いじめられていたかっこいい女友達の話
昨日は、高校の同級生二人と、久しぶりにご飯に行った。
そのうちの一人は、幼稚園・中学校・高校と一緒だったので、もうだいぶ長い仲だ。
その幼馴染は、つい最近まで国際協力?の関係の仕事をしていて、海外を飛び回っていた。
そしてもうひとりの友人も、最近親の会社を継ぎ、いまは社長なのだという。
全く異業種だが、それぞれの領域で大活躍しているふたりの話はとても刺激的だった。
静岡の高校生だったわたしたちが、こんなふうに20年後、渋谷の天ぷら屋さんでお酒を飲んでいるなんて、ちょっと感慨深い。
その、幼稚園から知っている友人との中学時代の話で、お気に入りのエピソードがある。
一番いい高校しか行けない
彼女とわたしは、似ているところがかなりある。
実は顔もよく似ているので、一緒にいるとよく姉妹だと間違われていた。
一番似ているのは、やや言い方が悪いが、「プライドが高い」ところだ。
彼女もわたしも勉強ができ、運動ができ、我が強く、学級委員などもよくやる、いわゆる優等生。
お互い目指している高校が同じだったこと、そしておそらく、お互い田舎の中学校での生きづらさを感じていたことを、なんとなく察知していたのだと思う。
同じクラスになったことは高校も含めて一度もなかったが、一緒にいると居心地の良さを感じ、自然と仲良くなった。
受験勉強を終え、いつものように喋りながら帰っているとき、彼女が言った。
「『勉強できるから、どの高校でも行けていいね。選べていいね』って言われるけどさ、実際選べないよね」
「勉強できたら、一番いい高校に行くしか無いじゃん。」
誰にでも言える言葉ではない。
同じようにプライドが高く、学力が同程度のわたしにだからこそ言える言葉だったのだと思う。
わたしも同じように思っていた。
でも、言葉にしたことはなかった。
わたしはこの言葉で、彼女と自分がいかに同質な存在かということを知ることとなった。
”出る杭”だった彼女
彼女は、そういったプライドの高さが周囲にも感じ取られてしまいやすいタイプの人間だったこともあり、友達関係にはだいぶ苦労をしていたと思う。
彼女と仲が良いわたしでさえも、彼女の悪口を聞く機会はそこそこあった。
中学3年生のころは、クラスの一部の女子からいじめを受けていた。
それでも、彼女は絶対に、自分を曲げることはなかった。
プライドが高くみられてしまう自分の振る舞いも、態度も、考え方も、全く変えることはなく、むしろ胸を張って明るく自分を貫き通して、何事もなかったかのように中学校を卒業した。
中学のときから今になっても、彼女は全く変わっていない。
周りがどんなに理不尽な態度を取ってこようが、ひるまず対抗する。
自分のやりたいこと、向かうべき先が驚くほど明確で、強い信念を持ってそれに取り組んでいる。
だから彼女は、今もとてもかっこいい。
”出る杭”として打たれまくっていた学生時代を辛抱強く乗り越えた結果、彼女は”出過ぎた杭”となり、どんな逆境もはねのけられるようになったのだと感じた。
海外を飛び回る彼女に、次会えるのはいつかわからない。
でも、次会えるときには、わたしも彼女に「かっこいい」と思ってもらえるような存在でいたいなと思った。