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4. 二つの顔を持つ小熊さん /純喫茶リリー
純喫茶リリーの近くに、大きな会社の小さな支店がある。
そこに勤めている一人の女性が毎朝リリーにやってくる。
大きめのべっ甲のメガネをかけて、チリチリのパーマ頭、背が高くて細くて猫背。年は30代半ばくらいの小熊さんだ。
騒がしい店内に、彼女だけがぬぼーっと黙って入ってくる。
一言も喋らない。
目が覚めるような真っ赤な口紅と真っ赤なマニキュアを塗っているのに、その雰囲気はどこか薄暗く、まるで「話しかけないで」というオーラを全開にしている。
うつむいたまま、4人がけのテーブルの端っこに静かに腰を下ろす。
ママは小熊さんが来ると「あ、夢遊病の患者さんがご来店」と、冗談めかして笑いながら、熱々のおしぼりとお水を差し出す。
小熊さんは黙ったまま、バッグの中からピンクの平べったい缶を取り出し、その中の裸できれいに並んでいるタバコを1本咥え、テーブルにあるマッチをシュッと擦って、火をつける。
タバコの端には、小熊さんの真っ赤な口紅がべっとりと残る。
律子はカウンターから、そのべっとりと口紅がついたタバコを、いつも興味深そうにじーっと見つめていた。
ママがツッカケをコツコツ鳴らしながら、いつものホットコーヒーとジャムトーストを運んでくる。
朝のざわざわとした店の中で、ひとり静かに赤い口で赤いジャムトーストをかじる。それが小熊さんの日課だ。
独身で大きな会社に勤めているからか、噂好きのおばちゃんたちはこっそり「オールドミス」と呼んでいる。
律子は「オールドミス」という言葉の意味を知らなかったが、おばちゃんたちの言い方で、なんとなくそれが良い意味でないことを感じ取っていた。
お昼になると、真っ白なシャツに緑のチョッキ、そして同じく緑色のスカート。何とも言えないダサい制服を着た小熊さんが再びやってくる。
お昼のメニューはナポリタン、ピラフ、たまごサンドイッチのどれか。
朝は無言の彼女だが、お昼時にはママと楽しそうにおしゃべりを始める。
もちろん、他のお客さんがいない時だけ。
律子は小熊さんに強い興味を抱いていた。
6歳の彼女にとって、小熊さんは大人がよくするような子供扱いをしない人。少し素っ気ないが、その「好かれようとしない態度」が律子にとって心地よかったのだと思う。
いい会社で働いて、いいお給料をもらって。なのにすごくダサい制服を着て毎朝眠そうでつまらなそう。
小熊さんは、ずっとこの先もつまらないのかなぁと律子はぼんやり考えていた。
そういえば、ママが夜に街に呑みにいくと小熊さんにたまに会うらしい。
いつかママが言ってた。
「小熊さんは低血圧で、朝はいつも夢遊病みたいに半分寝たままで来るけどねぇ、夜になるとマシンガントークが炸裂だわ。大きな口を開けて笑って、朝とは全然違うの。ありゃ、二重人格だわ」
律子はますます小熊さんに興味が湧いてきた。夜の小熊さんを、いつかこっそり見てみたいと、心の中でひっそりと思っていた。
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