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出産現場で気付いた無経験の無責任

ふと思い出した出産時の違和感を言語化しておこうと思います。結構、汎用的なマインドセットになるかもしれません。 

助産院センターでの分娩

出産経験のある助産師さんの方が出産経験のない助産師さんより安心できるというエゴ。自分のことを心底、見損ないそうなのですが、無意識のうちにこういう気持ちをもっていたと思います。

私は順調な妊娠経過を辿っており、妊娠後期、助産師より助産院センターにおける出産を勧められました。丁寧な説明を受け、最終的にはサインしました。助産院センターは、医師の立ち会いなしに、助産師さんだけで対応いただく分娩スタイルです。助産師より医師の方が医療の体制として万全で安心な気もしましたが、病院の方針と助産師の熱意を信頼し、万が一、高度な医療行為が必要な場合は、医師の措置を受けられるとのことで助産院センターでの出産を決意しました。


助産師に求めたこと

ベテランの助産師さんに当たってほしい。

相手は、全員、助産師の資格を持つプロだ。とはいえ、どんなベテランだって、新米時代がある。失敗を通して成長するのは、仕事だって同じだから寛容でありたい。しかし、開き直るわけではないが、経験値の高い人の方が信頼でき安心できるというのは、人間の心理だろう。命を懸けてサービスを受ける側としては、ベテランの助産師に対応されたい。失敗されるのは、ごめんだと思ってしまった。

そして、第一子の出産ということもあり、不安な気持ちが強く、無意味な質問をした。

「私はどなたに分娩の対応をいただくことになるのでしょうか?」と。

すると、「そのタイミングによって、当番チームで対応します。誰が担当になるかは当日決まります。分娩担当自体は一人ですが、いずれもチームで対応しますし、ベテランリーダーもいるので大丈夫ですよ。」
と。

ずっと一人の人が自分を担当してくれるわけではないので、味気なさも感じたが、それ以上に感心した。
会社より病院の方が働き方改革が進んでいる。笑
でも、そりゃあそうだ。
助産師は圧倒的に女性が多く、夜勤もある。シフトを組んで、仕事が回るように体制が完璧に整えられている。
定型業務ではないが、プロ集団の働き方だ。
ふいに見えた、病院の働き方に感動した。

そして、さらに私を安心させるために、助産師は、「第一子の出産時は、なるべくベテランが対応するようにしますし、新米でも念入りに指導を入れて、必ずペアでベテランをつけます」と言ってくれた。

よく考えると違和感


ここで、違和感はないか?
第一子と第二子以降の、出産経験の有無が対応を変えうるのか?

第二子であろうが、命懸けの出産である。

助産師のリップサービスの範囲でのフォローのメッセージならいいが、本当に第一子と第二子以降で対応を変えるのはいいのかわからなくなった。


ベテラン助産師に求めること

ベテラン助産師といえば、
イメージは、30代後半から40代女性
無意識だが、すごくエゴな思い込みである。
これは自分自身への違和感だ。

まず、自分より年上で、謎に年齢における理想のランジがある。
さらには、女性
おまけに、相手にも無意識のうちに出産経験を求めている。

自分で言語化しても、自分に嫌気が差す。
年齢差別。性別差別。多様性の差別。
最低だ!
特に、相手に出産経験を求めるのは失礼すぎる。
助産師としての赤ちゃんを取り上げた分娩経験値を求めるのは、まだ少しは理解できるが、助産師にも自身の分娩経験を求めるのはおかしい。

でも、妊婦通院で、助産師から自身の妊娠出産経験を聞くと安心でき共感でき信頼できてしまったのも事実だ。

自分が経験したことを相手にサポートサービスすることは、自分の経験談が付加価値になりうるが、それをサービス利用者が求めるのは、やはり違う気がする。

ここは、履き違えてはいけないポイントだと強く反省したい。

無経験のことをサービス提供する

私にも苦い経験がある。
私は独身時代から人事として産休育休者の窓口をしてきた。当時は、ワーママの気持ちを想像しても、しきれなかっただろう。どんなに想像しても出産や子育てという経験を超えられない。

自分が出産経験をしたから、今ならそう認められる。

想像だけでは、やはり難しい世界がある。

でも、私は傷付いてきた。
ワーママが新しい選択肢を要求し、独身の小娘がそれを断る。
当時は、ワーママに権利を主張されているように感じたし、対立してしまったかもしれない。ワーママ達は、呆れたように、そもそも会社が独身に育休窓口をさせるのがおかしいとすら言っていてプライドに傷付いたし、腹が立った。
公正公平な人事をやるにあたっては、情で動かない、むしろ、独身の方が適任とすら思っていた。
独身とワーママがペアで育休窓口をするのがよいかもしれないが、そんなことしたら、私に問い合わせる社員なんかいないだろう。すごく複雑な心境で、嫌な気持ちがした。

でも、結局、私が助産師に求めたのは、そういうことだ。だから、自分で自分が嫌になったのだ。


ベテランとは

ベテランとは、勤務年数とか経験値とか色んな要素があるだろうが、必ずしも自身の経験は必要としないはずだ。

・東大以外の出身大学でも、東大進学の講師として活躍する人もいる。東大卒が教え方がうまいとは限らない。
・オリンピックに出場したことがないコーチが教えて、教え子がオリンピックでメダルを取ることもある。
・子どもがいない人も教育者として保育士や学校の先生として活躍することもある。


こんな当たり前のことをわからなくなるほど、妊婦やワーママは余裕がないのかもしれないけど、今後、私は気を付けたいと思う。

無経験が無責任なのではない

私は、事実、無事、出産した。
私の担当者が既婚者なのか、子育てママなのか、何も知らない。でも、私は満足している。
無事、出産という結果を出してくれた。

経験があるかどうかは関係なく、
仕事やサービスを真摯に誠実に対応し、やるべきタスクを完遂すれば、それは経験値に勝る。
そして、そのプロセスが何よりも本人の経験値になる。

私は、育休担当者として、ダメだったかもしれない。
それは、出産子育て経験がないからではない。

経験不足を補うだけの想像力がなく、聴く耳をしっかり持って丁寧に対話を重ねる事ができていなかったのだ。

想像して分からないことは、質問する。
つまり、コミュニケーションでコンフリクトは避けられる。

無経験がダメなのではない。
無経験で分からない部分を知る努力をしないことが担当として無責任なのだ。

経験があると想像しやすい。
しかし、だからといって想像だけでもダメで、やっぱり、仕事やサービスをするにあたっては、真心を込めて相手のことや最新情報を知る努力が大事だと思う。

あの日、助産師は懸命に私を世話してくれた。
何度も声をかけて、何度も状況をヒアリングしてくれた。
その人の経験値は知らない。
いや、別に知らなくていい。

この経験をバネに、復職後は、助産師さんを思い出して、真摯に誠実に働きたい。違う立場の人にも想像力を働かせ、親切で優しくありたい。想像してわからない時は素直に話を教えてもらおう。
そして、自分がプロと思える分野が見つかるといい。
そして、ボチボチと働き方改革も推進していきたい。

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