29. 置いてけぼりの知らない世界 /純喫茶リリー
小学校に上がってから、律子は朝は自分で起きなければならなかった。
ママは律子が起きるより先にリリーに行ってしまうので、
よく寝坊して、顔も洗わず歯も磨かず、髪の毛もボサボサのままで登校することも多かった。でも、律子はぜんぜん気にしなかった。
歯を磨いてないことくらいバレないだろう、顔も洗ってなくてもバレないだろうと。
髪の毛だって、クラスのぶりっ子の女子は三つ編みしたり、リボンをしていたり、女っぽくしてて、むしろそういったこをとしないのが「ぶりっ子じゃない」証明で、律子なりの正義だとすら思っていた。
朝ご飯は、ママがおにぎりを作って置いてくれていた。
だけどママのおにぎりは化粧の味がして臭くて食べれたもんじゃなかった。
だから律子は一口だけ食べてこっそり捨てていた。
引っ越してから、律子がリリーに行く頻度も減っていた。
保育園の時は毎日行ってたのに。
小学校に上がってから平日はまったく行かなくなった。
父は、月に数回、日曜日に帰ってくるだけだった。
「タンシンフニンで東京にいる」とママは律子に説明していた。
だから、日曜日だからといって家族ででかけることもなかった。
日曜日には、律子はママと一緒に朝からリリーに連れて行かれ、そこで赤い本棚に並ぶ漫画週刊誌を読むのが楽しみだった。
『ジャンプ』や『サンデー』などを全部読み終わると、少し大人向けの漫画も手に取った。
それを全部読んでもまだ時間がたっぷりあるので、大人用の漫画も読んだ。
週刊漫画、アクション、プレイボーイとか。
これはものすごくエロい漫画もあった。
あまりにエロいのは気持ちが悪くて読み飛ばしたが、ちょっとエロいくらいは読んだ。クレヨンしんちゃんも、エロ漫画だった。
ただ、1年生なので読めない漢字も多く、内容もちゃんと理解はできていなかったと思う。
ママはお構いなしで律子にはそんな漫画も自由に読ませていた。律子が静かにしていればそれでよかったのだ。
リリーの漫画を読み尽くすと、「貸本屋で本を借りておいで」と50円を渡してくれた。
近所には「貸本屋」というのがあって、そこでは1冊10円くらいで漫画をかしてくれたのだ。
漫画5冊はあっという間に読んでしまう。
続きを読みたいと、またママに50円もらって貸本屋へ走って続きを借りる。ということをしていた。
律子の読むものはジャンプかサンデーに載ってる漫画の単行本が多かった。
律子は漫画が大好きだった。
ただ、小学校では律子の読んでいる漫画を知っている子はほとんどおらず、みんなに自慢げに話しても興味は持たれず、ポカンとされてしまい少し落胆した。
そういえば、友達のゆりこちゃんが「放課後はピアノ教室なの!」と言って遊びの誘いを断られたことが頭に残っていた。律子は周りの子が学校の外でどう過ごしているのか、ほとんど知らなかったのだ。
ゆりこちゃんと仲良くなって他のことも話すようになると、ほとんどの子が一つか二つの「習い事」というものをしていて、そんな話題で盛り上がることが度々あった。
「習い事ってなんだ?」と、律子は自分だけが何も知らないことの疎外感と悔しさをまた感じるのだった。
また一人、律子だけが知らない世界がある。
律子が一日中漫画を読みふけっている間、みんなは習い事に励んでいたのか。
まるで置いてけぼりをくらったような、胸の中にモヤモヤとした悔しさが広がる。何も知らないのが、ただただ悔しかった。