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あなたの存在は、それだけで愛されるに値するんだよ
この文章を、いつかのあなたは読んでくれるのだろうか。葛藤もすべて書いてあって、複雑な気持ちになるかもしれない。でも、あなたを愛してきたこと、愛していることもたくさん記しているから。生まれる前のあなたを祈る気持ちは、いまのあなたへの想いと同じ。
あなたに宛てた手紙なのか、記録のためなのか、書き連ねるほどにわからなくなってくる。でも、ここにある全ての言葉は、あなたが紡がせてくれたもの。いつかのあなたの足元を照らす…とは言えないかもだけれど、たしかな足取りを少しだけ支えられることを願って。
生まれてきてくれて、ありがとう。
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「子どもを迎える」という選択について、考え出したのはいつだったのだろう。子ども好きな妻と結婚してからか、「お前には子どもがいた方がいい気がする」と新卒の会社の先輩に言われてからか、就職のときに予測範囲内の未来を描いてからか。気が付くとそこにあった想いだけれど、嫌な感じでは全くなく。大変なのは百も承知。でも、それ以上のなにかを感じられるんだろうな、と想像する。ぼんやりと、いつか子どもを迎えたい、と思っていた。結婚して、互いの人生について語らう時間が増えたことで、より強まっていく。いつか子どもを迎えたい。
その“いつか”が、ずっと消えなかった。
1歳年上の妻が、はやくに子どもを望んでいるのは知っていた。僕を気遣って、子どもについての話題を振らないようにしてくれているのも知っていた。妻の友人の妊娠・出産報告について、目を逸らしながら聞く自分の卑小さも知っていた。願いはあるのに、現実に引き寄せる勇気がない。自信がない。怖い。妊娠は望んだからといって、手に入るものじゃないのに。可能性を考えたら、はやすぎることなんて全くないのに。
見ない振りをし続ける。自分自身のことで溺れていたから。どう生きていくのか、どうやったら生きていけるのか。妻という最大で最愛の人生のパートナーを得て、息がしやすくなったのはたしか。でも、泳ぎ続けられる感覚は手に入らない。生き続ける自信なんてない。そんな自分が、子どもを迎えたいと願っていいのか。変わらないといけない。でも、すいすいと、あるいは、犬かきのようにでも、泳ぐ術がわからない。未来はぐぅわっと口を開き、暗闇で待ち構えてくる。向かうのが怖かった。“いつか”という言葉で誤魔化さないと、溺れながら生きていけなかった。
実は、妻と付き合い始めたとき、結婚についても似たことを話している。僕は体調を崩したばかりの時期で。ちゃんと回復してからじゃないと結婚する資格がない、と話していたのだが、妻に優しく一蹴された。「ちゃんとしてないと結婚できないとは思ってなくてね。ちゃんとしてないから、ふたりで生きていくんじゃないのかなぁ」と妻は言った。ボコンと殴られながら、ふわっと抱きしめられた感覚だった。書いていて思い出したけど、この人と人生を歩きたいと願った、最初のきっかけだったのかも。
このときの身軽になった感覚を覚えてはいた。ちゃんとしてなくてもいいんだな、と。でも、子どもに関して身軽にはなれなかった。結婚は、ふたりで支え合えばいい。その関係性をふたりが望むのなら、どんな形であっても祝福され得る選択なはず。でも、「子どもを迎える」は、大切な当事者がまだこの世にいない。合意なんてとれない。ドラマや小説で、高校生が「生んで欲しいなんて言ってない!」と親に向かって叫ぶシーンがある。ほんとにそうだよなぁと思う。「子どもは親を選んで生まれてくる」のような言葉もある。そんなはずはない。生そのものは、所与のものとして存在する。子どもを迎えようとするのは、親のエゴでしかない。いまでも強く感じている。そのエゴを無視してはいけないと思う。
5年前くらいに「あくつは結婚して、子どもを考えた方がいい気がする」と言ってくれた先輩がいた。本気で案じてくれていたんだと思う。あくつは生きようとするのを、ふっとやめてもおかしくないから、と。だからこそ、自分以外の大切な存在を持った方がいい、と。自分でも、そう思う。共に生きる大切な誰かがいないと、僕はきっと僕の電源を切ってしまうから。早めに結婚したいとも思っていたし、実際に結婚して強く感じる。大切なひとと暮らすから、なんとか生きられている。
結局、話はもとに戻って。結婚なら、ある種のエゴにまみれた選択でもいい。相手との腹を割った会話を経ての選択だったら、それはエゴとは別のなにかでもある。でも、子どもを迎えるのは、親のエゴ以外のなにものでもない。僕が生き続けるため…なんて、生まれてくるいのちに対して、不誠実にもほどがある。それはもはや、手段としてのいのち。途方もない存在への冒涜だ。ましてや、生きるのが下手な自覚がある身。なにかの我慢を強いる可能性もある。手段として迎え、苦労をかける。それでも…と決断する道は暗すぎて見えなかった。
世界は美しい。同じくらい、世界は終わっている。この瞬間を何度も味わいたいと思うほどの陶酔もあれば、いまここで歩みを止めたいと思うほどの絶望もある。世界を絶対的に信じられていないのに、新しいいのちを誕生させる拠り所はどこにあるのか。「いつか死ぬのに、なんで生きるんだろう」とずっと考えている。答えは見つからない。見つかるものとも思っていない。それでいい。でも、いのちを誕生させる選択に向き合うと、それでいいとは思えない。仮にいのちが来てくれたとして、それでも僕が歩みをやめたくなってしまったら。いったい、なにをして償えばいいのか。
袋小路とはよく言ったもので。考えれば考えるほど、悩めば悩むほど、壁が迫る。息苦しい。逃げたい。怖い。
気を遣って話題を振らずにいてくれる妻の、子どもを望んでいるし焦りもあるのに待ってくれる妻の優しさに、ただ甘え続けていた。ズルい男だなぁと、いまでも思う。
そんな僕を押し潰してきた壁が、スッと薄れるときがくる。
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結婚したとき、友達から「結婚を決めたきっかけは?」と訊かれては困っていた。明確な出来事はないし、なにかの条件を満たしたからでもない。不誠実かもしれないが、ノリと勢いしか言えない。なにかに動かされ、辿り着いたもの。
「子どもを迎えたい」に取り憑いた“いつか”が薄れたのも、似た感覚だった。葛藤や怖れが消えたわけでは決してないし、不安にまみれた状態のまま。だけど、「迷っていてもいいのかも」と自分を赦せる、はじめての凪がきた。
大きなきっかけは、妻の実家へと遊びに行ったときのこと。ご実家に泊まらせてもらって、僕・妻・ご両親の4人で過ごす。日曜日の昼下がり、部屋の隅に置いた荷物を手に取り、ふとリビングに目をやると、妻とご両親の3人が穏やかな顔で話している。その風景を見たとき、唐突かつ鮮明に「いまここに子どもの存在がいたら、それだけでいいじゃないか」と脳裏に浮かんだ。戸惑った。子どもを迎える未来が浮かぶなんて、はじめてのこと。次第に、戸惑いを温もりが包む。長年の怯えが、砕かれるのではなく、ほだされていく。なんの気負いもなく、ふぅわっと「あ、大丈夫かも」と感じた。知らない心の温度に、泣きそうになる。“いつか“が、ふっと薄れる。子どもを迎えたいと、純粋すぎるほどに思った。
