夫がうつで退職勧告。そして出産。
夫がうつだと診断されたのは2020年6月。
夫も本心は辞めたいと思いつつも、そんなわけにはいかない。仕事放棄もできない。でもまたあの苦しみに戻るのか、という葛藤に苦しんでいたようです。
週に1、2回の上司との近況報告電話を切ると、直後から呼吸が上がり寝込む状態。
そんなの、続けられないよね。
すぐにでも辞めていいよと伝えても、責任感から逃れる自分を許せず判断ができなくなっていました。
■会社から急かされる復帰
最初のうちは申し訳なさそうに上司と毎週話していた夫も、『いつ復帰できる?』と会社から急かされることに、段々と怒りを覚えるようになっていました。
その内、次第に凶暴性のある言葉を出すようになってきました。
これはいけない。
大の大人が会社を辞めるときに家族が間に入るなんて。それくらい自分の尻拭いくらいはできるだろう…。野暮なことはするまい。そう思ってはいましたが、取り返しのつかない事になってしまうかもしれない。
夫の職場に事情を説明し、入院前から私が間に入り会社とやりとりをしていました。
上司は機嫌を損ねた欠勤くらいに思ってて、最初は訝しげにしていましたが…。
私が電話対応を変わっても同じでした。
夫の通院先から月に一度診断書をもらい会社に提出。電話では毎回、復帰はいつから?改善した?と復帰を急ぐ会社に矢継ぎ早に聞かれ、デリケートな話だし本人もあまり知られたくないようでしたが、正直に夫の症状を全て話しました。
不眠症にあう睡眠薬を色々試しているところで、まだほとんど眠れていないこと。
自律神経の影響もありまだ歩くのがやっとで、握力どころかボールペンも握れないこと。
通院先からはまだ自死をしないように見張るように言われていること。
私が入院出産予定のためその間精神科のある病院に入院を勧められている状態ということ。
この病は1、2ヶ月で薬を飲めば完治するものでないということ。
上司の方もそれを聞いて、声色で肩を落とすのがわかりました。話していく中で、職場としては戻って復帰してほしいというのが伝わってはいました。
ですが…夫が罹患する原因となった職場の環境改善はないということでした…。
■出産直前、ついに勧告
その電話の翌日、切迫早産により私の急遽入院が決定。
今後出産で毎週の都度のお電話も綿密にできなるなると思い、夫が2ヶ月近く欠勤扱いになっているので休職扱いにできないか相談をしようと思い、出産数日前に上司さんに電話。
すると、心苦しそうに言われてしまいました。
「誠に申し訳ないんですが、復帰の時期が分からないならば今度のことをそちらで決断してもらわないといけない。会社の方針で休職扱いはできない。籍があるために人員追加も本社から許可が出ないため、みんなで夫氏の不在をカバーしている状態。我々も限界が近づいている。ご決断を早めにお願いします。」
おー。。。いよいよ来たかー、と思いました。
そうですよね、地方の支店や営業所は独断でスタッフを増減できない、全て本社の意向に従うしかない。と言っても、うつは薬飲んだら治りました!って病気でもない。休職してその間は代替社員を増やすわけにもいかない、もし夫が復帰できたらその人どうなるの?ってなるし…。
でも、それって会社の都合ですよね??
夫は職場での立場や業務環境、他スタッフの意識改善を何度も上司に懇願してきたけど、どれも叶わず。朝から定時まで走り続け同担スタッフの中で1人だけお昼ご飯も食べれずにいる夫を、知っていて放置していた結果。
何で?
解雇?
しかも自主退職を促されている?
これは完全な職場環境による労災じゃないか!
ぶつけようのない悲しみと怒りで労災申請できないかな…と頭をよぎり、夫と相談します、と電話を切りました。
■夫と相談、そして決断
夫の体調を考慮しても仕事の話を彼に今はしたくないけど、彼の一生の職歴に関わること。私が独断で退職の返事をできないので、上司からこういう話があったと報告の上で「退職してください。しましょう。」と夫に伝えました。
項垂れながらも了承してくれて、後のことは少しでも有利になるように動くから私に任せて、と伝えました。
実際、退職後は私は産休中で夫は無職になるわけだから、今後の生活が不安で仕方がなかったです。
入院のベッドの上で職安、労基などたくさん電話をし確認しました。夫のため、生まれてくる息子のため、少しでも安心して産後を過ごせるように。
切迫早産で入院する私が、出産直前までバタバタとベッドの上で書類を広げて息巻く姿を見て、夫が言いました。
「もういいよ、やめよう。負担ばかりかけてごめん。僕もあの会社と繋がりがあることが辛いし、さぁさんとお腹の子に頑張ってもらってまであの会社にまた戻りたいと思えない。」
そう言って、泣きながら自主退職することを夫が決断しました。苦しい中、夫が出した答えに反発してまで「いいや戦おうよ!」なんて言える力は私にはありませんでした。
私もいっぱいいっぱいでした。
全てにおいてその方がいいと思えました。
■自主退職はあっさりと。
翌朝、その旨を上司の方に電話し、ちょっと嬉しそうだったのが悲しかったです。
でもわかります。
本社からどうにかしろ、とか色々言われちゃってたんだと思います。
上司さんも板挟み大変ご苦労かけました。
そうして後日、夫が名前をサインするだけの「退職願」が自宅に郵送されてきました。それに名前をサインして、返送して終わり。
「いい会社だよ、こんなに福利厚生手厚い会社あるんだね!頼もしい上司やメンバーがいて、休みもちゃんとあっていい会社で働けてるなぁ」
結婚した当初は夫はこう言っていました。
その居場所がなくなり、奥さんと子供が生まれる立場でそれをなくすということで、自分はなんて奴なんだと苦しむ夫。
そんな夫を救えない私。
そしてそんな中、生まれてくる息子。
正直出生届の名前すら正式に決まっておらず、初めての出産、お腹を切る手術、帝王切開の不安よりも正直手術台の上でも今後のことも考えていました。
大事な我が子の出産に集中できてなくて罪悪感はありましたが、元気な可愛い男の子が我が家に生まれてきてくれました。
今では我が家の天使です。
■半年前を振り返って
今は夫の症状も少し落ち着いて、笑顔も出てきています。
夫の会社に横から口出すなんてみっともないことしちゃったなぁと思いますが、あの時はあの判断で精一杯。
夫婦で超えるべき山だったんだと思っています。
ただただ、待望の息子誕生を純粋な歓迎が出来なかった事だけは、息子に申し訳ないな、となかなか忘れられない出産と夫の退職でした。