発信をやめて味わった孤独。苦しかった。だから私は発信します。
私は昨年の3月に大学を卒業して、友人と2人で教育事業をする会社を起業し切り盛りしています。
今はなるべく書ける時にnoteを書いたり、Xでつぶやいたり、デザインの記事サイトをチマチマ更新したり、YouTubeでゲーム配信をしたりしています。
「それする必要ある?」「今別にしなくて良くない?」「なんで発信なんてするの?みんな別にみてないよ」なんてお声をいただくこともしばしば…
だから今日は「なぜ発信をするのか」を言語化していこうと思います。
起業して発信しまくった2年間
私は大学3年生の時に教育系の団体を立ち上げて、今まで活動を続けてきました。
大学3年生の団体を立ち上げたときは仲間が欲しい、自分たちの想いを世界中の人に知ってもらいたい想いで、当時のツイッター(現X)を「おはよう」から「おやすみ」まで更新しまくったり、Instagramを毎日のように投稿したり、noteも1週間に3本程度書いたりしていました。
団体の運営メンバー向けには、限定公開リンクでYouTubeの動画を作り、今私が考えていることやこれからに向けての想いを1週間に1回シェアしました。
大学卒業してから立ち上げた会社(andstep)も、始まりはYouTubeなんです。
2022年5月5日に初めて、ビニール袋で縄跳びを作る動画を公開しました。これが弊社の始まりです。
動画の出来はひどいもので、お腹の病気にかかり40度の熱を乗り越え、点滴を打った次の日に撮影して編集してアップロードした、命をかけた(笑)動画です。
声の元気もないし、顔はぐちゃぐちゃだし、画面はくらいし…
今でもお腹を抱えて笑っちゃうほど無理している動画です(笑)
この弊社のYouTubeチャンネルでは、「私たちは何ができるのか」「どんな力があるのか」を示す、いわゆる実績作りのために発信を始めました。
そんなこんなで大学3年生からの約2年間は、朝から晩まで発信発信発信の日々でした。
発信をやめた1年間
大学を卒業したその月に、私は友人(弊社の代表)と京都から滋賀県の長浜市へ移住してきました。
長浜市へ移住してきて、友人と決めたことがあります。
「地域に根づこう」
まずは長浜市やその周辺の地域の方に知ってもらって、好きになってもらおうと決めました。
そこで、力を入れることと止めることを話し合いました。
| 力を入れること
①人に会いにいく
②イベントに参加する
③自社の事業を作って地を固める
| 止めること
①SNS(発信)
②コミュニティ
私たちは、発信をやめました。
基本的に私が自社の事業を作る仕事をして、友人は人に会いに行ったりイベントに参加したりしてくれました。
その結果…
私はものすごい孤独感を味わうことになります。
弊社は2人しかいない極小企業です。
人に会いにいき、イベントに参加してくれている友人はどんどん長浜市内に友達ができ、応援してくれる方々と出会い、よく飲み会に出かけるようになりました。
一方私は、知り合いがほとんどいない長浜市に移住してきて、家でチマチマプログラムを作っては、土日に体験教室を開いていました。だから、子供たちとの信頼関係はバッチリ築くことができたし、親御さんともコミュニケーションが取れるようにはなりました。でも、孤独だったんです。とても孤独だったんです。
自分の今していることが良いことなのか、まずいことなのかもわからず、信じれるのは自分の想いだけで…
朝起きてパソコンに向かい、カフェで仕事をして、家に帰り本を読んで、またパソコンを開き疲れたら寝る。
土日になると朝から体験教室へ。
友人のスケジュールに空きがあるときは体験教室を手伝ってもらうことができますが、イベントは土日が多くて…1人で体験教室を切り盛りすることもありました。
1日中誰とも話さない日もありました。
価値観や考え方を広めるために本を狂ったように読みましたが、私の選ぶ本です。私の趣味嗜好によっているみたいで…
コミュニケーションを密とる人も弊社の代表たった1人。
どんどんどんどん価値観は固定化され、視野は狭くなり、良いアイデアもひらめきも生まれない日が続きました。
きっと、こんなのはないものねだりで、隣の芝が青々と見えているだけなんだろうと思います。
友人は友人でもしかすると、私の働き方を良いなと思っているのかもしれません。(わかりませんが)
