嬉しくて、だけど悔しかった。そんな2024年
あっという間に今年の授業が終わろうとしている。
今は、バスに乗って音楽をかけながらAPUへ向かってるとこ。
イヤホンをつけて、一人になれる空間が好き。
窓から見える見慣れなかったこの景色も
今では安心できる、大好きな場所になった。
山の上に毎日30分以上もかけて行く生活は、都会に住む人から見ると「え!?」って感じなんだろうけど、毎日の生活の中に余白が生まれるし、私はこの生活があっているような気がする。
多くの情報と人が集う、都会のキラキラした生活ではなく
標高300mの山の上にある、人間の内から出てくるキラキラを選んだ私。
そんな田舎で、APUという場所で、大学生をしてみた一年を
自分の記録として残してみたい思う。
バスの中で浮かんだメモを頼りに、赴くままに書いてみよう。
最初に置かれた場所に期待はしない。自分から掴み取る。
入学したての私は、多分、いろんな何かに追われていた。
不安も焦りもきっとたくさん背負い込んでいた。(それは今もかもしれない)
でも一番不安だったことは、私に友達ができるのか。だった。
そんなことをたまにいうと、
「いやさくらに友達出来ないわけないじゃん!」と言われる。
私の記憶の中に、いじめられた過去はない。でも、わかんない。
勝手に揉み消しただけなのかもしれない。綺麗な過去に作り変えただけなのかもしれない。
本当の自分を面白いと思ってくれる人なんていないんじゃないかって、すごく怖かった。なぜか友達コンプレックスがずっと付き纏ってた。
だから、限りなく素で周りに接したし、それを好んでくれる人たちと関わろうって思った。
神様は不平等だ、そう思ったことがある。
「偶然〇〇とここで出会って〜」
「奇跡的にこの先生が担任で〜」って、幸せそうに話す人がいる。
私は、そんな人がずっと羨ましかった。
だって、私にはそんなものが何一つなかったから。
私も、あんな風に本音で語れる仲間がそばにいてくれたら。
私も、隣のクラスの先生のクラスだったら。
そんなことばっかり思って生きていた。
小学校から中学校、中学校から高校、節目節目でいつも期待して。
でも、待ってても何も変わらなかった。落ち込むだけだった。
だから、こんな場所が嫌だ!って自分の居場所を探すしかなかった。
だけど、不思議なことに、彷徨い始めるといつも素敵な人たちに出会えた。
それで、気がついたんだよね。
「あ、私って、最初に置かれた場所に期待しちゃダメだ。」って。
「私の求めるものは、置かれた場所から抜け出した先にあるんだ」って。
そう思って、期待することをやめた。
自分の求める未来は、期待しない、掴み取る。
そんなことを心の奥にしまって、APUでの生活が始まった。
出会うべき人に出会わせてくれたAPU
今年出会った、大好きで感謝したい人をノートに書き出した。
そこには、両手の指を使っても数え切れないくらい、大切な人の名前が溢れていた。
同級生が多いけれど、2回生、3回生、4回生と面白い先輩たちとも出会うことができた。
一つひとつ書き出すとキリがないけれど、この出会いのほとんどは、自分から話しかけたり、苦手なことに挑戦したことがきっかけだった。
そしてやっぱり、この人たちは置かれた場所から少し離れた場所にいたよ。
最近、一緒にゆるゆるYouTubeを始めたあの3人は本当に面白い。
気になる人だけ、コソッと見てみてね。
→https://youtu.be/ymNEaVEdBWs?si=bz-pzZvQcPBlT2Uy
口はちょいと悪いけど、ちゃんと自分と向き合い続けてる人
一見悩みなんてなさそうだけど、めちゃくちゃ繊細で、でも個性激ツヨな人
一番年下みたいな感じのくせに、実は最年長で、真剣に相手の話を聞いて自分の意見を伝えてくれる人
みんなタイプが極端に違くて。だけど、これまでずっと生きにくさを感じてきた人たちだからなのか、本当におもしろい。
基本的に、価値観は違う。
だけど、相手の意見を尊重しながら、お互いの違いを面白がれる。
みんな自分の空っぽさを感じてたりする。
でも、あなたが何にもないと仮に思っていても、私には自分にはない素敵なものが見えてるし、ありのままのあの子たちが大好きだ。