帰りの新幹線。「あのね」と、妻に話す。僕から子どもを迎えることの話題を振ったことはない。不安そうだけれど、嬉しさも滲む顔でじっと聞いてくれた。僕を気遣うことも忘れない妻。
「無理してない?」
「うん。なんかね、説明できないけど、ふたりで子どもを迎えたいなって」
勢いと言えば、それまで。タイミングが来たと言えば、それまで。でもきっと、「新たないのちの誕生」という論理を超えた事象に、理性で抗おうとしていたのが間違っていたのかもしれない。みんな、どうやって子どもを迎えようと決めたんだろう、とずっと不思議だった。いのちを継ぐという、途方もない営みに参加する覚悟は、どのようにして持つのかと。僕が同じことをいま問われても、まったく答えられない。まるで、僕の決断ではないみたいだ。どれだけ待っても不安はあり続けるし、どれだけ僕が変わっても、いのちの誕生が持つ畏れ多さには、ひれ伏すしかないのだと思う。だからこそ、人智を超えたなにかに突き動かされる形でしか、動けなかった。決して論理的ではない意志の浮かび上がりが、とても心地好かった。
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ただ、論理的ではないということは、容易に変貌するということで。意志は確固たるものでは決してなかった。2023年2月、めちゃくちゃ体調を崩した。久しぶりにお仕事のお休みももらったくらいで、どう生きていくのかは見えないし、そもそも生きていきたいのかも分からない。死にたくはないけれど、「死にたく“は“ない」という消極的な欲求で、生を選び続ける自信がなかった。そんな状態で、未来を描けるわけもなく。ただ息を潜めて、じっと耐える。なにを願って耐えているのかもわからず、うずくまって呼吸を続ける。
妻の生理が止まったのは、そんなときだった。
期待よりも、不安が先に来る。そわそわする妻を諭しながら、もう少し様子を見てみよう、と言う。妻は生理不順持ちなので、違う可能性も多分にある。逃げ腰。この期に及んで。日が流れ、いよいよの時期になっても、「本当に…?」と訝しんでしまう。ふたりで検査薬を買いに薬局へ。家にもどり、「行ってくるね」と、検査薬を片手にトイレに向かう妻。僕らが買ったのは、結果が分かるまで1分ほど待つタイプ。一緒に浮かび上がりを待とう、と話していた。もちろん期待もある。等しく不安も大きい。結果を待つ心臓がうるさい時間を想像していると、さっきまで使っていた携帯が見当たらないときのような顔で、妻がトイレから戻ってきた。
「なんか、一瞬で線が浮かんできたんやけど…」
手元を見せてもらうと、くっきりとした短い線。すごい勢いでやってくる現実に、心が置いていかれている。距離が大きすぎて、期待も不安もなくなる。陽性を示す線に、ふたりで首を傾げていた。
その流れで予約した産院さん。いざ…とふたりで乗り込もうとすると、感染症への警戒が強い病院で(だからこそ安心なのだけれど)、僕はなかに入ることができなかった。駐車場でひとり待つ。病院の様子なんてわからない。ずっと届いていた妻からの連絡がなくなり、時間が流れる。いろんな想像が暴走をはじめる。ひとりで泣いていて、連絡できない状態なのかも…誤陽性やったんかな…子宮外妊娠もあるって言うし…心臓が動いてなかった…? その一方で、別の不安も走り出す。もし本当だった場合、僕は喜べるんだろうか。喜べなかったら、どうしようか。それこそ冒涜でしかない。生きていけるのか。生きていきたいのか。育てられるのか。親になれるのか。
3月2日午前9時40分。風が冷たく、よく晴れた日。握りしめていた携帯が震える。アプリの設定上、通知欄には「新しいメッセージが届いています」としか表示されていない。早く確認したくて、見るのが怖くて。大きく息を吸い、5秒かけて吐く。親指と画面が触れる。携帯の画面には、短い一文。
「赤ちゃん、順調だって泣」
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感情を表す言葉はたくさん知っている。でも、あの瞬間に身体を貫いた感情を記すには、どうも言葉が追いつかない。「嬉しい」「幸せ」では、到底足りない。いましか生きていない僕には知り得ない、何百、何千年もの歴史がなだれ込んでくる感覚。父親、母親の顔が浮かぶ。僕は、“生きてきた”んじゃなくて、“生かされてきた”んだなと呆然とした。感謝とかではなく、もっと大きなものに触れた感覚、途方もないものと重なった感覚。遠くにそびえる雄大な山を見たときの解放感を、何千倍にも濃縮させたものが一気にやってきた。不遜でしかないけれど、悟りを開くってこんな感じなのでは、と思う。
妻が入り口から出てきた。フロントガラス越しに、感情が迷子になった見たことのない顔。僕の下瞼から、涙が盛り上がる。妻の顔も歪んでいく。車のなかで泣きながら抱き合って、ようやく現実に心が追いついた。いのちが、新しいいのちが、生まれるんだ。
その日のエコー写真に写るのは、小さな白い輪っかのような物体。2mm。妻はピコピコとうごく映像も見たらしい。たった2mmが、子宮で生きている。頭ではわかっているけれど、写真の輪っかが、これから人間になっていくなんて信じられなかった。言葉では何度も聞いた「生命の不思議」を、強く、強く感じる。
親になるんだなぁ…と遠くを見てしまう。「親」は、あくまでも自分の両親を指す言葉で。でも、子どもにとっては、僕が「親」で。くらくらしてくる。親か。親になるのか。世代を超えて、何度も何度も繰り返された営みの先端に、僕らがいるのか。自分という個体が、世界というひたすらに続いてきた歴史に溶け出していく。長らく抱いてきた不安を押しのけて、はじめての感覚がやってくる。子どもは…いや、あなたは本当にすごい。
3月2日。ぼわぼわっとしていた子どもという存在を、あなたと呼ぶようになった日。お腹のなかにいたときは「おこまるさん」って呼んでたんやけどね。
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はじめてましての感覚は、もちろん酔って心地よいものだけではなく。妻とぶつかる頻度が増えたのは、かなり大きな変化だった。大きな原因は得意不得意の違い。新しいいのちが生まれるということは、家庭内においても、社会的な制度においても、大きすぎる出来事で。さまざまな準備物、役所での手続き、あふれかえる情報収集と精査、片付け、話し合い…etc。これをやっつければ、あれが襲ってくる。いわゆる「タスク」が大量にやってくる。
そして、このタスクをこなしていくのが、僕は大の苦手。計画を立てることも、それどおりに片付けていくことも苦痛。事務処理も苦手。役所からの封筒なんて、もうそれだけで拒否反応が出て、封も開けずにずっと放っておくタイプ。
一方、妻は段取りを組み、いかに最適な順序でキレイに片付けていくかを考えたくなる人。後回しにしているところを見たことはないし、封筒なんてすぐ開けている。机に置く前に開けられるなんて、信じられないけれど。逆に、立てた段取りがズレていくことが苦痛になるタイプ。
