グロッキーにしてよ

嫌いな人には嫌悪感剥き出しの表情で牙を向けられるのに、好きな人にはてんで好意を伝えられない。

その人に言われた言葉や向けられた表情が一日中頭の片隅にあるのに、会うと興味ひとつないそっけない態度になってしまう。

全くいつまで小学生みたいなメンタルでよろしくやっているんだろう。下駄箱にラブレターの時代に生まれたかった。現代には想いを伝えるツールが多すぎる。そのせいで何ひとつ上手に想いを飛ばせない私が際立つじゃないか。

なんで素直になれないんだろう。若いとはいえど、嬉しいや悲しい、楽しいや切ないをたくさん経験したはずなのに。自分の感情も自分で表現できないなんて嫌すぎる。相手に汲み取ってもらおうなんて甘えてんじゃないよ。
でもどうにもこうにも上手くなれない。気持ちとは逆のことばかり言ってしまう。苦手なことなんて何一つないと思ってたのに、自分にはコミュニケーションの一番大事なスキルが欠落していた。

気持ちが溢れた時、みんなどうしてるの。
「もうすこし居たい。」がどうしたって「じゃあ、またね。」に変換されてしまう。こんなことを言いたかったんじゃない。帰りなんか急ぎたくない。あっという間に歳をとるのに。
変態的に好きになってしまったらどうすればいいの。「匂いを瓶に入れて持ち帰ってもいいですか?」をなんとか「また行きましょう。」に変換して帰る日々です。くそ。

何も思い通りにならなくて帰り道に死にたくなった日、もうこんなことやめようと思った。
もう会いたいときは会いたいって言うことにした。寂しいときは寂しいって顔するの我慢しない。バスがなくなったらタクシーで帰る。 帰りの時間に左右されて馬鹿みたい。人生損してる。

夏に好きだった人がひっそり死んでしまったり、大事な友達が遠くに行ってしまったり、また会えると思ってた人が二度と会えない人になってたり、いつ誰とどんな形でお別れになるのかわからない。
もうずっと、会いたいとか寂しいなんて口にするのは恥ずかしいことだと思っていたし、出し惜しみじゃないけれど自分の価値が下がるから言いたくないなんてことも思っていた。でもそんなこと考えてる場合じゃないってはっきりわかった。我慢してたら感情が枯れた。

あと人って案外死ぬ。しかも知ってる人が。
最近はまた誰かが死んじゃうんじゃないかという恐怖に加えて、私もいつ死ぬかわからないという大発見をしてしまった。
死ぬときに滅茶苦茶に後悔するようなことをしている。好きな人にたくさん会ったほうがいい。ちょっとだけ大胆になったほうがいい。そのほうがよっぽど後悔ないんじゃないかと思う。

嫌われるかもしれないなんて不安は心底どうでもよくなった。二度と会えなくなることのほうが格段に怖い。

これからは振り回すし振り回されることにする。 「あの時会いたいって言ってればもっとお話できたのかな」なんて、もう二度と思わないことにする。

へとへとになるくらい素直になりたい。

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