社会に対しても、自分に対しても、疑問ばかりが出てきて
それについて2時間とかすぐ考え込んじゃうあなたたちが好き。
誰かが前向きになった瞬間、誰かが悩み始めるサイクルも
ある意味良いんじゃないかっても思うよ。笑
本当にこの出会いは奇跡。いつもありがとう。
いろんな悩みに直面するたび、支えてくれた。
「私たちは、別にあんたが何者であろうともなくとも、ずっと友達なんだから。あんたが一人だと思っても、一人じゃないの。」
そう、サラッと言ってくれたことずっと覚えてるよ。本当に幸せ者だよ。
だからね、頑張ろうって思えるし、休もうっても思えるよ。思えたよ。
この人たちだけでも十分だった。
でも、他にもこのレベルで大好きな人たちがたくさんいる。
出会ってくれて、そばにいてくれて、本当にありがとう。
色々挑戦して行き着いた先は「空っぽな自分」だった。
楽しいこと、たくさんあった。
でも、それだけじゃ当然なくって。
多分、インスタのストーリーでは見えてないであろう、悩んだことについて書いてみる。
とりあえず、4月から動いたことをざっとまとめてみた
こうやって書いてみると、動いてないわけではない。
できることは、やった。そう言ってみても良いと思いたい。
9月くらいまでは順調だった。学業も活動も両立できていた。
でも、10月くらいから自分の行動に違和感が出てきて、動けなくなった。
肩書きみたいなものが増えると、自分が何をやっているのかそこまで説明しなくてもそれっぽく伝わる。
でもその分、自分が一体何をしているのか、何を大切にしているのかを説明できなくなったことに気づき始めた。
高校生の時は当たり前にできていたことができなくなった。
「さくらがやりたいことを自由にやれば良いんだよ!」
高校生の時だったら、最高の言葉だった。
でも、その言葉がしんどくなるほど
自分のやりたいことなんてないことに気がついた。
色々活動してるのに、空っぽな自分。
それっぽく話すけど、本心ではない自分の言葉。
これまですぐにかかっていたエンジンが、かからなくなった。
周りにも、迷惑をかけている自覚はある。なのに、全く動けない。
モチベーションでしか動けない自分にも嫌気がさした。
どんどん自分が嫌いになった。
「こんな私に何ができるのだろうか」
布団に入って目を閉じた時、どうしようもないくらい涙が出てきた。
もう、全部やめて、逃げ出したいそう思った。
2024年は、そんな日が意外と多かった気もする。
出来ない、変われない自分
この一年、自分の中で何気に大きかったことは
APUの在学生特命副学長サミットメンバーに就任したことだった。
これまであまり誰にも話してこなかったのでこれを機に書いてみる。
この副学長制度は今年初めて始まったもので、
副学長はインド出身の女の子 サミットメンバーはパキスタンとエジプト出身の国際生2人、そして私と先輩の日本人2人を含む、計5人で構成される。
英語が得意でもない私。
だけど、教育への思いは誰にも負けない!そう思って応募した。
入学して2ヶ月ちょっとで、学長・副学長が面接官という状況でありながらも、「あなたの熱意はスゴいね」「あと、noteも読みましたよ」と言ってくださったこと、本当に嬉しかった。これでも十分かもしれないと思っていたら、サミットメンバーとしての就任決定メールが届いた。
こういう応募系に応募してすんなり受かることが人生で初めてだった。
いざ始まった活動
思った通りだった。めちゃくちゃ早い英語が飛び交っていた。
何を言っているのかわからない。余裕そうな顔つきをしていたが、もうダメだと、初日から心が折れそうだった。
日本語で通訳もしてくれたので、なんとかギリギリついてはいける。でも、意見なんて言えるレベルじゃなかった。聞くことで精一杯だった。ついていくだけで必死だった。
国際生も、サミットメンバーに選ばれたくらいなんだから英語くらいはわかるでしょみたいな感じだった。
「ごめん、わからない」「もう一回話してほしい」
これが、言えなかった。出来ないって言うことが恥ずかしかった。
APUでゆっくり英語が上達すればいいやなんて思ってたのに、そんなこと言ってられないくらい、自分の英語レベルの低さに毎回向き合わされ、「なんで自分は、、、」「はぁ、もっと英語勉強しておけば、、、」