そりゃあ、ぶつかる。でも、ぶつかるたびに、この人が大好きだなぁと実感する。その瞬間だけは少し感情的になったとしても、すぐ話し合う。すべてが解決するウルトラCな方法なんてないけれど、何度も何度もぶつかっては話し合う。たぶん、最後に「向き合ってくれてありがとう、大好き」とハグをせずに終わったぶつかりはないんじゃないか。
「負担かけてごめんね」と何回も言った。妻は「一緒だから、いっぱい救われているんだよ」と繰り返し伝えてくれた。妻は「迷惑かけてごめんね」と何回も言った。僕は「一緒だから、生きていきたいんだよ」と繰り返し伝えた。
数年前の「ちゃんとしてないから、ふたりで生きていくんじゃないのかなぁ」という言葉が蘇る。ひとりでは弱っこい我々だけど、ふたりだから。これからも、大丈夫。
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お世話になっている病院では、陣痛室に入ることは無理だけれど、分娩室、つまりは生まれるその瞬間の立ち会いはできる。それを知ったとき、出産には立ち会おうと決めた。それは、ちっぽけな意地。立ち会いたい、じゃない。僕は立ち会わないといけない。
知り合いに、コロナ禍まっただなかで第二子の出産を迎えたご夫婦がいる。立ち会いはできなかったとのこと。夫さんとのお話のなかで、「第一子は立ち会えて良かった」としみじみ呟いていた。「最初の子のときに立ち会えなかったら、自分と子どもの存在が結び付かなかった気がする」と。
この結び付きを感じたかった。感じられないことが怖かった。いのちは、決して勝手に生まれるものではない。人は、人から生まれる。そんな単純すぎる事実を僕は知らない。知っているけど、まだ知らない。生まれ出る存在が妻と繋がっていること、つまりは僕とも繋がっていることを、僕は知らないといけない。妻から生まれたんだと、この目と肌で感じないといけない。
それは、産後もひたすら渦巻くであろう怖れに抗う、たしかな拠り所になるはず。ただの直感。出産の現場なんてフィクションのなかでしか触れていないけれど、あの感動を味わいたい、などではない。出血等々で、かなり衝撃的な現場になる可能性も聞く。でも、逃げるなんて選択肢はなかった。
葛藤にまみれた弱さのもとに、あなたが来てくれたんだから。
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中期の検診は、月に一回ほど。エコー写真に写る白い物体が、少しずつ人型になっていく。頭、腕、手、足、目のくぼみ、鼻、耳…。人間が出来上がっていく。超音波3D画像(エコー画像と違って、立体に写し出してくれる)では、細っこい腕や脚などもわかりはじめる。会ったこともないのに「かわいいねぇ」と言ってしまう。不思議ですね、あなたは。
あっという間に性別を診断できる時期になった。けれど、僕たちは性別を聞かないことにした。僕たちというか、僕のこだわりに妻を付き合わせたのだけれど。なんとなく、生まれたその瞬間に性別がわかったら、目の前に現れる存在への感謝が大きくなる気がして。「あなたは男の子やったんやなぁ」ってなるのか、「あなたは女の子やったんやなぁ」ってなるのか。その不確かさに身を投じるのが、いのちに向き合っていることな気がして。妻は首を傾げていたけれど。付き合ってくれてありがとうね。
いのちは、不確かさを抱いている。あなたが来てくれてから、強くそう思う。わからなさや、どうなったとしてもおかしくない事実。心は翻弄される。だからこそ、人は祈り、涙を流すのだろう。
とある日の診察、僕も翻弄された。
時が流れても、駐車場で妻からの連絡を待つ身は変わらない。そわそわしながらも、謎の自信を胸にケータイを握っていた日がほとんど。けれど、一度だけ、不安が勝手に走り始めたことがあった。
心拍が止まってたら。脳が育っていなかったら。妻の体内に異常が見つかったら。子どもの臓器に異常が見つかったら。すぐに手術になるかもしれない。妻になんて声をかけよう。いのちは助かるのか。それでも助かるはず。もし助からなかったら。いや、大丈夫。きっと、大丈夫。でも、そうだったら支えないと。妻がひとりで泣いているかもしれない。支えられるだろうか。僕たちは明日を向けるだろうか。
この日は、止まらなかった。大丈夫と信じているのに、信じたいのに、良からぬ想像が頭を占める。ひとりで泣いていた。どうしようもなかった。祈るしかなかった。何に祈っているかなんてわからないけれど、祈ることしかできない。無事でいますように…生きていますように…。
携帯が震えた瞬間に、メッセージを開く。「とりいそぎ!元気だった!」と妻。一気に身体の力が抜ける。さっきとは別の涙がこみあげる。
あなたは、本当にいろんな“はじめまして”をくれるね。
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妊娠9ヶ月目、妻がいきなり自宅安静になった。早産に繋がる危険性があるとのことで、外出はおろか、家事等々で立つのもNG。基本的には横になって過ごすように…というお達しをもらった。
この安静が解除されるまで、約1ヶ月半ほど。いままでの比じゃないくらい、ぶつかるようになった。
妻が横になるしかないということは、家事の全てを僕が担うということ。一人暮らしも長かったから、家事自体は苦じゃないけれど、いままで分担していた作業がいきなり二倍になるのは、単純にしんどい。
妻は妻で、横になるしかない生活。元々じっとしているのが苦手だから、ストレスしかなかったと思う。家でひとり、横になって過ごすしかない。状況は違うけれど、僕も体調を崩していた時期は、日中ひとりで布団の上にいるしかなかった。あの時期の、時間がひたすらに引き伸ばされる感覚は、めちゃくちゃしんどかった。同じ感覚を妻が抱いているとしたら、辛すぎる。しかも、動くと早産になるかもしれない状況。当時の僕は、起き上がる気力がなかっただけだが、妻は気力も体力もあるのに、それでもじっとするしかない。
そんな妻が想像できるから、僕は元気に振る舞うしかなかった。「全然大丈夫!」と、疲れた顔を引っ込めながら、日曜の夜に平日お昼の作り置きをつくる。寄り添う余裕がないことを隠しながら、妻の不安を抱きしめる。
数日も経たないうちに、歯車はズレはじめた。
これも想像はできるけれど、すべての家事を僕にやってもらうという状況を、妻はとても申し訳なく思っていて。だからこそ、食べたいものがあっても、味付けの要望があっても、掃除で気になる箇所があっても、「こんなお荷物な自分が…」となり、僕に言えなかったらしい。でも、言えないからといって、それらがなくなったわけではなく。不満とも呼べないくらい小さな澱みが、溜まっていく。
僕も、精神的な疲労がピークを迎える。妻を気遣う余裕が見当たらなくなる。それでも、大変なのは妻なんだから…と無理をした。
きっかけは些細なことだったけれど、久し振りにふたりとも感情が爆発した。ぶつかるたびに話し合ってきた…と書いたものの、安静期間に入ってからは、互いを気遣いすぎて、ぶつかりあうのを避けていたのだと思う。澱みを見ない振りして、痛いところを避ける日々。向き合うのは、痛い。でも、その痛みが、ふたりを繋いでくれるんだなと痛感した安静期間だった。また妻を好きになる。
