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ほんのすきま。
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本屋さんと喫茶店の日曜日
本屋さんが好きな人には伝わると信じたいあの空間に広がるなんともいえないゆとり。
人とひとがすれちがうたびに、
嫌味のない「あ、居たんですね」の、ぺこり。
背表紙の文字を追いながら、記憶の引き出しを開けては覗き、こんな文字知ってたかなぁと自分の世界を広げて見渡し歩いてゆく。
このタイトル、
この作家、
この出版社、
この帯、
そこかしこに散らばる、懐かしさ。
テレビで紹介されてたなぁ。
昔、読んだことあるなぁ。
これ映画で観たなぁ!
「はじめまして」と「あのときはどうも」が
となりを通った老紳士もそうしたように、
ゆったりと頭を下げる。
ひととおり店内をぐるりと回ったら、
おまちかねの“文芸”コーナーで立ち止まる。
本が好きだけれど、文芸に憧れ学び追いかけてきたけれど、本屋さんに行くときに目当ての本を決めていくことはあまりしない。
今の自分に耳を澄ませて、この気持ちはなんだろう──(『春に』作詞・谷川俊太郎)
新しい本との出会いに心が落ち着かないまま、自分では決められない。まさに「目に見えないエネルギー」が物静かに圧倒して戸惑わせる。
ここで答えをくれるのもまた本だ。
自分では見つからない言葉も、美しくて丁寧で心地の良い文章たちがそっと囁くように、手招きをしてみせてくれる。
ヘッセ、ベケット、ワイルド、カミュ、
ちょっとちがう。
向田邦子、江國香織、原田マハ、幸田文、
ちかい。
でもちがう。
いつもどおり
シェイクスピア、三島由紀夫、吉田修一、
あれ、新装版がでているな、とここで、家の本棚を思い出す。
──旅に出たい。
ああそうだ、ずいぶん空の下にでてなかったから、太陽を見たかった。(今日は曇りだったけど)
それと手に負えない逃避願望。あてもなく冒険してみたいけどできそうもない。
それなら、すこしだけ、昔にもどってみた。
『ムーミン谷の冬』
だれもが知ってるムーミン谷の妖精、フィンランドにいるらしい彼らの物語。
思えば小学低学年のころ、はじめて手に取った翻訳本がこのムーミンシリーズだった。
ハリー・ポッターシリーズにも負けないハードカバーの分厚い本を、三角座りで読んでいた。
大人こそ児童文学を読むと純粋なものの見方に気付かされることが多いとは、『鳩の撃退法』の主人公津田伸一が記憶に新しい。
「このまま結末までいけば、ピーターパンはけっこうな女たらしになってる」
自身と重ねられた主人公の一冊の本を巡り、一人の男の人生を救おうとする小説家もまさか古本屋で手に取った時は人妻との売り言葉に買い言葉へ火に油を注いだ「ものを考えなくて忘れっぽい。うぬぼれが強くて、なまいき」な“永遠の少年”から得て失う出会いがあるとは思わなかったことだろう。
津田伸一の分析口調を真似て言えばムーミンはまずズケズケものを言う。それから怒りっぽい。
思い込みが激しいけど、とぼけているようで芯を食ったところがある。あと大事な点は、物事の捉え方がとても柔軟で素直だ。
ムーミンたちは冬の間を眠って過ごす。
北欧の厳しい冬を春の訪れを待ちながら家族みんなで眠るのが、彼らのしきたりなのだ。
しかしどういうわけか、その眠りから月の光の中、一人目を覚ましてしまったムーミンを見たこともない白銀の世界が包み込む。
家がすっぽり埋もれてしまうほどの雪の感触もはじめは「気持ちわるく、ちくちく」するし「いくらかぶきみなにおい」がして、「なにもかも死んでしまったんだ」とまで思うほどの不安に陥ってしまう。
家中の時計は止まっているし日照時間も短い暗闇の中、しかしそんな孤独と未知に怯えながらもムーミンはとある手紙を読んで冒険へと家を飛び出した。