そんな、できない自分と向き合う日々だった。
そんなこと書くと、「あ、それからやる気が出て英語話せるようになったのね」と思われそうだが、やる気は逆に無くしかけていたことが事実だ。
共通テストの英語もまともに勉強もしなかった私は、悔しいのレベルになれなかった。「あんなに勉強したのに!なんで喋れないの!?」ってもなれないんだ。。
頑張って英語を話してみても、「ん?」って顔されることが怖くて、話すことがどんどん怖くなった。言いたいことはある。なのに、英語が話せないから伝えられない。
日本語だったらめっちゃ喋るのに、英語になった途端、シャイな人間になってしまう。本来の自分が、表現できないもどかしさに直面した。
「喋れないことを恐れずにとにかく話してみるんだよ!」みんなそう言う。
頭の中ではわかってる。
でも、どうしても、すぐにはそのマインドになれなかった。
変わりたいよ。でも、そんなすぐに変われるわけないんだよ。
お前、そんなレベルなの?そう思った人がいるだろう。
そう、そんなレベルだ。
APUには留学に興味があったり、将来は海外で働きたいみたいな人たちがたくさんいる。でも、私はそんなタイプじゃない。
だから余計に、自分が嫌になっちゃった。
でも、高3の私が未来の自分に望んだように「自分の得意を使って苦手と向き合うこと」は達成されているのかもしれない。
人より遅れてもいい、だけど変わりたい
英語のモチベは低下していた。
でも、ここで頑張れなかったら、未来は何も変わらないって思った。
だから、秋セメスターが始まった10月に目標を決めた。
それは、SALCに行くことだ。
SALCとは"Self Access Learning Center "の略で、英語、日本語、6つのAP言語(中国語、韓国語、スペイン語、ベトナム語、タイ語、マレー・インドネシア語)の学習サポートを受けられる場所。(無料)
意外と予約するのがめんどくさくて、APUの中では穴場だったりする。
でも予約すれば確実にその日は来るし、なんも考えずにとりあえず予約した。
最初から、完璧に勉強することは諦めた。
まずは、英語を話したい!そう思えるマインドを作ることを目標にした。
とは言っても、多少の緊張はあって
これでPAさんからも「ん?」みたいな顔されたらどうしようって思った。
でも、そんな必要はなかったみたい。
だって、私の英語モチベを上げてくれるインドネシア出身のPAと出会うことができたんだもん。
言語を学ぶ意味って
彼は、トランプ?手品?がどちゃくそに上手い。
あと、弾き語りとか出来ちゃう。
だから、出会った初回から、謎に弾き語りが始まったり、英語でトランプの種明かし講座みたいになっちゃって、それが本当に楽しかったんだよね。
4回生で日本語が出来ることもあって、
難しい話は日本語混じりで話してくれた。
全部英語だけど内容薄っぺらい話より、日本語と英語を交えながら、たどたどしくても、一生懸命、夢や人生語る方が何倍も楽しかった。
こんなにも国際生と話していて楽しいと思えたのは初めてだった。
もちろん、これで良いや!って思ってるわけじゃないし、英語でスムーズに話せるようになることが目標だ。
だけど、国際生だからって全部英語じゃなくても良いんだって思えた。
日本人と国際生って分けなくてもいいんだって思えた。
お互いの言語を使うのは、ただスキルを上げるためじゃない。
ただ、目の前にいる人とより理解し合うために使うんだ。
それが、日本語で伝わるのなら日本語でいいし
伝わらないから、伝わりにくいから、英語を使う。
当たり前のことだけど、そう思った。
少しずつ変わったマインド
このPAと出会ってから、サミットメンバーのミーティングでも日本語でも良いから、自分の思いを伝えることができるようになった。
当たり前だけど、この機会は英語上達のためじゃなくて
APUのこれからを議論していくためにある。
意見が言えない状況は、最悪なのだ。
だからもう、恥ずかしさは捨てて、日本語でもいいから伝える。
それでもいいと思った。
国際系の大学って、英語オンリーみたいなとこも多いじゃん?