「子はかすがい」と言うけれど、きっと子どもの存在がたくさんの想定外を持ってくるから、ふたりの異なりが浮き彫りになり、それと向き合い続ける痛みこそが縁を保ってくれるのだろう。
何度ぶつかっても、「向き合ってくれてありがとう、大好き」を繰り返していけばいい。違う人間が一緒に歩んでいくのだから、我慢ではなく、関係を続ける努力をしていく。改めて、異なりと共に生きる難しさと尊さについて教えてもらった。
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妊娠期間に教えてもらったことは、もうひとつ。家族以外に寄り掛かることの大切さ。
前述の通り、安静期間中はかなり精神が磨り減っていた。紛うことなき、疲労。元気ではあるけれど、いっばいいっぱいで。ちょっとした揺れで溢れ出しそうで。
そんなとき、スタッフとして勤務しているコワーキングスペースに行くと、妻の名前を口にして、「体調もろもろ大丈夫?」と聞いてくれる人がたくさんいた。「安静になっちゃって、ちょっとしんどそうですね…」と答えると、「それ、あくつくんも大変だよね」と返してくれる人も何人か。そして、「なにかあったら頼ってね」と。一緒に農家さんのお手伝いをしている人からは、心配のLINE。悩みがちなところが、その方の息子さんと僕で似ているらしく、何度も何度も気にかけてくれた。
あぁ、僕たちはこの地域でしっかりと暮らせてるんだな…とじんわりくる。移住して1年も経っていない僕たち。いろんな人とお話させてもらってきたけど、やはりまだ外の人。さまざまな集まりに顔を出しても、どこか足取りが定まりきらない感覚があった。
そのなかで、ふいに届いたあたたかさ。地縁は煩わしさばかりが着目されるけれど、やはりセーフティネットとしての役割も大きいと思う。弱っこい僕たちは、到底ふたりだけでは生きていけない。気にかけてもらえる、頼らせてもらえる。その事実が、どれだけ心強いか。
あなたが生まれてからも、ともに暮らす人たちに寄りかかろう。それと同時に、寄りかかってもらえるようにもなろう。助けてを言い合える。迷惑をかけ合える。そんな可能性を探していきたい。
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僕は、本当に弱っこい。
妊娠期間中に、生きていく自信が喪失したこともあった。驚くくらいに自分を責める。親になる資格がない。生まれてくるいのちに申し訳ない。頼りにならない夫で、負担しかかけない親で不甲斐ない。「親」というフィルターが挟まると、途端にいままでの落ち込みとは質が変わってくる。僕が発する僕への暴言が、鋭さを増す。
特に、長年の付き合いである虚無感との向き合い方がわからなくなっていた。ずっと「いつか死ぬのに、なぜ生きるのか」を抱え続けているけれど、その前提となる「いつか死ぬ」のイメージには、果てしない虚無がある。僕は、いつか死ぬ。妻も、いつか死ぬ。生まれてきてくれたあなたも、いつか死ぬ。世界もなくなるし、地球もなくなる。誰も彼も、虚無に向かって歩みを進めている。なのに、生きようとするのはなぜなのか。
いまでも、この感覚は手放していないし、むしろ僕が僕である大きな所以だとも感じているので、大切にしていきたい。けれど、底にいるときは、この虚無感を抱いていること自体に、強すぎるほどの罪悪感を覚えていた。
死にたいとは思ってないし、死ぬ気も全くないけど、生きていける気がしない。生きていく自信がない。大好きな妻を、大好きなあなたを想うと、生きていきたい。なのに、「生き続ける」という選択をとり続ける拠り所がなくて、明日のことを考えられない。考えても意味がない、とまで思うこともある。「明日も生きる」という大前提を信じられていないし、信じたくなくなっている。妻の傍で、あなたの傍で生き続けたい。なのに、虚無感がそこにいる。だから一層苦しい。虚無感への罪悪感、申し訳なさ、不安、怖れ。
このような話を、妻に泣きながら、つっかえながら何度も話してきた。妻は、いつでも優しい目で受け止めてくれる。妊娠後期、妻の大きくなったお腹を見つめながら話していた。いつもどおり「そういうところも大好きだよ」と言ってくれた。その言葉を噛み締めて、なんとか息を継ぐ隙間を見つける。まだそこにある、生き続けることへの怖れ。
妻のお腹に手をやると、待ってましたというタイミングでポコリと動いた。顔も見たこともないあなたを感じた瞬間、もうダメだった。話すこともできなくなり、涙を流して嗚咽するしかなかった。時間差で、大きすぎる安堵が襲ってくる。なにか途方もないものに、いのちを肯定された気がした。ただひたすらに「生きていきたい」という願いが心を占める。虚無しか待っていないとしても生きていきたい、と28年の人生ではじめて強く願った。
あの感覚をうまく表現できない自分の筆致を、これほどに恨めしく思うことはない。何十年とかけ続け、虚無とともにある願いをことばにしていくのが、僕の使命なのかもしれない。
正直、罪悪感はなくなっていない。生きていく自信がなくなることは、多々ある。それでも、「生きていきたい」と願っている。申し訳なさは消えないからこそ、それごと抱きしめられるほどたっぷりの愛を届け続けようと決めている。
何度でも言う。あなたはすごい。こんな僕に「生きていきたい」と強く願わせるなんて。
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臨月を迎えた。妻の安静もようやく解除になった。「今週のどこかで生まれてもおかしくないですね」とも言われる。いよいよだ。そわそわする。
…となってから、はや2週間が経った。陣痛は夜に来ることが多いと聞くので、布団に入るときは毎晩「このあと深夜に病院まで送り届けるかもしれない、明日になったら生まれているのかもしれない」と気を張っている。そして、何事もなく朝を迎える。妻と「いっぱい寝れたねぇ」とちょっと残念さを滲ませて笑い合う。少ないケースかもだけれど、日中に陣中が来ることもある。出先では携帯が気になって仕方がない。「陣痛かも」と、いつ連絡が来てもおかしくない。LINEの通知が来て携帯が震えるたび、鼓動が3倍になる。妻と一緒にいるときも、気が気じゃない。「すごいお腹張ってる」と聞くだけで、そわそわ。気もそぞろとは、このことで。何も手に付かないから何もしてないのに、びっくりするほど疲れる。
落ち着かない原因はもうひとつあって。妻は145cmとかなりの小柄なので、2600gくらいの大きさのときに生まれてくれたら…と病院の先生から言われてきた。安静が解除になったのも、あなたの体重が推定2500gくらいと診断されたから。「今週生まれてもおかしくない」は事実だけれど、より正確には「今週くらいに生まれて欲しい」だった。大きくなりすぎると、妻への負担が増えてしまう。骨盤を通れないくらいになると、否応なしに帝王切開へ。母体への負担を考えると、自然分娩を望んでしまう。そもそも、大きくなりすぎたら、あなたも痛いんやで…?