ムーミンは赤い火の灯りを見て元気を出した。
そこで焚き火を焚いて歌をうたっていたのは“おしゃまさん”という、冒頭のおませな女の子だ。
ようやく会話ができる相手に、無邪気なムーミンは積極的にコミュニケーションをとる。
「それはなんの歌?」と聞けば
「自分でつくった歌よ」と返され、続けて
「あんたなんかにゃ、わかりっこないわ」
そっけないことを言われる。
頭上のオーロラが本当にあると思うか自分から聞いておきながらムーミンが「あると思うな」と答えても反応しない。
それからもムーミンがもっとなかよしになろうと「去年の秋には、ここにはどっさり、りんごがなっていたんだよ」とご機嫌をとっても、おしゃまさんは「でも、いまは雪ばっかりね」と
これにもそっけなく返すだけだった。
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こんな調子で、いつもは夏を中心に描かれるムーミン谷のいきものたちは、基本的に無愛想な「元気のない、活発なことのきらいなものたち」で
ストーブの前でじっと、ぼそぼそとおたがいのことを話す、冬を生きる“お客たち”と季節を入れ替えてしまう。
ムーミンにとって、はじめそれはとても「したしくなれそうにないものたち」だったのだけれど、彼らと太陽が昇るのを待つ冬を過ごす間に、ムーミンは「生きものってのは、なんてさまざまなんだろう」と、心に思うようになる。
忘れんぼのりっぱなしっぽのリスや、照れ屋で姿を現さない台所の住人、食べものをたよって家にくるお客たち、ものを散らかすご先祖、おせっかいなリーダーシップのおじさん、
彼らと過ごすやっかいな“冬”は、ムーミンに知らず内に「責任感」を芽生えさせた。
好き勝手に生きる彼らをわずらわしく思いながらも憎めないのがムーミンなのだ。
ちょうど店頭に並んでいた『ダ・ヴィンチ』
「ムーミン谷の哲学」と特集が組まれていたので買って読んだ。翻訳家をはじめ小説家や、黒木華さんなんてまさに!な女優さんたちが選んだ、ムーミンシリーズの名言や心地よい共感にうっとりする。
とりわけ、三島由紀夫賞をはじめ多くの文学賞受賞作家の言葉が今回感じたものにリンクしたので引用する。
「一人でいることだけが孤独の条件といえるのかどうか。ムーミン谷の住人たちはそんな問いを私たちにやわらかく差し出す。」
自分の知らない世界という孤独は、孤独なんていうものは「周りに人がいてはじめて成り立つ」のだとムーミンシリーズの登場人物たちの行動を振り返り説いてくださっている。
そしてこの特集のキャッチコピーがすてきだ。
「空気を読まない自由さを」
ひとに優しく、しなやかに、空気は読まない。
ぜひともそんなふうに生きられたらどんなにかと思う。けれどもこんな生き方があってもいいと認められていることがうれしい。他人を尊重するからこそ人は孤独であっていいのだと、なんだか救われた気分だった。
何度読んでもムーミンにその時々で教えられることがあるのは、シェイクスピアや世阿弥と同じ、自分の心を成してきた文章だからなのだと納得もした。
これだから本屋さん巡りはやめられない。
「はじめまして」と「あのときはどうも」の余韻。
ぜひ休日は記憶の散歩をしてみてほしい。
ちなみに、ムーミンを奮い立たせたのは冬の間南へ旅に出てしまう親友、スナフキンの手紙だ。旅立つ時に書き置かれているそれはいつも春になってから読むのだけれど、寂しさに耐えかねムーミンは読んでしまう。
そして「あたたかい春になったら、ぼくはまたやってくるよ」という言葉に、希望を見出した。
あたたかい春になれば。
それまでは「よく眠って、元気をなくさないこと」まるで遠距離恋愛中の恋人同士みたいな信頼関係。そんなムーミンとスナフキンのお話はまた別の物語で読むことができるので、読み直してからオススメしたい。(『ムーミン谷の彗星』)
『鳩の撃退法』を読んだ(観た)感想も、きちんとまとめられたらいいな。