でもAPUは、英語でも日本語でも授業が受けられる。
だから、なんて言うんだろう?
国際生も、日本語から逃げようと思えば逃げられるし、
日本人も、英語から逃げられちゃうんだよね。
まさに、サミットメンバーはこれがもろに出てしまった気がする。
ミーティングが基本英語なのは分かってたんだから、
「私は英語が苦手で、ゆっくり話してほしい」って私はもっと早くから伝えるべきだった。その上で、英語を話す努力をするべきだった。
「あ、こいつ英語苦手なんだ」と察したとき、国際生サイドは、英語のスピードをゆっくりにしてくれてもよかったのかもしれない。
私たち日本人も、後で通訳してくれたとしても、日本語で話すなら相手が少しでも分かりやすいようにスピードをゆっくりにするべきだった。
多分、何かしなければいけないことに追われて、お互いの思いやりが自然に消えていた。
どんなにスゴそうなことをしていても、思いやりを忘れてはいけない。
それを強く感じて、学んだと思う。
何かを成し遂げるには、素敵な関係を築く必要がある。
素敵な関係を築くには、何よりも対話、コミュニケーションが大事だ。
これは、日本人だ、国際生だなんて関係ないよ。
これまで私が生きてきたような日本人だけのコミュニティだったら、自己開示だとかだけだったけどさ。
APUではそれに加えて、言語能力が必要なんだよね。
高校生までは、テストでいい点取るための勉強だった。
大学に受かるための、勉強だった。
でも、それは違うみたい。違うって思ったよ。
知識があること、学ぶことは、目の前にいる人と分かりあうための架け橋になる。
SALCのPAが私にしてくれたように、誰かを勇気づけることになる。
自分には持ってない、素敵なところに気づくことができる。
そのために、勉強するんだって思った。
人なんてわかり合おうとしたって、100%理解することなんて出来ない。
でも、わかり合おうって歩み寄ることが大事で。
分かりあうためには、何事も、伝えることから始まる。
あのPAは、国際生とかそんな部類じゃなくて
尊敬する教育者の一人だ。
私もあんな風になりたい、そう思わせてくれた。
PAが卒業するまでに、もっと英語のレベルを上げる。それが今の目標だ。
やっぱり、求める未来は自分で開拓していかなきゃいけないみたい。
これは私の人生だから
大学生になって、人と比べた時「あの時もっとこれやっておけば…」が増えた気がする。
だって、自分の出来ないことをサラッと出来る人は普通にいるから。
まだ学生だっていうのに、もう手遅れ感をちょっと感じてしまうときがある。私でいう、英語出来ないみたいな感じでね。
人からすると、そんなのも出来ないの?
もっと頑張れよって見られるよ。見られてるって思う。
正直、胸が痛いし「黙れよ!!!!!」って
心の中で言いそうになる時がある。笑
でも、まだ私たちって学生だよ?なんなら一回生だよ?