帝王切開にならずとも、誘発分娩になる可能性もある。入院して、計画的に陣痛を起こす。引き続き感染症への警戒が強い病院なので、入院になったら、次に僕が妻と会えるのは、分娩室で生まれるその瞬間。ようやくお腹が痛み出したことへの感動も、お産に立ち向かう妻を抱きしめることも、そこにはない。僕はただ日常を過ごし、病院からの連絡があれば車を飛ばすだけ。自然分娩であったとしても、陣痛室に入れない以上、構図はあまり変わらないかもしれない。それでも。男は無力でしかないとしても、はじまりを一緒に迎えたい。痛みと向き合う妻を、僕が病院に送りたい。
けれど、まぁ生まれてこない。診察にいっても、子宮口は一向に開かず、子宮も下がっていない。お腹の張りは増えたけど、前駆陣痛もない。そろそろ兆候があるか…!と期待した診察で、先生から「気配もないですね…お腹のなかが心地よいのかなぁ」と言われる。ふたりで「のんびりした子なんかねぇ」と笑うものの、ふつふつと緊張感が広まっていく。
張り詰めた心は、一針で破裂する。
ふたりのあいだに暗雲。明らかな苛立ちではなく、言われれば…くらいのもの。けれど、もぞもぞするピリっとした空気が増えた。そして、予定日5日前。いろいろあって、妻がめちゃくちゃ泣いた。おそらく妊娠期間で、最も泣いていたと思う。その涙を受け止めつつ、僕も心に浮かぶことばたちをなんとか口に出し、ひたすらに泣く。何度も書いた申し訳なさが再び出てくる。エゴとの折り合いがつかない。怯えや怖さが渦巻いている。ごめんね、本当にごめんね、と思う。大好きだよ、ありがとう。だからこそ、ごめんね。
抱き合いながら、互いの心をベソベソと話した。涙も引いて、どこかさっぱりと。そのあと、改めてふたりで確認したこと。たしかに、いのちの誕生を願ったのは親のエゴ。でもそれは、この世に現れるという事象についてのみの話で。子宮のなかで大きくなりはじめてからは、もう親のエゴなんて意味をなさない。いつ生まれるのかにも、これからどう育っていくのかにも、僕らは介入できない。誰にも介入させない。物理的な制約はあるかもだけれど、コントロールしようとしない。僕たちは、この子をひたすらに愛すればいい。
これが予定日5日前。最後の最後に、大切なことを胸に宿すことができた。「ふたりとも、まだまだなんやから」と呆れたあなたが、一肌脱いで与えてくれた時間なのかも。そう思ってしまうことも、親のエゴだろうか。いや、これは単なる親バカか。
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予定日2日前の診察。金曜日だった。誘発分娩のための入院が、3日後の月曜日に決まる。今日、明日、明後日で陣痛が来なければ入院。ひとりで陣痛を迎えるのが一番不安だろうに、「いつでもいいから無事に生まれておいでや」とあなたに声をかける妻。そうよ、来てくれたらそれでいいのよ。
性別を聞かないことにした、と前に書いたが、このタイミングで先生が口を滑らせてしまった。あとちょっとだったのに…とは思ったけど、強いこだわりでもないので、落ち込みもなく。名前は、両方のパターンを考えていたので、このタイミングで「おこまるさん」ではなく、名前で呼びかけられるようになったのは嬉しい。
はじめてのおくりものになる、あなたの名前へ思いを馳せる。「なんでこの名前なの、と聞かれたとき、ちゃんと答えられるようにしとこう」と、景色の良いカフェに行き、ふたりでつらつらと話す。妻は一文で、僕は長ったらしく、答えを用意。名前への愛着が増す。それは、あなたへの愛情が増すこと。
僕はコーヒーを、妻はレモンスカッシュを飲みながら。どことなく充実した空気が、ふたりに流れる。いよいよ、いよいよだ。
そんな日の夜に陣痛が来るなんて、ちょっと出来すぎだろう。
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内診があった日は、子宮が痛むらしい。前回の診察後も「なんかちょっと痛いなぁ」と妻は言っていた。だから、夕飯を食べるそのときにも、一緒にお風呂に入るそのときにも続く痛みは、内診によるものだと疑わなかった。
19時30分。ドライヤーを先に済ませ、寝室に戻り、日課のストレッチをする。明日明後日は、あなたが生まれる前の最後の土日。入院に向けて、どんな楽しい時間をふたりで過ごそうか。妻は、入浴後にいつも、子宮に良いとされるベビーリーフティーを飲んでいるので、ケトルでお湯を沸かして待つ。
19時45分。ドライヤーを済ませて寝室に戻ってきた妻に、「お湯沸かしといたよ」と伝える。「ありがとうねぇ」と妻。「あと」と加える。「なんとなく痛みの間隔を気にしてみたら、定期的な気がして…違うと思うけど、伝えとくね」と妻。聞くと10分間隔くらい。半信半疑どころではなく、一信九疑くらい。「あ、また痛くなってきた」と妻が言う。ふたりで、はて?と首をかしげる。
20時00分。変わらず定期的な痛み。気にしすぎないように、時間はあまり測らず。それでも「もしかしたら…?」とそわそわうろうろの僕。それを横目に、「まぁ焦らずにねぇ」とベビーリーフティーを飲むゆったりの妻。なんなら「もしものために」と言って、毎晩欠かしていない眉ティントとやらを塗りはじめる。陣痛が来たら持っていく荷物の中身を、意味もなく確認する僕を見ては、にやにやしていた。
20時15分。神経質になりすぎないよう、陣痛タイマーではなく、携帯の時間表示で間隔を測りはじめる。この時点で、8分、9分くらい。妻が、「あ、痛みがきた」と伝えてくれるので測りやすい。とはいえ、その最中も普通に会話ができる。軽めの生理痛くらいとのこと。陣痛のはじまりは、もっと重い痛みと聞いてたので、ようやく前駆陣痛がきたのかなぁと思っていた。二信八疑。「出てくる準備をはじめたのかもね」とふたりで笑う。妻が寝間着から着替える。一応、ね。
21時00分。陣痛タイマーを使いはじめる。波がきたとき、「あ、痛い」とだけつぶやき、最中は声を発せられない様子に変わる。妻は、「陣痛がきたら、おこまるさんに酸素を送るのが私の役目だから!」とずっと言っていた。その言葉どおり、深い呼吸を繰り返す。間隔は6分〜7分と短くなっている。間隔は測れるけれど、痛みの強弱が僕にはわからない。前駆陣痛か、本陣痛か。どっちだ。
21時15分。痛みの波がきても、力まないように目を開けて息をはく妻。まったく動じていない。痛いとも言わない。酸素を送ることに集中している。波の合間も少し痛いみたい。痛みが強まるタイミングでは、身体を起こした方が楽。だけど、合間は寝転びたいから、寝たり起きたり。起き上がって深い呼吸をしているとき、僕は「ありがとう、大丈夫やからね、絶対大丈夫」と手を握るしかできない。寝転んで身体を休めているとき、僕は無言で抱きしめて頭を撫でることしかできない。まだ合間に言葉のやりとりはできる。僕も寝巻きを着替え、荷造りを終わらせる。
