6. 山田のババと “ごうのとら” の 濡れ衣 /純喫茶リリー
「りっちゃん、ええもんあるでぇ」
と言って、バッグの中からゆで卵をそのまま出して律子にくれる山田のババ。
「今、ブーケに行ってきたからな」
「ブーケ」とは、リリーから歩いて3分ほどのところにある喫茶店だ。
リリーのモーニングセットはトーストだけだが、ブーケのモーニングにはゆで卵もついてくる。
ババは「ブーケ」でモーニングを頼んで、トーストだけ食べて、ゆで卵はカバンに入れて持って帰る。
平日の朝から喫茶店のハシゴ。
別のお店でもらってきたゆで卵を、また別の喫茶店の娘にあげるなんて、さすがにどうなん?と、6歳の律子でもちょっと引いていた。
でも、律子は空気が読める子。せっかくなので、喜んでいるフリをして、嬉しそうにもらっていた。
律子が喜ぶからと、ババは次の日もまた同じことを繰り返す。永遠のループだ。
山田のババ。リリーでは「おババ」と呼ばれている。
壁にかけてあるコーヒーチケットにも「おババ」と書いてある。
おババは自分のことを「わし」と呼ぶ。
関西弁風の喋り方が特徴だ。
あくまで「風」、関西弁とはちょっと違う。
ズボンは「ズッボン」。
ティッシュは「テッシュ」。
プラスチックは「ぷらっちっく」。
ストローは「スットロー」。
あ、ディズニーランドは「デッズニーランド」。
他には、「カンレキ、カンレキ」ってよく言っていた。
律子は「秀樹カンゲキ」の「カンゲキ」と同じだと思っていたが、後になって「還暦」という言葉を知った。
あの時、おババは60歳くらいだったらしい。
小さくてガリガリで、どうやってオーダーしているのか謎のパーマ頭に、口の周りが漫画のおばあちゃんみたいにシワシワだった。
だから律子はもっと年寄りだと思っていた。
おババは律子にやさしい。おそらく、律子とおババの孫が同じくらいの歳だからだ。
そして1日に2回も3回もリリーに来る。多分、ヒマだからだ。
小屋のような小さな平屋で一人暮らし。ババの家のそばを通ると、いつもテレビの大きな音が漏れている。
夕方にリリーに来る時は、「りっちゃん、ええもんあるでぇ」と言って、バッグからみかん一個か、近所の市場で買ってきたみたらし団子を出してくれる。
律子はそれらを喜んで受け取るようにしていた。
おババはよく、
「りっちゃんは “ごうのとら”だから、気がつええ子だよぉ」
と言っていた。
多分、100回は言われた。
大きくなってから、律子はふと、おババが言っていた「ごうのとら」ってなんだろうと調べてみた。
どうやら「五黄の寅(ごおうのとら)」のことらしい。
丙午(ひのえうま)と同様に、あまり良い意味ではないらしい。
そして判明した驚くべき事実は、律子の生まれ年は
「五黄の寅」ではなく、「甲寅(きのえとら)」というものだった。
おババの思い込みで、律子は気が強くて気性が荒いと思われ続けていたのだ。言いがかりも甚だしい。
でもまぁ、確かに律子は気が強い。