みんなスタートラインが違う。
みんなそれぞれの過去で頑張ったからこそ、手に入れている強みがある。
でも、過去に頑張れなかったから、今出来ないことがあるのもみんな同じだ。できる種類と出来ない種類はみんな違う。
今出来ないことって、悔しいこともたくさんある。
でも、悪いことじゃないって思うんだ。
逆に、何不自由なく生きれるようになった瞬間、そこに成長はないって
成長中毒みたいな私は思っちゃう。
得意なことだけ伸ばす人生に私はあまり面白さを感じない。
もちろん、自分の苦手を得意だと感じる人に任せるのも良いけど
私はまだそれが出来ないくらい、自分でやってみるってことが足りてない。
出来ない自分を見つめながら(現実は結構しんどいけど)
少しずつ、できることを増やしていく。
それが結果的に楽しいって思ってる。
誰かから見たら、そんなレベルって思ったとしても
私には、苦手なことで。
最初は、恥ずかしかったけど、今出来ないのはもう仕方ないというか。
できるようにするしかないというか。
周りの声はちょっとだけシャットダウンで。
私になりに頑張るから。
だから、正直今は辛いけど
卒業までには絶対こんな自分もいたなって笑えるくらい
変わるの。変わってみせる。
だから、どうか温かい目で見守ってほしいのです。
悩んだ先にうっすらと見えたもの
長えよ!!って思うくらい書いたけど、
細かく書くともっと長くなるくらい、2024年は悩みまくった。
サミットメンバーのことも、インターンのことも。
正直、10月、11月がピークでキツくって。
たくさん、迷惑をかけてしまったと思ってる。ごめんなさい。
でも、こんなわがまま人間を見捨てずにいてくれる人がいてくれて、本当に感謝しています。すぐには無理かもだけど、絶対、この自分があって良かったって言えるくらい成長してみせるので、少々お待ちを。
ずっと、何気に辛くって。
この一年何を得て、何を学んだのか考えていた時、ウィルドアのとある方が答えになるヒントを与えてくれた。
willdoor Forumというオンラインイベントの前日。
色々あって1on1みたいになってしまい、お話しながらTさんは明日の会場の設計を最後までイジってました。
そのとき、
別にこの作業は僕しか出来ないってわけじゃないし、みんなできるんだよ。
でも、ここにこの文字が書いてあった方が参加者には分かりやすいかもしれない。
なくても困らないかもしれない。だけどあったら便利かもしれないことに気がついて動くことが、誰かの人生をもしかしたら動かすかもしれない。
そうサラッと言ってたんだ。
「私にしか出来ないこと」ってそう簡単に見つからない。
でも、「誰にでもできる、私にでもできること」を積み重ねていくことも大事だよって言ってくれたんだ。
これはあくまで私の解釈だけど、
みんな特別な誰かになろうってしてる気がする。
でも、誰にでもできることって、誰にでもできるから
みんな疎かにしがちな気がする。
だけど、一番大事なのは、さっきも書いたけど
相手を思いやることなんだと思う。
大きなことをやろうとすると、相手が見えなくなる。
最初はあったはずの、思いやりが消えそうになる。
今も、多分10月からそこまで進んではない。
でも、Tさんと話したことで「自分にしか出来ないこと」ばかりを考えるんじゃなくて「今の私でもできること、なくても困らないけど、あったら助かるもの」を生み出せる人になろうって思えたの。
その瞬間、これまで悩んでいた「やりたいこと」がブワーーーーって出てきちゃった。
やっぱり、Tさんって私のやる気スイッチ知ってるのかな?笑
(本当に感謝の気持ちでいっぱいです。。。)
相変わらず、メンタルも弱くって、よく悩む私ですが
迷いながらも、ちゃんと生きて、求める未来に向かって努力します。
2025年は、今年悔しいと感じたことをバネに、悔しかったあれこれを「正解」の未来に塗り替えます。思いやりを胸にね。
ようやく、スタートラインに立てた気がします。
今年出会った人も、ずっと前から出会ってる人も
大変お世話になりました。本当にたくさんの人に救われた一年でした。
良いお年をお迎えください。
2024.12.31
木須さくら