21時40分。5分台の間隔も出てくる。判断できないけれど、なにかあってからじゃ遅いので、病院に電話。対応してくれた助産師さんは淡々とした方で、「そんなに痛み強くなさそうだし、痛む箇所的にもまだかなぁ。前駆陣痛かもしれないし。初産だし、もう少し間隔が短くなったら、もう1回電話して」とのこと。その言葉で、今後の判断にますます悩むことになる。
22時00分。5分間隔が多くなる。動くからなのか、トイレに行くと間隔が3分台に縮む。急に短くなって、焦る。合間の言葉も少なくなり、無言で起きて、息を吐いて、寝転がる。繰り返し。横になっていると、「寝れる…」と思うらしい。ただ、その直後に痛みが強まるとも。不思議だ。息を吐いている妻の太ももに手を置くと、とても小さく震えていた。なにも言わずに震えている。本当にすごい。男は無力だ。傍にいるしかできない。
23時00分。5分を切りはじめる。寝たり起きたりがつらくなってきた様子。布団や抱きまくらを重ねて、斜めに寄り掛かれる姿勢をつくる。トイレに行くと、寝室まで戻れなくなったので、トイレ入口あたりに布団たちを運ぶ。これは本陣痛なんだと、ようやく心が認識した。必死な妻を目の前にしても、まだ違うんじゃないかとどこかで思っていたのだろう。「どうなんだろう…でも、これが本陣痛…? いや、でも…」を2時間ほどひとり繰り返し、このタイミングで心が決まる。陣痛が来たんだ。新しいいのちが生まれるんだ。
(この判断が遅くなったことで、病院で妻に寄り添う代わりになれば…と夜な夜な書いていた手紙を渡すタイミングを完全に間違えた。大変な状況の妻に「ありがとう、生まれたら読むね…」と言わせる始末。ごめんよ…)
23時15分。病院への二回目の電話。先程の助産師さんも「どうしようかな」と判断に悩む様子。妻が「夫とギリギリまで一緒にいたいんです」と息も絶え絶えに伝える。「じゃあ、もうちょっと頑張ろうか」と、またしても淡々と。この状況のなかで、まだ一緒にいたいと言ってくれた。無力さを頭にちらつかせている場合じゃない。なにもできないけど、すぐ傍で感謝と愛情を渡し続けることならできる。心からのありがとうと大好きを。
24時00分。4分前半…と思ったら6分台も顔を出す。判断に迷う。早めに病院に行ったほうが安心だし、なにかがあってからじゃ遅い。けれど、それは妻をひとりにさせることでもある。妻の安全と、妻の安心を天秤にかけ続ける時間。間隔は短くなっていく。「これくらいで電話しよう」と考える余裕が妻にあるはずはなく。天秤が平衡になり、安全に傾く瞬間を見極めるのは、僕の役目。合間合間で、荷物の最終確認を済ます。いつでも大丈夫なように。
24時30分。4分、たまに3分台。これはいよいよだと判断し、3回目の電話。助産師さんに「どうする?」と言われて、10秒ほど悩む妻。「病院いきます」と細い声で答える。超特急で、出発準備。車を玄関そばにつけ、妻を乗り込ませる。
24時50分。出発。助手席で頑張る大好きで大切な存在を、無事に病院へ送り届けるという、最大の役目。不思議と平常心な自分に驚く。感謝と愛情を伝え続ける。赤信号で止まったときは、妻の手に触れる。ありがとう、大好きだよ。
25時10分。病院に到着。助産師さん、笑うくらいの淡々とした対応。「じゃあ旦那さんはここで」と、早々に立ち去ることになった。妻を見送る最後の場面。次に会うのは、分娩室での最後の瞬間。いろんな言葉が喉に張り付いて、なにも出てこない。妻の手を握って、目を見てうなずく。言葉を越えたものが伝わっただろうか。入り口のドアが閉まると、深夜の静寂に放り出される。見ない振りしていた無力感が、一気に襲ってくる。あとは、祈るしかできない。僕には、なにもできない。
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深夜だけれど、両家に連絡をいれる。泣きそうになる。でも、いま泣くものじゃないと文字を打つ。既読はつかない。妻の両親にはリアルタイムで状況を共有した方がいいのでは…と、電話も掛けてみたけれど、出ない。そりゃそうなので、少し考え直す。明け方に気づいていただけたら、それでいいのかもしれない。長い夜になるはずだから。
駐車場で待っていると、30分後くらいに妻からLINEが。子宮口は8cm開いていた。けれど、あなたが降りてくるのに時間かかりそうで。助産師さんいわく、「早くても朝になるから、旦那さんは1回家に帰ってもらって大丈夫」とのこと。悩む。頑張る妻のもとを離れて、家に帰っていいのか。駐車場で僕が待機することに、何の意味もないのだけれど、一緒に耐えないといけない気がした。車の後部座席で仮眠をとろうとする。けれど、いざ病院に呼ばれたときに万全の体勢で、妻のもとに駆けつけられる方が大事だろう、と語りかけてくる自分もいる。悩む。仮眠で体調を整えるべきか。駐車場でじっと待つべきか。気を抜くと、いまがただの日常だと思えてくる。家に戻ると、想像力がしぼんでしまいそうな気がする。妻は頑張ってくれているのに。
悶々としていると、この迷いは、無力さをなんとか誤魔化そうとしたいがゆえの迷いなんだ…とふと気づく。気づいてしまう。何もできない自分に耐えられず、自分をある種の苦痛のなかに置こうとしていただけ。僕も頑張った、と勝手な言い訳を用意したかっただけ。本当になにもできない距離なのなら、ひたすらな無意味さも意味へと変わるだろう。でも、僕は数時間、十数時間後に、妻のもとへ駆けつけられる。だったら、そのときに向けていまを過ごすべきだ。エンジンをかけて、家路を急ぐ。仮眠を、一秒でも長く。
家に戻ると、玄関には毛布と散らかった荷物たち。つい1時間前まで、妻がここで頑張っていたんだ。そして、いまも病院で頑張っているんだ。「絶対大丈夫やから。分娩室で会おうね」とLINEを送り、祈りながら、床につく。アラームを大量に設定して。携帯の通知音を最大にまで上げて。
目覚ましが鳴る前に、目が覚めた。5時ちょっと過ぎ。夢でも、真っ暗な道を車でかっ飛ばしていた気がする。妻へのメッセージの既読はついていない。それだけ余裕はないんだろうし、痛みに耐えているのだと思う。起きても、祈るしかできない。両親たちが起き始めて、深夜の報告への返信をくれる。お義母さんと電話。何度も「さとしくんもありがとう」と言われる。僕は何もできてないけれど、遠くからでも妻を支えられているだろうか。
病院近くに7時オープンのお店があるので、そこで待機しようと準備を進める。「朝ごはん買って、近くのお店に向かうね」と打っていると、既読がついた。そっと下書きを消して、待つ。新規メッセージ、「来てください!」が。車に飛び乗る。朝ごはんなんて要らない。
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病院について待機室に案内される途中、一定の機械音みたいなものが廊下に響いた。サイレンのように。なんだろうと思っていると、助産師さんが「奥さん、頑張ってますからね」と言う。耳に飛び込んでくる音と、妻の叫ぶ姿が結びつく。待機室でひとりになった瞬間、泣いてしまった。妻は、あれだけ叫ぶほどの痛みと向き合っている。僕は、なんだ。僕は、なにをしているんだ。この身体に、痛みも苦しみもない。なにもできない。おかしい。叫び声が、脳裏にこびりついて離れない。待機室には聞こえてこないはずなのに、耳元で幾度となく響く。感謝。情けなさ。無力。いろいろ込み上げて、泣く。