少なくとも私は楽しそうに、「今日は〇〇さんと会ったよ!」「今日は飲み会に行ってくる」と話す友人が羨ましくてしょうがなかったです。
発信をし続けた大学生活から一点。
人との繋がりを遮断して仕事をしまくった1年間を経て、私は発信の大切を痛感したんです。
人と繋がるために、自己開示を。
私の発信は1種の自己開示です。
今考えていることや、これまでにしてきたこと、これからしていきたいことをつらつら発信していることがほとんどです。
この記事もそうですが、noteでは完全ドキュメンタリー。
これまでの私の活動や想いを赤裸々に綴っています。
Xではその時に思ったことをメモするように呟いています。
Instagramでは写真付きで直近の出来事を日記のように綴っています。
YouTubeのゲーム配信は、リアルタイムで聞きたいことをリスナーさんに聞いたり、リスナーさんからの質問に答えたりしています。それをただ質問コーナーにしても面白味がないからゲームの配信と掛け合わせているだけです。
デザインの記事サイトは、デザイナーの端くれとして私の試行錯誤を発信し、どこかの誰かの役に立てれば良いなというエゴで発信をしています。
この自己開示発信が私と社会を繋いでくれています。
久しぶりに書いたnoteで予想以上の反響をいただきました。
この記事では起業してからこれまでのことを、全て赤裸々に書いています。
この記事をアップロードしてから、今お世話になっている方や、3年ほど連絡を取っていなかった大学時代お世話になった方々など、本当にたくさんの方々からメッセージをいただきました。
中には「こんなに頑張っていたなんて知らなかった。いつもお疲れ様。」という言葉とともにケーキを送ってくれた古き戦友もいました。
心がジーンと温かくなりました。
超臭いことを言うと、人の愛をどっぷり感じて心が満たされました。
あぁこれまでやってきてよかった。
あぁそれなりに頑張れていたんだな。
ホッとした気持ちにもなりました。
なんだか少し肩の荷が降りたような。
私は改めて発信をすることで、人と繋がることの温かさを感じました。
私が発信できることは、私がやったことだけ。
でもね、何でもかんでも発信したら良いってもんでもなさそうなんです。
noteの他の記事をみていただくとわかりますが、超伸びていない記事が数本あるでしょ?
例えばこれ↓
この記事は、体験教室の活動を知ってもらって応援してもらいたいなという意図があって書いたんです。
でも、いいね数は2。閲覧数も53回
最近の記事は500回以上見ていただけることが多いので、閲覧数は1/10です。
いいねが2の記事と、いいねが74の記事。
これの違いは情報発信なのか、ドキュメンタリーなのかだと思います。
いいねが2の寄付つき記事は、情報発信です。
ドキュメンタリーぽく書いたつもりですが、この体験で起きたことをうまーく知っている知識と結びつけて、それっぽく情報を発信している記事なんです。
私が学者で超物知りで、その道を極めたプロならば私の作った情報発信に意味が出てくるのかもしれません。
あいにく私は人生23年しか生きていない若造で、その道を極めたプロにもなりきれていないので、私の語るアクティブラーニングは、その辺のアリさんが知っている言葉と調べた言葉をうまくまとめたに過ぎないんです。
別に私でなくても発信できる記事なんです。
一方、いいねが74の記事は他のどこにもない、私しか知らない酸いも甘いも赤裸々に綴った唯一無二のドキュメンタリー記事です。
このドキュメンタリー記事は私にしか書けないんです。
だって私の人生だから。
この私の人生に、共感してくださったり感動してくださる方々が記事を読んでくださり、「いいね」をくださり、愛をくださいました。
この私の人生を綴った発信がいつか誰かを助けたり、支えたりする日がくれば本望です。
私は発信をやめて、発信の大切さを痛感しました。
人は人と支え合って生きていることを実感できる、とても貴重な体験をしました。
これから面白いドキュメンタリーnoteが書けるくらい、日々日々挑戦し、面白い人生を歩んでいきます。
今後とも応援よろしくお願いします🙇
最後までお読みいただきありがとうございました!
じゃあまたね〜!
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