【主観要約】 PROVING GROUND
世界で最初のプログラマーの話をしたい。
したいしたい。
これだけみんな毎日コンピューターを触っているわけだから、
当然、世界で最初のプログラマーのことは知ってますよね。
知らない?僕らの一番古い先輩のことを?
じゃあ、世界で最初のコンピューターは?
そうだねエニアック(1946/米国)だね。
エニアックの写真見たことある?
ムーア電気工学学校でENIACのファンクションテーブルのスイッチをセットするアーウィン・ゴールドスタイン少尉(手前)。(米陸軍撮影)
ね。これの、どれがエニアックか?
全部でエニアックだ。部屋全体がコンピューターなんだ。でかいね。
でもこれで、当時としては信じられないようなスピードで微積分の計算を行った。
それは、大砲の弾道計算のためだった。
世界は第二次世界大戦の末期を迎えていた。
大砲の弾道計算というのは変数が多く、非常に複雑。
気温や湿度、風、大砲の機種と弾薬の種類など、様々な要素をかけ合わせて、大砲を打つ射角を決めるための計算が必要だった。
しかしそんな複雑な計算を戦地の兵隊がリアルタイムにできるわけはなく、
基本的にあらゆる状況を想定してあらかじめ計算しておき、
状況に合わせて大砲の設定を決めるための表(射表)を持たせる必要があった。
当時はその膨大な計算を人間の手で行っていたが、どれだけ人員を投入しても全く計算が追いつかなかった。
新しく生まれる戦況と、兵器のスペック更新に間に合わず、
せっかくある最新鋭の大砲が射表ができないため戦地に送れない事態となっていた。
計算機がないわけではなかったが、
当時はハンドルを手で回す歯車式の巨大なレジスターのような代物で、
機械的に精度も低く、故障したら油をさしてメンテナンスが必要で、
求められる計算速度には到底及ばなかった。
軍は焦っていた。
そこで、真空管を使った新しい電子計算機の構想を知った軍部は、多大な予算をかけて、これを実現させることとなった。
ペンシルバニア大学の物理学者、ジョン・モークリーと、
電気工学者ジョン・プレスパー・エッカートによってそれは成され、
世界で最初の実用コンピューター、エニアックが誕生する。
それがこのでかい倉庫みたいなやつだ。
さて、これらの写真を見ると、いつも若い女性が写っていることに気づく。
キャプションには何も書いていないが、はて、この人たちは誰なのか。
そこが気になった、この本PROVING GROUNDの著者、キャシー・クレイマンは調査を開始する。
だが、そこそこ権威のある人物に聞いて回っても誰も知らないという。
博物館の管理者が言うには、見栄えを良くするためのモデルを立たせているだけだとのこと。
んー、そうか。
なるほどモデルねえ。そうか・・・。
いや・・・どうだろう。
この人たち、触ってない?エニアック。
モデルに触らせる?
世界で最初のコンピューターを?
何か確信がないと触れなくない?
ということで当時を知る人に当たりまくり、
ご存命だった彼女たち本人への直接インタビューを経て、
歴史に埋もれた、しかしコンピューター史で欠くべからざる、
世界で最初のプログラマー達の物語をついに描き出した。
それは、エニアック・シックスと呼ばれる、
6人の若い女性たちだった。
(↑日本語版はこっち)
彼女たちの多くは、大学を卒業したばかりの20代だったり、若い計算手たちだった。
時は戦時下、女性の働き口は主に裁縫や、防弾チョッキやヘルメットを作ることだったが、彼女たちには計算・数学の素晴らしい才覚があり、自分の能力を生かせる仕事を探していた。
人手不足の軍は躊躇なく彼女たちを雇用した。
とはいえ世界初のコンピューターには当然リファレンスもなく、
複雑な回路をつなぎ合わせて実行させなければならないにもかかわらず、
戦時利用のため情報は秘匿され、
彼女たちがプログラミング技術を身につけるまで、実際に触ることもできなかった。
紙の上でアルゴリズムを構築するという地道な数ヶ月のトレーニングを経て、ようやく彼女たちはエニアックの前に立ったのだ。
写真に映る彼女たちは、自信に満ち、確信を持ってその機械を操作している。
その場で唯一のプログラマーとして、世界初のコンピューターの一部となって懸命に働いた。
しかし、彼女たちの生み出す成果物やその仕事内容は一級の国家機密でもあり、その働きが歴史の表舞台に出てくることはなかった。
最も有名な、世界初のコンピューターの写真のキャプションに、
それを操作するプログラマーとして堂々と写っていた彼女たちの名前が記載されるには、実に50年の歳月を要したのだった。
(↑彼女たちの面差しはこちらのページ下部を参照)
彼女たちの名前を、コンピューターを使って仕事をする我々は
知っておいたほうがいいんじゃないかと思う。
有名大学の数学科を首席で卒業するような女性たちが、スカートをなびかせながら、その場を取り囲む屈強な軍人達には到底手が出せない高度な計算を含んだ、まだ世界で誰もやったことのない仕事をこなし、成果を上げ、仕事終わりにはダンスパーティーに出かけていた。
かっこいいぜ。
その頃の日本と来たらさあ。
エニアックのOS(オペレーション・システム)とも呼ばれた彼女たちは、家族ぐるみの親交を持ち、生涯にわたって友人であり続けた。
ケイはその後、エニアックの開発者ジョン・モークリーと結婚。(!!)
彼がプレスパーとともに設立した新会社でソフトウェア設計者として働く。
サブルーチンを生み出したのは彼女の功績。
ベティもその会社で初の商用コンピューターのプログラミング言語の開発を担当。論理構築に長けた彼女は、エニアックでループ処理、条件分岐を発見し、後に新会社でソート・ルーチンを開発。プログラム開発に多大な功績を残す。
ジーンも同じ会社に合流。
農家の娘ながらその能力の高さでその後もプログラム技師として働き、多くのプログラマーを育成した。
このように、彼女たちは決して替えの効くリソースではなく、世界初のコンピュータにとって不可欠な存在であった。
戦争が終結し、男性の働き手が戻ってきたことで、多くの働く女性達が職を追われることとなったが、エニアック・シックスがその役割から外されることは決してなかった。
(その功績が表に出ることもなかったが。。)
とにかく彼女たちより他に、その仕事を遂行できる人間はいなかったのである。