ソファにへたり込み、10秒ほど泣く。泣いている場合じゃないと立ち上がる。分娩室に呼ばれたとき、僕が支えないといけない。ようやく傍にいれるとき、僕が泣いている場合じゃない。前々から、立ち会いで倒れてしまう夫さんがいるという話も聞いていた。気を強く持とうとする。平常心がいいのか、適度な緊張がいいのか、リラックスがいいのか。部屋にあるクッションを抱いてふぅっとしたり、日課のストレッチをしたり、自問自答したり。一向に落ち着かない。叫び声が、再び脳裏で響く。泣く。自らを奮い立たせる。何度も繰り返す。ドアの前に足音がくるたび、動悸が激しくなる。大丈夫か、こんな状態で妻の傍にいけるのか。
ふと、部屋の窓が分厚いカーテンで閉ざされていることに気づいた。そっとめくると、彩りが目に飛び込んできた。見事な秋晴れの青と、紅葉しかかっている山々の朱と黄と緑。病院に到着してから、はじめて息を大きく吸えた。心が静かになる。妻の叫びが身体に響く。空に浮かぶ雲は優雅に流れている。山々は微動だにしない。はるかな自然は悠然とそこにあり、人間はいのちを継ぐために叫んでいる。静かに佇む大きさと、激しく呻く小さきもの。
なんだこれは。
人間は、なんてちっぽけで、美しいんだろう。いのちの流れに乗ることは、世界や宇宙からみたらなんの意味もない。それでも叫び、継いでいく。なんだこれは。極大と極小が、いまここにある。直線の端と端が繋がる。僕は生きているんだな、生きていくんだなと思った。妻も、あなたも。生きているし、生きていくんだなと思った。どんな生物も、必死にあるいは鈍感に、いのちを継いでいる。世界にまた、新たなちっぽけさが、大きな大きなちっぽけさが生まれていく。本当にすごい。妻への愛情が、名付けられない想いに変わる。
子を産めない男は、この“いのちの流れ”を、伝える・唄うのが役目なのではないか。そんなことが心に浮かんだ。大きくてちっぽけな営みの横で、立ち尽くすしかできない存在。もう片方は、いのちの流れを全身で感じ、物理的に継いでいる。いのちを望んだのは、両者なはずなのに。気を抜くと、流れに置いていかれる。傍にいるのなら、いのちの流れを自ら感じ取れ。世界に保存しろ。“いのちの感覚”を取り出せるように。それが、いのちを望んだのに、なにも負うていない存在が担うべき役目なのではないか。これだけ叫び、ちっぽけさが生まれる。それが繰り返され続けている。論理なんかじゃない、これは。そこにあるなにかを掬い上げて、いのちに触れないといけない。
そこからは、窓の外を眺めつつ、いつも持ち歩いているメモ帳にことばを書きつけていた。激しい動悸と静かな心。焦りは、もうない。ようやく、無力さ、情けなさを受け止められた。
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伸びをして、大きく息を吐くと、ナースコールから「分娩室へご移動お願いします」という声が。ついに呼ばれた。その瞬間が来ても、心は凪いだまま。あれ、分娩室の場所聞いてないぞ、と思いながら病院着に着替えていると、助産師さんが来てくれた。連れられて、分娩室へ。
暖色のあたたかな光がある部屋へ。真ん中ちょっと奥の壁寄り。分娩台の上に、妻がいた。病院でひとりになってから、6時間くらい闘ってくれた。陣痛がきてから12時間ほど闘ってくれた。もう、その顔を見るだけで泣いてしまう。「来たよ!」と声を掛けたのだが、タイミングが悪く、ちょうどいきんでいるときだったらしい。ごめんね…。助産師さんの「安心して力抜けちゃったかな〜」という言葉に、妻が少し笑う。ここで笑えるの、本当にすごいよ。
息も荒すぎず、必死だけれど、静かに、合間に声も出さずにいきんでいく。どれだけの痛さを乗り越えて、その瞬間を迎えようとしているんだろう。汗をぬぐい、枕を支え、声を掛け続ける。もうちょっとだよ、本当にありがとう、しか言えない。頭が見えてきたらしい。先生が呼ばれる。いきむ。頭が完全に出た。そして、肩。「次でいけるよ」と、声をかけられ、妻がいきむ。「最後の最後、いきむんじゃなくて、ふーーーっと力を抜く感じ」と言われる。10秒ほど、細く長く息を吐く妻。その瞬間は、劇的では全くなく。布の向こうに、血や謎の液体にまみれた小さな顔がぬるりと現れた。次いで、細い身体。「あ、赤ちゃんや」という馬鹿みたいな感想が浮かんだ。その小さな顔が歪んで、泣いた。元気に、泣いた。ぼんやりしてしまう。妻を見ると、声をあげて泣いていた。僕も泣いていた。
心のなかには、あなたの存在がわかった3月2日の貫くような感情ではなく、なにかが染み込んでくるような感覚。安堵なのか、感謝なのか、気持ちが麻痺しているのか。心ここにあらずな感じだけれど、妻に何度目かの、そしていままでで一番の「ありがとう」を伝える。あなたは、そのあいだ、ずっと泣いている。助産師さんにきれいに拭われた、あなた。「赤ちゃん、胸の上にいきますよ〜」と、きょとんとした顔で担がれて、妻と僕の方にやってくる。
「直接触って大丈夫ですよ」と言われ、そっと手に触れてみる。拭いきれていない液体で少し濡れた手。小さな手。この子が、いま、この瞬間に、新しく、この世に生まれたんだ。僕は右手、妻は左手を握る。ふたりと出会ってくれてありがとう。これから、末永くよろしくお願いします。
一瞬の邂逅のあと、あなたの処置&妻の胎盤処置などのため、僕は追い出される。待合室で、あなたが測定やらなんやらされている様子を、モニターで見守る。そこに書かれた体重は、なんと2551g。1週間ほど前に、「出てくる気ないのかい、このままだと帝王切開かもだよ〜〜」とお腹に話しかけ、「でも、まだ2600gじゃないもん!って、言ってるのかもよ」と、妻とふざけていたことを思い出す。ほんとなんかい。その大きさになるまで待ってたんやねぇ。
はたと思い出し、生まれました連絡を両家族へ。お義母さんからの「ありがとう」が響く。こちらこそです。妻を生んで、育ててくれてありがとうございます。20年以上前に継がれた“いのち”を感じる。
そのあいだもずっと、あなたは泣いている。すごい泣いている。あ、泣き止んだ…と思ったら、泣いている。面白いくらいに泣いている。なにをそんなに泣くんだい、あなたは、と心で声をかける。でも、泣く以外の術を知らないんやもんね。これからいっぱい知っていこうね。
妻もあなたも容態は無事だったようで、もう一度分娩室に呼ばれる。入ると、妻の脇に見知らぬ小さな顔がいた。完全な一重まぶた。ほっそいねぇ。僕に似たねぇ。どこを見ているのか、くるくると黒目を動かし、もはや白目むいてたけど。たしかな小さい身体が、妻に抱えられて転がっていた。3人での写真を撮ってもらう。あなたを見る妻の顔が、そりゃあもう。僕は、紛うことなき幸せ者です。
