。
でも、なぜ?
自分で認めるのも悲しいくらい、
自分が勝つことばかり考えて、
友達の悪口ばかり言ってるような、
どうしようもない性格の悪い女の子だった。
それなのに、なぜ、『優美』だったのか?
34歳の今にしても、
共感できる深い言葉だ。
今なら少し分かる気がしてきた。
きっと、
当時の自分は、
無理をしてきつかったんだと思う。
勉強もして、
スポーツもして、
男女平等の世界で、
誰かと対戦し、
勝つことを期待され、
精一杯だった。
そんな中、
自分が絞り出した言葉が、
優しくありたいし、
美しくありたい、
ということだったんだとすると、
全ての合点がいく。
今の私も当時の私もさほど変わらない。
仕事もして、
家事育児もして、
社会に出て、
男女平等なのかこそ、
もう分からないが、
この日本国のビジネス世界の片隅で、
誰かと競い、
誰かと争い、
自分のポジションを勝ち取ることを自分に課し、生きることに精一杯だ。
たしかに、
本当の私は、
優しくありたくて、
美しくありたいのかもしれない。
会社は決して、
私に、「優しくあれ」とか「美しくあれ」とは、言ってこないけれど…。
優しくあれ、
美しくあれ!
あぁ、そうだったんだ。
私は本当はこれだけで良かったのかもしれない。
今の私は、
優しくあれているのか?
美しくあれているのか?
この前の公募の面接で、
会社でどんな風に貢献したいのか、
うまく言えなかった。
ビジネス現場の面接では、
落とされてしまうかもしれないが、
私は、会社のバックオフィスで、
働く人を支える立場で、
優しくありたいし、
美しくありたいんだ。
私の思う優しさは、
大学での専門学部と同じ、
福祉的社会正義という立場を取る。
誰もが尊重されて、誰もが生きやすい社会だ。
既得権益より、
共感できる未来志向だ。
私の思う美しさは、
知性であり、感性であり、教養だ。
だから学び続けなければならない。
『ユーモア』は、
私の個性であり、茶目っ気だ。
ありたい姿が、
ありありと描けてきた。
会社での仕事のアサインなんか、
本気でどうでもよくなってきた。笑
優しくあれて、
美しくあれるんなら、
仕事だろうが、
家事育児だろうが、
自分らしく工夫するアイデアの質も変わってきそうだ。
まずは家庭から。
夫に優しく、
娘に優しく、
美しく。
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