「抱っこします?」と言われ、あなたを抱えたまま、しばしの3人だけの時間へ。ちっちゃい身体なのに、ずっしり。2.5kgあるんやもんね。さっきまでの泣きわめきはどこへやら、大人しくもぞもぞ、もぞもぞ。30分ほどでまたもや追い出されるので、この時間は僕がずっと抱える。妻とも、7時間ぶりくらいのちゃんとした会話。後陣痛で少し辛そうだったから、ゆっくりゆったり。「おこまるさんだねぇ、これがお腹のなかにいたとは思えないねぇ、ほんとに2600gくらいを待ってたんやねぇ」とふたりで噛み締める。妻が、指でほっぺをぷにゅっとすると、びっくりしたのか泣きはじめた。全身全霊で泣くね、あなたは。いっぱい泣くんやで。すぐに泣き止み、それからはあくびしたり、自分の指をペロペロしたり、ぐっすりしたり。あなたは、いま全てがはじめましてなのか。まだ誰の顔も見えてないやろうけど、いろいろ見て、感じて、知って、驚いていくのかな。
抱えていると、15分くらいで腰が痛くなってくる。これは体幹鍛え直さねば…。下を見ると、知らない顔。僕と妻、ふたりが出会って一緒になったから、この世に生まれた存在。偶然の先で生まれた存在。すべての存在が偶然の産物なんだろうけれど、その事実をはじめて身体で感じる。あなたも、僕も、妻も、いまここでこうしているのは、決して当然のことじゃない。僕はいなかったかもしれないし、妻は妻じゃなかったかもしれない。僕らは、生まれてから死ぬまで、ひたすらにちっぽけだ。
病院に着いてからの話を、妻から聞く。お産の大変さを痛感する。当たり前に過ぎゆくものじゃない。目の前の妻の疲弊と、自分の母親の姿が上手く重ならない。そうか、母親もこうまでしてくれたのか。知識として、お産は命がけと知っていたけれど、本当にそうなんだなと思う。やっぱり、その命がけを男が伝えないといけないのではないか。男というか、命がけの横にいる者が。
時間になり、病室を追い出される。悲しい。本当にありがとうね、またね、大好きよ、と妻と伝え合う。安心した顔でくしゃっと笑う妻。この顔が見れて、本当に、本当によかった。直接の面会が限られているので、あなたとはしばしのお別れ。「せっかくなんで」と、看護師さんが頬ずりさせてくれた。触れたら傷が付きそうな、ふにゅっとした顔。なにをされているかわかっていない顔。これを、愛情っていうんだよ。受け取るかは自由だけれども。
夜中2時に送り届けに来た入り口から、病院を出る。ふと思い立ち、持ってきていたカメラで今日の青空を撮る。あなたが生まれた、その日の空を忘れたくなくて。
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「病院出たら電話しますね」とお義母さんに伝えていたので、駐車場に戻って電話。すぐに繋がる。ずっと待っていたんだと思う。嬉しい。何度も何度もありがとうと言われた。20分ほどの電話で、4回くらい「泣いちゃう…」と言葉に詰まっていた。お義父さんからもLINEが来ている。結婚して繋がった縁だけれど、真っ直ぐに娘を想い、婿である僕にも大きな気持ちを重ねてくれるご両親が誇りでもある。
我が母にも電話。おそらく、これからへの心配が先に来ているので、少し淡々とした、でも、たしかな「おめでとう」をもらう。「頑張りや、子どもを育てるって大変なんやから」と言われ、「おかげさまで立派に育ったから大丈夫よ」と返す。「立派かはわからんけどなぁ」と言われ、「生きとるんやから立派やろ」と返す。父からは、直接の言葉はなかったものの、別の場所で綴っていた文章を伝え聞く。後日、その内容を妻に話すと、「親子だねぇ」と言われた。父よ、母よ。僕も親になったみたいです。
電話を終えると、さっきまで晴れていたのに、ポツポツと雨が降り始めた。エンジンをかけ、通い慣れた道をひとりで帰る。何度も通った道。いのちが生まれても、世界は変わらない。でも、あなたが生まれた。ちっぽけな存在だけれど、たしかにあなたが生まれた。その事実は、世界を一変させるものなんかじゃない。だから尊いことなんだと思う。意味も目的もないのに、いのちを継いでいく。生きているから、いのちを継いで、生きていく。ただ、それだけ。
車の窓から遠くを見ると、虹がかかっていた。
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あなたの退院までに、この文章を完成させるつもりが、延びに延びてしまいました。いまや、あなたは僕の足を枕にして、ふすふすと寝息をたてています。生後15日目。あっという間ですね。あなたが寝ている隙を見計らい、夜な夜な言葉を探してきた文章も、そろそろ終わりです。あのときお腹のなかで動いていた存在と、ふてぶてしい可愛いしかない顔で寝ている存在は、いまだに結び付かないのだけれど。あなたの存在がわかったときの日記や、出産当日のLINEを読み返すと、僕はいまでも泣いてしまうのです。
15日経って、あなたとの日々が非日常から日常へと変わってきました。それと同時に、さまざまな心配事が積み重なっていきます。体重は増えているのか、母乳を飲めているのか、ミルクはどれだけあげよう、肌に湿疹ができてしまった…これから先、あなたが何歳になろうとも、僕たちはあなたを心配し続けるのでしょうね。イヤイヤ期、反抗期などなど、あなたと向き合うのがしんどくなってしまう期間がやってくるかもしれません。たくさんぶつかっていくのだと思います。でも、それでいい。僕とあなたのお母さんがそうしてきたよう、あなたとも大切な関係を築きたいから。あなたという存在へのありがとうは、変わらずここに在り続けます。
あなたが生まれてくれた瞬間、眩しすぎる多幸感ではなく、なにかがじわりと滲んできた感覚があった…と書きました。(愛情はたくさんですよ。安心して。)強い感情が発生しなかったのは、おそらく、目の前の偉大な営みに自分が参加した感覚が皆無だったから、です。「妊娠に至る」というのは、性行為による共同作業。でも、誕生というその事象については、僕はなにもできませんでした。妊娠中、一緒に歩んできた自信はあるし、陣痛が始まってから入院までの時間も一緒に過ごした。支えることだって、わずかばかりできたはず。でも、誕生に関して言えば、横で支えただけであって、決して共同作業なんかじゃない。あなたは、自分の意志で陣痛を起こし、回転しながら外に出てくるという、素晴らしい役目を果たしました。僕は、どう足掻いてもその事象に介入できません。事実としての負い目。誕生に対する、生物学的な業。僕を生かしていく、遥かな業。妻とあなたの頑張りを想像すればするほど、業は深くなっていく。病院で聞いた、妻の叫びが忘れられない。忘れてはいけない。この世に、あなたが生まれてきてくれた。それは、業との向き合い、つまりは愛情のはじまり。あなたの存在に対する、僕なりの生きていく道です。
長くなりましたが、僕があなたに伝えたかったのは、たったひとつだったのかもしれません。
ここに記した約23,000字が、たった25文字を信じられる礎になりますように。
あなたの存在は、それだけで愛されるに値するんだよ。
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